第3話 未来へ
次の日、朝から華子と悟が話をしていた。悟は朝の列車を見送って、自宅に戻っていた。華子も悟も深刻な表情だ。
「幌冠線が第1次特定地方交通線になったって、本当なの?」
特定地方交通線は、鉄道を廃止してバスに転換するのが適当とされる路線のことだ。まずは営業キロが50km以下で旅客輸送密度が1日あたり500人未満で、特定地方交通線に値する。
「うん。このままでは廃止になっちゃうんだよ」
悟は深刻な表情だ。幌冠線が廃止されて、この町はこのままなくなってしまうだろう。一部の路線では第3セクター鉄道として引き継ごうという動きがあるが、幌冠線は転換しても赤字が続くと判断され、どうにもならない。
「この北海道では特に多くて、第1次の候補に白糠線や万字線、興浜北線、興浜南線、相生線、渚滑線、岩内線、美幸線が入ってるんだよな」
特に万字線はこの幌冠線と同じ運炭路線で、万字や途中の美流渡が炭鉱で栄えていた。だが、今ではもう炭鉱は閉山し、乗客は減り、周辺の人口も減るばかりだ。
「残念ね」
「70年代にも赤字廃止勧告で札沼線の一部や根北線が廃止になったけど、今度は本格的だよ」
悟は根北線の廃止のニュースを思い出した。根室標津と斜里を結ぶ鉄道として計画されたものの、開通したのは昭和32年、斜里と越川だけだった。すでに人口の流出が始まっていて、開通からわずか13年で廃止になった。越川の先には一度も列車が通ることがなかったアーチ橋が残っているという。
その話を聞いて、五郎がやってきた。五郎は驚いた顔をしていた。五郎がその話を聞いていて、来ると思っていなかった。
「廃止になるって本当なん?」
「ああ。残念だけど、廃止になる予定だよ」
悟は寂しそうだ。収益を上げるために様々なことをした。旅行を計画した。待合室に昔の幌冠線の写真を飾った。町ぐるみで廃止反対運動や乗車を促す運動を行った。だが、その努力もむなしく、廃止が決定した。廃止の翌日からは並行して代行バスが走る予定だ。バズの運賃は鉄道より高くなる。地元の人はますます不便になる。
「助かる手段はないのか?」
「一部の路線は第3セクターとして引き継ぐらしいけど、ここはそれでも採算が取れないと思われてるんだよ」
岩手県の久慈線、宮古線、盛線や岐阜県の樽見線は第3セクター鉄道で引き継ぐと聞いている。だが、それは採算が採れるからであって、この幌冠線は転換しても採算が採れないので、そのまま廃止と決まった。
「そうなんだ」
「仕方がないよ。深名線もそれぐらいの赤字路線なんだけど、あそこは交通が不便だから廃止対象から除外されてるんだ」
深川から幌加内、朱鞠内を経て名寄までを結ぶ深名線は乗客が少なくて本来だったら廃止される状況だ。だが、この辺りは豪雪地帯で、代替道路が未整備の区間があるために廃止を免れている。このような経緯で廃止を免れている赤字ローカル線は全国にいくつかある。
「残念だね。廃止になったらおじさんどこに行くの?」
「札幌駅に転勤になるんだよ。ここよりずっと都会で駅員も多い。この町を離れるのは初めてだよ」
悟は寂しそうな表情だ。初めてこの町を離れることになる。今まで育ってきた町を離れるのはとても寂しい。これも運命なのかと実感しているが、それを聞くとやはり残念だ。
「五郎、残念だけど、電車は人が乗らなければ廃止されるの」
華子は寂しそうだ。故郷の鉄道がなくなるのは寂しいことだ。いつも鉄道で帰っていたのに、今度からはバスで帰ることになる。
「そうなんだ」
「俺たちも残そうと積極的に活動を行ったけど、この状況では手詰まりだよ」
みんな下を向いていた。鉄道を残そうと、色んな試行錯誤を繰り返した。だが、廃止が決まってしまった。
「この町、消えちゃうの?」
「いずれはそんな運命だよ」
華子は泣きそうな表情だ。この町がなくなるなんて、考えたことがない。本当はなくなってほしくない。
「お母さん、町がなくなるの、寂しいの?」
華子の表情を見て、五郎は華子の肩を叩いた。
「寂しいよ。でも、時代の流れには逆らえないんだよ。若い者はみんな都会に出て、田舎は人がいなくなって寂れていくんだ」
悟はそれが仕方がないことだと思っていた。
「ふーん」
「この町はなくなるかもしれないけど、栄えていた頃の幌冠はいつまでも心の中に、そして鉱山資料館に残るんだよ」
五郎は鉱山資料館のことを思い出した。これからもこの町の歴史を伝えていく。この資料館はいつまでも残ってほしい。ここに幌冠という炭鉱で栄えた町があった。その記憶を後世に残していかなければ。
「このことも自由研究にまとめなくっちゃ」
五郎は次々と自由研究のネタが見つかって嬉しかった。ここに来てよかったと思った。だが、こんな町の寂れていく状況を見ると悲しくなってくる。何とかならないんだろうか。
昼下がり、五郎は幌冠駅にやってきた。朝の列車が出て、幌冠駅は静まり返っていた。昔はこんなに静かじゃなかった。どれぐらいの人がいたんだろう。
五郎は柵の向こうから構内を見ていた。構内は雑草だらけだ。雑草のある所には錆び付いたレールが敷かれている。もうこのレールの上を列車が走ることはないのか。そう思うと五郎は残念で仕方なかった。
「明日、東京に戻っちゃうんだね」
誰かの声に気付き、五郎は横を向いた。悟だ。やることを終えて、暇をしていた。
「うん」
五郎は寂しそうだ。今度来れるのはいつだろう。もう来れないかもしれない。そう思うと、悲しくなった。
「この町、どうなっちゃうんだろうな」
「消えるんだよ。町はいずれかこうなるんだ」
この町はいずれ消えるだろう。悟は感じていた。炭鉱が消え、鉄道も消える。すると、人々は豊かさを求めてこの町を去っていく。そして、町は消える。悟はどうしようもないと思っていた。
「消えちゃうんだね」
「仕方がないよ。でも、ここに幌冠という町があったって事は語り継がれるんだよ」
鉱山資料館はこのまま残る。そして、ここに幌冠という、炭鉱で栄えた町があったことを伝えていく。そして、幌冠という町は、ここに住んでいた人々の心の中であり続ける。
「そうなんだ。鉱山の資料館って、そのためにあるんだね」
「うん」
その時、五郎は鉱山資料館が何のためにあるのか知った。この町に炭鉱があったこと、そして、この町の記憶を消さないためにあるんだと。
「札幌はいいとこだと思う?」
「いいとこだよ。でも、住み慣れた町を離れるのは寂しいな。でも、これが時代の流れなんだ」
悟は札幌での生活が楽しみな半面、この町を離れる寂しさも半分あった。
「しょうがないんだね」
「ああ。札幌は人が多いし、繁華街が賑やかなんだ。この町の全盛期以上に賑やかなんだよ」
悟は札幌を思い浮かべた。地下鉄が走っているし、すすきのは日本を代表する繁華街だ。味噌ラーメンを売る店が数多くある。買い物もしやすい。外食する所が多い。
「都会ってこんなもんだよ。東京は札幌よりもっとすごいよ」
東京に住んでいる五郎は東京の魅力を語り、札幌にも興味を持たせようとした。だが、悟の心は晴れなかった。やはりここを離れるのが寂しいようだ。
「札幌にも行ってみたいね」
悟は来年は札幌に行ってみたいと思い始めた。雪の降る冬にしようか。短い夏の札幌を楽しもうか。
「うん。初めての都会での生活には少し期待してるよ。でもやっぱり生まれ育ったこの町がいいな」
「僕もその気持ちはわかるよ。まだ経験したことはないけど、生まれ育った故郷を離れるのは辛いよ」
五郎は悟の気持ちがよくわかった。自分でも故郷を離れるのは残念なことで、少し戸惑う。だが、いつかはそれを経験しなければならないこと。避けられないこと。
その夜、五郎は自由研究のことを書き留めていた。ここに来てからのこと、今までとは別のようにサクサク進む。題名は『幌冠の歴史と未来』。この町が炭鉱とともに栄え、閉山とともに寂れていく。そして鉄道もなくなる。それによってこの町はどうなってしまうのか。
「自由研究か」
五郎は後ろを振り向いた。悟だ。今日の終電を見送って、家に戻ってきた。
「この町の歴史と未来について書いているんだ」
「そうか」
そう聞いて、悟はこの町の未来を考えた。この町は開拓によってでき、鉱山とともに発展した。そして、鉱山の閉山とともに寂れている。この町は将来、どうなってしまうんだろう。自分は町がなくなってしまうんじゃないかと思っている。
「いいでしょ」
「また来年行けたらいいね」
その時悟は考えた。来年の夏にはもう幌冠線はない。自分も札幌に引っ越しているだろう。本当に来年来れるんだろうか。でも、いつかは行きたいな。
次の日、五郎と華子は東京に帰る日。今朝最後の列車でこの町を離れる。もう帰ってこれないかもしれない。五郎も華子も寂しそうだ。
東京に帰る準備はすでに昨夜にした。五郎は自由研究をほとんど終えた。来る前は全く進んでいなかったのに、ここに来たらほとんど終えることができた。どれもこれもこの町のおかげだ。
「いい町だね」
五郎は鉱山の跡を見た。ヤマは僕に教えてくれた。この町の歴史、そして未来を。教えられたことを、自由研究にして発表しよう。
「なくなっちゃうのかな?」
「そうかもしれないね。でも、たとえ消えたとしても、ここに人の営みがあったってことは、永遠に語り継がれていくだろう」
五郎と華子は帰りの列車に乗った。行きの列車と同じく、単行だ。乗客は2人以外に数人いる。彼らは大きなリュックを持っている。どうやら鉄道オタクのようだ。
「そうであってほしいね」
出発時間になり、悟がやってきた。悟は振内までのタブレットを持っている。悟は車掌にタブレットを渡した。車掌はタブレットを確認した。
「お待たせいたしました。振別行き、まもなく発車いたします。閉まるドアにご注意ください」
「出発、進行!」
列車の前に来ていた悟は手を挙げた。悟の掛け声とともに、気動車は大きな汽笛を上げ、ゆっくりと動き出した。気動車は煙突から排気ガスを出している。
悟は窓から顔を出して幌冠の様子を見ていた。もう見ることができないかもしれない。この町も、この山も、この駅も。いつまでも心の中に残しておきたい。
「後部、よし!」
悟は列車を見送った。五郎はその様子を見ていた。あと何日こんな光景が見られるんだろう。そして、今日あった人々はこれからどうなっちゃうんだろう。町を出てしまうんだろうか。死ぬまでずっとこの町にいるんだろうか。
やがて、町は見えなくなった。五郎は見えなくなるのを確認すると、客室に顔を引っ込めた。華子は寂しげな表情だった。町を出る前に撮った幌冠の写真を持っていた。多くの人が行き交い、活気に満ちている。もう見られない光景だ。このまま町は消えてしまうんだろうか。そして、故郷は消えてしまうんだろうか。
次の年の4月1日、五郎と華子は朝のニュースを見ていた。ニュースでは全国各地で昨日起こった出来事を各局のアナウンサーが伝えている。2人はそれを見つつ朝ごはんを食べていた。
そんな中、北海道のテレビ局のアナウンサーがあるニュースを伝え始めた。2人はテレビにくぎ付けになった。
「昨日、国鉄幌冠線が74年の歴史に幕を閉じました。最終日となった昨日は、多くの鉄道ファンが駆け付け、まるで賑やかだった頃の幌冠が戻ってきたかのよう。最終列車が発車すると、人々は涙して、炭鉱で栄えた町の象徴がなくなることを惜しんでいました」
アナウンサーは昨日限りで廃止になった幌冠線の様子を伝えていた。2人は箸を止め、その様子を食い入るように見ていた。悟は最後まで駅長としての使命を全うしようとしている。華子は悟の姿を見て、涙を流しそうになった。
炭鉱がなくなり、鉄道がなくなると、この町はどうなってしまうのか。跡形もなく消え、心の中でしか残らなくなるんじゃないか? いや、そうであってほしくない。いつまでも残ってほしい。
「お兄ちゃん」
「泣いてるね」
2人は悟がないているのをじっと見ていた。今まで暮らした故郷を離れる。寂しいだろうな。ここでの思い出をいつまで忘れないでほしい。
「相当寂しいんだね」
「そしてこの町は町でなくなり、やがて人がいなくなる。いや、そうであってほしくない。故郷は残ってほしい」
2人は願った。この町がいつまでもあり続けること、そして、栄えていた頃の幌冠のことを忘れないでほしい。
五郎は窓の外を見た。桜の花びらが舞い落ちている。五郎はその様子を見ていた。五郎は鉱山で賑わっていた幌冠が閉山によって寂れていく姿を、桜が舞い落ちる様子と重ね合わせていた。
それから20年余り経った春のある日、幌冠は人がいなくなった。町がなくなった。そこに残るのはただっぴろい荒野のみだ。あるものを残して。