第2話 鉱山のあった頃
次の日、五郎は悩んでいた。夏休みの宿題の中で、自由研究が全く進まない。何を研究しようか、東京で考えても何にも浮かばない。このままでは来月の1日までに提出できないんじゃないかと思い始めた。
五郎は1ページ目を開いたノートを前に頭を抱えた。ノートには何も書かれていない。自由研究は何の進展もない。このままでは自由研究を提出できない。どうしよう。
「うーん、自由研究のネタが見つからないなー」
そこに、誰かが入ってきた。悟だ。朝の列車を見送り、業務をやり終えていた。悟は五郎に会ったことがなかった。
「どうした?」
悟は五郎が悩んでいることが気がかりだった。悩み事があったら相談に乗ろうと思っていた。
「あっ、駅長さん。自由研究で悩んでるんだ」
五郎は汗をかいていた。ここはそんなに暑くないのに。
「そうか。悩んでばっかじゃしょうがないから、気晴らしにそこら辺を歩いてみない?」
突然、悟は提案をした。気晴らしをすれば、アイデアが浮かぶ。それに、もしかしたらこの町のことを自由研究の題材にしてもらえるかもしれない。
「えっ?」
五郎は驚いた。この町を歩くなんて考えたことがなかった。家の中で勉強してゲームをすることしか考えていなかった。
「この町のことを知ってみないか?」
「うん。いいけど」
五郎は乗り気ではなかった。単に悟にすすめられただけだった。
「じゃあ、駅長室に行ってみようか?」
五郎は昨日降り立った幌冠駅にやってきた。駅舎は開業当時の木造駅で、駅名標には「驛冠幌」と書かれている。どうやら戦前の頃からあるようだ。幌冠駅は静まり返っていた。朝9時過ぎの列車の次は16時過ぎだ。この時間帯、悟は暇だった。
五郎は特別に駅長室に入らせてもらった。駅長室は開業当時からのもので、年季が入っていた。駅長室には数多くの鉄道グッズがあり、まるでここは小さな博物館のようだ。
「おじさん、何これ?」
五郎は棚に飾られているプレートを指さした。「D51432」と書かれている。
「SLのナンバープレートだよ。もう解体されたけど、ナンバープレートをここで保管しているんだ」
悟はここを走ったデゴイチのことを思い出していた。セキが石炭を積んで、その先頭にデゴイチが立つ。これが全盛期の幌冠線だ。もう跡形もないけど、昔はこんな賑やかな時代があった。
「へぇ」
五郎は幼稚園の頃までは電車に興味があったが、小学校に入ると興味がなくなってきた。今、最も興味があるのはファミコンだ。
「昔はここは賑やかだったんだよ。デゴイチが旅客に石炭に大活躍して、この町や神威別、幌士別は鉱山の町として賑わったんだよ」
悟は駅長になる前はデゴイチの運転士をしていた。セキが連なる長い貨物列車をけん引し、汽笛を上げながら力強く走る。あの頃はよかったな。
この北海道からSLの定期旅客列車が消えたのは昭和50年の冬。山口線や大井川鉄道で走っているが、定期ではもうない。
「ふーん」
ふと、五郎は壁に飾られている白黒の写真が目にとまった。デゴイチが引く石炭列車だ。西振内付近で撮影されたもので、田園風景の中だ。
「これがそのSL?」
「うん。長い石炭列車だろ?」
悟はデゴイチを運転していた頃を思い出した。真冬でも汗をかくほど暑かった。トンネルでは煙突から出る一酸化炭素で酸欠になり、倒れそうになることも多かった。
「こんな長いのが走ってたんだ」
五郎は感心した。こんな長大な編成が走っていたなんて。昨日乗ってきた気動車とは比べ物にならない。こんな時代に行ってみたかったな。
「そうだよ。今はその面影もないけど。この構内も広かったんだ。何本も側線があって、向こうにはホッパーがあって、ここで採れた石炭をセキに積んで振別まで運んでたんだ」
「そうなんだ。今はこんなに寂しい駅だけど」
五郎は昨日降り立った幌冠駅を思い出した。
「そうそう、この近くに幌冠鉱山の資料館があるんだよ。行ってみる?」
幌冠鉱山の資料館はこの駅から歩いて10分の所にある。幌冠鉱山が閉山になった翌年、幌冠鉱山の歴史を語り継ぐために開館した。利用客は決して多くないが、鉱山の歴史を語り継ぐ施設としての役割を果たしている。
「うん」
五郎は乗り気ではなかった。だが、これを自由研究のテーマにできるんじゃないかと思い、行くことにした。
歩いて10分、五郎は幌冠鉱山資料館にやってきた。駐車場には車が数台停まっていた。駐車場は広いが、それを持て余しているようだ。
「ここか」
五郎は建物を見上げた。2階建てで、周囲と比べて新しい。周りの建物は閉山前からある建物で、その中でこの建物だけは閉山後に作られた。
五郎は建物の中に入った。入ってすぐ右側に受付がある。この先に行くには入場料が必要だ。受付の前にはロングヘアーの中年の女性がいる。
「いらっしゃいませ。入館料は子ども250円でございます」
五郎は受付の女に持っていた300円を出した。
「300円ですので、おつりは50円です。ありがとうございます。ゆっくりご覧ください」
五郎は展示スペースに入った。この建物の中には鉱山の資料や当時のジオラマ、写真等が展示されている。
「すごいな」
五郎は鉱山のジオラマを見ていた。賑わっていた頃の幌冠駅周辺だ。多くの側線があり、今とは比べ物にならない。側線には鉱石を積んだセキが何両も連なっている。側線の先にはターンテーブルがあり、デゴイチが転車台で方向転換をしている。廃墟となっていた家が崩れていない。まだ人が住んでいた頃と思われる。
「こんなに賑やかだったなんて」
五郎は開いた口がふさがらなかった。駅前にはおしゃれな建物があった。よく見ると、『劇場』『映画館』と書かれた看板がある。ここは劇場や映画館だったようだ。
「映画館や劇場もあったんだ」
五郎は驚いた。まさか、劇場や映画館もあったなんて。まるで東京のようだ。
「5年前に閉館になったけどね」
ガイドの中年の女性は寂しそうな表情だ。5年前に閉館になる時、最終日に映画館に行った。また1つ、賑やかだった幌冠の象徴がなくなる。このままこの町は人がいなくなってしまうんだろうか? 最後の映画を見終わった後にそう思い始めてきた。
「まるで都会みたいだったんですね」
「うん。あの頃はよかったな」
ガイドはあの頃の幌冠を懐かしんでいた。もう一度その頃に戻りたい。だがもう戻れない。ただこの町は寂れていくばかり。
「時代の流れだから、しょうがないよ。でも、ここまで寂しくなると、悲しくなってくるよ」
さらに奥に進むと、小学校の写真がある。子供達が遊んでいる。子供達は笑顔だ。楽しそうだ。
「小学校だ!」
幌冠に小学校もあったとは。五郎は驚いた。
五郎は小学生の写真を見ていた。運動会に遠足、修学旅行の写真だ。五郎は今も昔もこんな楽しいことがあったんだと思った。五郎は小学校のイベントに出た時のことを思い出した。どれもこれも楽しい。今も昔もイベントは楽しい。
さらに奥に進むと、運動場に人文字が描かれた写真があった。そこには、『サヨナラ ホロカップ』と書かれていた。
「この人文字は?」
「閉校になる時にみんなで人文字を作ったんだよ」
ガイドは寂しそうだ。自分もこの小学校の卒業生だからだ。通っていた小学校がなくなるのは寂しい。
「そうなんだ」
「最盛期には数百人の生徒がいたんだけど、閉校時にはわずか3人だったんだよ」
東京の小学校とは比べ物にならないほど少ない。1学年にいくつかの組があって、多くの生徒がいるのに、それにも満たない。しかも学年の数よりも少ない。こんな学校で、どんなんだろう。生徒や教師が家族のように親しくて、笑顔が絶えないんだろうか。
「まさか、小学校もあったとは」
「中学校もあったけど、小学校とともに閉校になったんだよ」
中学校は8年前に閉校になった。それ以来、小学校を卒業すると神威別の中学校に幌冠線で通わなければならない。しかも、朝1番の1本を逃すと、遅刻確定で、車で送ってもらわなければならないらしい。
「こんなに賑やかだったんですね」
「それから子供たちは神威別の小学校や中学校に電車で通ってたんだ。でも、もう子供はこの町にいないんだ。みんな都会に行っちゃってね」
もうこの町には高齢者しかいない。若い男女は豊かさを求めて札幌などの都会に行ってしまった。ひょっとして、母も豊かさを求めて東京に引っ越したんだろうか。
「だったら、この町はどうなっちゃうんですか?」
「消えてしまうんだよ」
ガイドは寂しそうに語った。この町に、いつまでも人がいてほしかった。だが、もう高齢者しかいない。高齢者がみんな死ねば、この町はなくなる。ただの荒野に戻る。この町は自然に帰ってしまうんだろうか。
「これ、自由研究に使えないかな?」
五郎はその時感じた。これを自由研究のネタに使えるんじゃないか? この町の歴史や未来の展望を書きまとめたら、きっといい自由研究になるだろう。
五郎はもっと見ようと思い、じっくりと散策した。もっと自由研究のネタが欲しかった。
その先には鉱山の様子や、幌冠駅の構内の写真がある。鉱山で働く人々はすすだらけで、過酷な仕事のようだ。幌冠駅の様子は駅長室で見た写真よりももっと多くて、中には鉱山の中の写真もあった。
「この人たちが、鉱山の従業員なんだね」
「うん。交代交代でヤマに入って鉱石を掘り当てていたんだよ」
ガイドは去年死んだ夫のことを思い出した。夫は鉱山の従業員で、去年亡くなった。息子はその前に札幌に引っ越し、豊かな生活を送っているという。
中には幌冠線の写真もあった。幌冠駅に展示されている写真よりもずっと多い。その中には、幌冠駅で接続していた鉱山鉄道の写真もある。鉱山鉄道のSLは幌冠線のSLと比べて古くて小さい。客車は2軸で、幌冠線の客車の半分ぐらいしかない。木造の車体で、明治時代に作られたようだ。
「こんなSLが走ってたんだ」
「このSL、明治生まれでイギリス製なんだって」
五郎は驚いた。日本ではなくてイギリス製だとは。五郎はまだ歴史を学んだことがなく、日本最初の鉄道のSLがイギリス製だと知らなかった。
「すごいね」
「この客車も明治生まれなんだよ。この客車のことを『マッチ棒』と呼ぶ人もいたね」
ガイドはその客車に乗った時のことを思い出した。
「この客車は揺れが激しくて、崩れるんじゃないかって心配だった」
ガイドはまた乗りたいと思った。だが、その客車はすでに解体された。もう乗ることができない。
「そうなんだ」
五郎はガイドの話を真剣に聞いていた。あれもこれも自由研究のネタにしなければ。
その先には事故の写真があった。鉱山の従業員が担架に乗せられている。従業員は意識がない。妻と思われる女が泣き崩れている。いったい何事だろうか。
「何なのこれ?」
「鉱山でガス爆発が起こった時の写真だよ。新聞社からもらったんだよ」
話すうちに、ガイドは涙が出てきた。それによって義理の兄を失った。鉱山の労働は大変だが、事故が起こったらもっと大変だ。
「こんなに大変な事があったんだ」
五郎は呆然となった。鉱山の労働がこんなに大変だとは。事故が起こったらこんなことが起こるんだ。
「この事故がきっかけで閉山がますます加速したのよ。閉山が決まった時には本当に悲しくなったわ」
ガイドは大粒の涙を流していた。
奥に進むと、従業員が缶ビールを持っている写真がある。カラー写真だ。
「この写真は?」
「閉山の時の写真だよ。最後の仕事が終わった後、みんなでビールを飲んで、かけあったんだ」
ガイドはこの時にこの場所に来ていた。その中に夫もいた。夫は再就職せずにここで農業を営みながら余生を過ごす予定だ。夫は楽しそうだが、共に働いた友達と別れるのは寂しかったと聞く。やはり別れはつらいものだ。
「この近くに炭住が残ってるんだよ。誰も住んでないけど」
「そうなんですか。行ってみようかな?」
五郎は鉱山資料館を後にして、炭住の跡地に向かった。
五郎はこの近くの炭住の跡地を見ていた。炭住はまるで都会の住宅地のように広く立ち並んでいる。だが、朽ち果てて、今にも崩れそうな状況だ。何年も人が住んでないようだ。
そこに、悟がやってきた。日中で、全く列車が来ないので、暇を持て余していた。
「賑わってたんだね」
「そうなんだよ。ここには鉱山の関係者が多く住んでたんだ」
悟は寂しそうにその様子を見ていた。ここに住んでいた人が駅の周辺を歩いていた。でも、閉山で多くの人がこの町を去ると、誰もいなくなった。炭住はここに多くの人が住んでいたことを語っているようだ。
「でも誰も住んでないんだね」
「昔は5000人ぐらいも住んでたんだけどね。海外から安い石炭が手に入るし、エネルギー革命が起こって、鉱山は閉山して、こんなに人が減ってしまったんだ」
五郎は驚いた。こんなにも多くの人が住んでいたとは。まるで都会のようだ。北海道のこんな田舎にこんな都会のような町があったなんて。
「そうなんだ」
「でも、ここにこれだけの人が住んでたって事、いつまでも忘れないでほしいな」
悟は町を去った人々のことを思い出した。彼らはこの町のことを忘れないでいるだろうか。今でも町の人々と仲良くしているだろうか。悟は気がかりになっていた。
「そうだね」
「近々この炭住も取り壊すんだよ。誰かが入って崩れたら大変だもん」
五郎は仕方がないことだと思っていた。でも、賑わっていた町の面影が消えていくのは、自分の家が取り壊されるのはつらいだろうな。これは、致し方ないことなんだろうか。
「取り壊すのは残念だけど、危ないから仕方ないんだね」
「ここにどれぐらいの人の営みがあったんだろう」
五郎がその向こうを見ると、マンションが建っている。そのマンションも誰も住んでいないみたいだ。おそらく高度成長期に建てられたんだろうか。
「マンションもあったんだ」
「これは昭和30年代中ごろに建てられたんだ。でも、その頃から石炭産業は斜陽化し始めたんだよ」
悟はこの建物を見る度に、本当に立ててよかったんだろうかと思ってしまう。もう斜陽化している中でこんなの立ててもほとんど使われずにすぐに使われなくなってしまう。もったいないだろうと思っていた。
「ここにも誰も住んでないの?」
「うん」
悟は寂しそうな表情だった。このころがこの住宅地の最も賑わっていた頃だった。まるで東京の住宅団地のようで、多くの子供たちの歓声であふれていた。あの時が懐かしいな。
「なんだかもったいないね。何年でいなくなったの?」
「昭和45年だよ」
五郎は驚いた。こんなにすぐにいなくなってしまうとは。鉱山が閉山になるだけでこんなことになるとは。この町がいかに鉱山によって成り立っていたかがわかる。
「たった10年前後しか使われずに廃墟になったなんて。もったいないね」
「そうだよ。俺もこれはもったいないと思ってるんだ。でも、仕方がないよ」
悟は昔を懐かしんでいた。あの頃に戻りたい。だがもう戻ってこない。やがてこれらは取り壊され、残るのはただっぴろい荒野だけだろう。
見渡していると、草が生い茂った場所を見つけた。そこには所々が赤錆びたブランコやジャングルジム、鉄棒がある。どうやらここは公園だったようだ。どれぐらいの子供たちが遊んだんだろう。その子供たちは今どこでどんな生活をしているんだろう。
「ここは?」
「公園だよ」
悟は寂しそうな表情だ。子供の頃、華子とここで遊んだ。その頃はブランコ等は赤錆びておらず、草が生い茂っていなかった。整備が行き届いていた。
「こんなに草が生い茂ってるなんて」
五郎は衝撃を受けた。東京の公園とは全く違う。誰もいなくなると公園ってこうなってしまうんだ。
「子どもがいなくなって、誰もいなくなるとこうなるんだよ。多くの子供たちがこの公園で遊んだんだ。今は雑草が生い茂っているけど」
「全然感じないけど、誰もいなくなると公園ってこうなっちゃうんだね」
五郎は信じられなかった。誰もいなくなると公園ってこうなるなんて。東京は整備が行き届いていいけど、整備が行き届いていないとこんなことになるなんて。
「そうなんだよ」
そこに、老婆がやってきた。その老婆の夫は鉱山の従業員で、去年亡くなった。現在は神威別に1人で住んでいて、今日は久々にここにやってきた。
「どうしたの? 坊や」
「家を見に来たんだ」
「ここ、寂れてるでしょ?」
老婆は寂しそうな表情だ。夫と過ごした家が朽ち果てていくのが残念でしょうがない。神威別の家よりも、やっぱりこの住み慣れた家がいいな。
「うん」
「ここは鉱山で働いていた人の建物なんだよ。今はもう閉山して、ほとんど住んでる人はいないけど」
老婆は鉱山で働いていた夫との日々を思い出していた。子どもたちと肩を寄せ合って生活した。小さかったけど、一家団欒で温かかった。でも、子どもたちはみんなこの町を離れた。閉山する頃にはみんな町を出ていた。
「おばあちゃんは、ここに残ってるんですか?」
「いや、今は神威別に住んでるんだよ」
老婆は悲しそうな表情だ。今住んでいる家よりも、ここの方がいい。住み慣れているからだ。
「そうなんですね」
「でも、もうすぐ取り壊すんだって。老朽化だよ」
「残念ですね」
五郎は老婆の気持ちがわかった。生まれ育った町を離れるのは自分も寂しい。でも、いつか自分も経験するかもしれないことだ。それはいつになるんだろう。まだわからない。
「でも、そろそろ息子夫婦のいる札幌に引っ越すんだよ」
老婆は長男夫婦の住む札幌に引っ越そうと考えていた。去年、夫を亡くし、孤独を感じていた。誰かの温もりを求めて、息子夫婦に居候することにした。
「神威別を離れるの寂しいの?」
「うん」
老婆は残念だった。夫と最後の時を過ごした思い出の場所だからだ。夫が亡くなり、そして炭住も解体されようとしている。まるで自分の心に隙間が空きそうだ。
五郎は心配そうな表情で老婆を見ていた。この町が炭鉱で栄えた記憶が徐々に消えていくことがどんなに辛いことか。そのことも自由研究に書き留めないと。