余は「カレー」を所望する!
「…おい新入りィ!」
「っはい!なんすか!いや、何でしょうか!」
「…へへっ…いや、何でもねえよ。てか、マジで新入りなんだな」
「なんすか本当にぃ!からかわないで下さいよ!」
「いやあ、ここに新入りなんて来ねえと思ってたからよ。もう二度と呼ぶ機会なんてねえかもしれねぇし、記念に一度は呼んでおきたかったんだよ」
「ど、どういう事っすか?…ゲッ、まさかブラック?」
「………別ベクトルでヤベーとこなんだよ、ここは」
「別ベクトル?」
「…チッ!『来た』ぞ…見てろよ新入り。この職場は…マジでキツい」
「うっ…はいっす」
屋敷を歩く召使いは皆、トントン、と音を鳴らし歩く。しかしその床が、ドンドン、と厚みのある音へ変わる瞬間がある。即ち、殿のご到着だ。
「おい、余は飯にしたいぞ!誰かおらぬか!」
「はっ。何なりとお申し付け下さい」
殿の呼び掛けに対し、迅速に駆け付ける召使い。
「早っ!」
「あれがこの職場の三大ルールの内の一つ、『殿の呼び掛けには迅速に』だ。あと二つは…後で説明する」
「余は『カレー』を所望する!余のカレー…わかっておるな?」
「当然で御座います。この私めにお任せあれ」
そう言うと召使いは即座に殿の側を離れ、奥にいる他の召使いへ何やら細かい指示を出し始めた。
「あの人は優秀だな。殿の味覚を的確に把握し、未だ把握できていない者にもそれを丁寧に伝えている。」
「はあ…殿の味覚、ねぇ。食わず嫌いが多いんすか?」
「…食わず嫌いなんてもんじゃねぇよ」
震えた様子で彼は言う。そんな彼を見て、更に疑問を募らせる新入り召使い。そんな彼らを遠目に、召使いは作りたてのカレーを殿に見せる。
「お待たせ致しました。『カレー』で御座います。きっとお気に召すでしょう」
「うむ。…では」
殿の最初の一口。これが召使い達の鬼門であり、また最も緊張する一瞬でもあった。
「ここを何事もなく乗り切れば良いんだが…」
「…何事もなく?」
「…上手いな。この調子で次も頼む」
「はっ」
「ホッ…いやまあ、長年居りゃ殿の好みもわかって当然なんだけどな。それでもたまにやらかす奴がいんだよ」
「やらかす…?あの、すません、さっきから一体何を言ってるんすか?」
「…さっき、職場の三大ルールがあるって言ったろ?あれの二つ目。これが一番重要で、更にここで召使いとして働く意味も持ち合わせてるんだ」
「二つ目…殿に飯を食わせる、とかっすか?」
「惜しいが、もう少し複雑だ。『殿の口に合う料理を提供する』だ」
「マズいって言われたらアウトなんすね」
「いや、違う。殿はな…」
「おいお前ら!無駄口を叩いてる暇はないぞ!いつ殿に呼び出されても良いように、部屋の掃除でもしておけ!」
二人の会話を遮るのは、ベテラン召使い。何百もの召使いがいる中新入りが入ってこないという事は、必然的にこの職場に定着したベテラン多数で構成されているという事になる。その中でも殿が幼少の頃から勤めているのは数人程度だが──
「うーっす。…まあ、そんな所だ。せいぜい辞めねぇように頑張ってくれよ、新入り」
「はいっす!…あ!行く前に、一つ良いっすか?俺まだ三つ目を聞いてないんすけど」
「職場の三大ルール、三つ目か」
「はいっす」
「三つ目は…」
「三つ目は……?」
「三つ目は、『交代制で殿の夜の話し相手になる』だ。これも地味にキツい」
「…俺辞めて良いっすか」
ここはとある山奥にある一軒家、『処坊荘』。
巨額に釣られ入社し、即座に辞める者も居れば────
訳ありブラック企業の沼に浸かる者も、そう少なくない。