緋色の宝石
「なんだ。ニトか」
不機嫌さを隠そうともしないヴァルの態度に、ニトと呼ばれた少年は、ピクリと頬を痙攣させた。苦笑を漏らしているのは、せめてものやせ我慢か。
「ご挨拶だな。魔物退治の依頼をこなして帰ってきたと聞いたから、労をねぎらいに来たのに」
「ねぎらってくれるなら、ここの払いをお願い」
「え? いや……それはちょっと……」
テーブルの上に並んでいる皿の数に、ニトは言葉尻を濁した。
「ヴァルよ。そう邪険にするもんじゃないぞ。ニト。おまえたちのギルドも今帰ってきたのか?」
「まあね。僕たちも魔物討伐してきたんだ。もっとも、一匹だけのセコい依頼じゃなく、十匹以上も相手にした大仕事だったけどね」
ニトはソロで活動しているヴァルと違って、ギルドに所属する冒険者だ。ギルド名は『ダーシュ』という。活動内容も行動範囲も、ソロの冒険者とは一線を画する。そんな事情から自然と棲み分けができているので、仕事を巡って衝突が生じることはないのだが、なぜかニトはやたらとヴァルをライバル視している。年齢が近く、二人とも魔法よりも獲物を使った戦いを得意とするため、比較されることが多いせいだと思うが、ヴァルにはいい迷惑だった。彼女にとって冒険者家業は単なる食い扶持であって、周囲の評価や噂などどうでもいいことなのだから。
「それはご苦労さんだったわね。もっとも、あんたが本当に魔物を倒したなんて証拠はどこにもないけど」
「なんだと?」
「みんなの後ろに隠れて震えていただけかも知れないってこと」
「おまえっ」
掴み掛らん勢いで屈むニトの口に、カラアゲを丸ごと一つ突っ込んだ。
「アヒッ⁉」
「おい、ヴァル?」
さすがにティマスが咎めた。ニトは拳骨ほども大きいカラアゲに口を塞がれ、熱さと苦しさで悶えている。
「自慢話が済んだらむこうへ行ってくれないかしら。食事の邪魔よ」
「もぐもぐ。そんなこと言って、ホフホフ。いいのか?」
「食べるか喋るかどっちかにしなさいよ」
「ゴックン。……美味かった。サクサクの衣が肉の旨味を充分に引き立てて……そうじゃなくてっ」
「なんなのよ」
「おいしい話があるんだよ。飯食ったら冒険者ギルドに寄ってくんだろ?」
「もちろんよ。依頼達成の報酬を貰わなくちゃね」
「俺も付き合うよ」
「なによ? あんたになんか奢らないわよ」
「ソロで冒険者してるやつにたかるかよ。うちんとこのオヤジが、今回の仕事で腰やっちまって動けなくてさ。活動再開まで各自で動いてくれって言うから、ソロで依頼を受けようと思っただけだ」
「いい機会じゃない。あんたも休んでたら」
「そうもいくかよ。ニ〜三日ならともかく、一週間とかなにもしなかったら干上がっちまうよ」
「そんなにひどいんだ?」
「立ち上がれなくて、危うく漏らしそうになったくらいだから、今回のは長引きそうだ」
ティマスが自分の腰を不安そうに擦る。
「ここいらじゃ名が知れ渡っている『礫岩のギリン』もかたなしね」
ギリンというのが、ダーシュのリーダーである。土系統の魔法を得意とし、息もつかせぬ連続攻撃が怖れられ、礫岩という二つ名を冠している。
「オヤジももういい歳だからな。ひょっとすると、これを機に引退とか考えるかもな」
いきなり出た引退という言葉に、ヴァルは自分はいつまで冒険者を続けられるのだろうかと、かすめるようなざわつきを感じた。
「ヴァル?」
「いいわ。私も次の依頼を決めなきゃならないし、一緒に行きましょう。あんたも座んなさい」
「いや、できればさっさと食っちゃってくれ。言っただろ? おいしい話があるって。簡単で割のいい依頼が出てるんだよ。早く行かないと取りっぱぐれる」
「割のいい依頼? なによ。なんか怪しいわね」
「だから、そこらへんも確かめるために早く行こうって言ってるんだよ」
「わかったわよ。ティマス。もうちょっとゆっくりしたかったんだけど……」
「構わねえさ。若いうちは仕事を最優先しなくちゃな」
ティマスは気を悪くした様子もない。安心したヴァルは、残っている食事をかっこむように片付け始めた。
冒険者ギルド。そこは数多の冒険者が旅立ち、帰ってくる場所だ。新たな仕事に赴く者を励まし、無事に帰ってきた者を優しく労わる。好もうと好まざると、冒険を生業にして生計を立てている者にとっては、自分の家と同じくらいに馴染んでしまう場所だ。
依頼完了の報告書を提出し報酬を受け取って、ヴァルは受付から離れた。魔物を一匹倒した報酬は想定の範囲内で、特別はしゃぐ程の金額ではなかった。
ギルドの所属していれば受ける依頼は大きいが、人数がいる分だけ当然分け前も少なくなる。仕事の際に仲間がいるのは心強いが、収入自体はソロの冒険者とそれほど差はないのが現実だ。これでは、ニトが臨時収入を欲するのも仕方なしだ。
「贅沢してる人って、どうやってお金稼いでるのかしら……」
金を財布にしまいながら、依頼が貼ってある掲示板に立ち寄った。
「報酬は受け取ったのか?」
「ええ。いつも通りの額よ。ぜーんぶ生活費に消えちゃって、お金なんか貯まりゃしない。それにしても人が多いわね」
「それなら、次に受ける依頼はあれでどうだ? さっき言ってたやつさ。冒険者共が集まっているのも、あれが目当てだからだ。ざっと見たけど胡散臭い話ではないみたいだぞ」
「ん?」
ニトが指差した先には、貼られたばかりの真新しい依頼書があった。なるほど、言われてみればほとんどの冒険者がその一枚に注目して議論を交わしている。額に手を当てて目を凝らすと、一際目立つ極太の字で、冒険者複数集うと記してある。
「複数集うってなに?」
「読めばわかる」
ニトに促されたので、人垣を掻き分けて掲示板の真ん前に立った。内容を読んでみると、近場で発掘された宝石を守護する仕事だった。
「なに? 盗賊にでも狙われてるの?」
「そうらしい。街まで運ぼうとした時、何者かに襲われたって」
「その時は撃退できたのね」
「国王に献上しても遜色ないくらいの逸品らしいからね。護衛を付けてたんだ。けど、その際に三人いた護衛がすべてやられちゃって、発掘者は隙を見てからくも逃げ出せたって話だ」
「それで、改めて護衛を募集してるってわけか」
「なあ、やってみないか?」
「まだ募集は締め切ってないの?」
「結構な数が名乗りを上げてるけど、まだ空きはある。それだけ高価な宝石ってことだ。なあ、やろうぜ」
「そうね……」
ヴァルは素早く計算を始めた。三人もの護衛者を退ける程の手練が相手だが、宝石の奪取には失敗している。
そして、こうして守りを強化することは犯人の目にも留まっているはずだ。いくら価値の高い宝石でも、捕まる危険を顧みず再び強奪しに来るだろうか? その可能性は低いように思える。
依頼人はイデザでも有名な宝石商ギルドだ。報酬の面でも信用できる。何事もなく張り付いているだけで、依頼書通りの報酬が出るなら、確かにこれはおいしい仕事だ。
「わかった。やりましょう」
ヴァルの決断に、ニトは相好を崩した。
「そうこなくちゃ。さっそく手続きしてこようぜ」
二人は人混みを避け、受付に向かった。背後では熱気ひしめく喧騒が繰り広げられ、数多の冒険者が、次なる仕事を模索していた。
警備は翌日から始まった。件の宝石は発掘者の手を離れ、今は宝石商ギルドが保管していた。仕事の説明を受ける際に拝ませてもらったが、確かにこれまで見たことのない大きさで、加工すればその美しさは他の追随を許さないだろう。『ブラッドハート』の名を冠された大粒の宝石だ。その名が示す通り血のように濃い赤を湛えており、妖艶な美しさは見る者の心を鷲摑みにする危うさを孕んでいた。
「すごい。こんな宝石がこの近くで出てくるなんて」
「掘り当てたやつは、一生分の幸運を使い果たしたに違いないな」
ニトも驚きで目を見張っている。ヴァルの脳内では、換金すれば幾らになるのだろうと現実的な計算で一杯になり、生唾を飲み込んだ。そして、ふと思い出した。たしか数年前にも価値のある宝石が盗まれた事件があった。その宝石は双子の乙女と呼ばれた逸品で、ほぼ同じサイズの物が二つあったが、持ち主の宝石商が無防備に出してあったのが仇となり、両方とも盗まれてしまったという。見つかったとの噂も聞かない。今は裏のルートを通じてどこかの成金が所持しているといったところだろう。盗品だと知らないはずがないから、所持者はまともな奴ではあるまい。少しだけ羨ましく、とても腹立たしい話だ。
何気なく周囲を見渡してみる。集った冒険者は、全員で十五人にも上った。さすがに大げさではないかと思ったが、宝石の価値を鑑みれば、それだけの報酬を支払っても惜しくないと判断したのだろう。
警護の日数は三日間。三日後には王都に向けて出荷する予定で、街から出てからは王都の冒険者に警護は移行する。自分らを雇った宝石商ギルドがどれだけ稼いでいるのかは見当もつかないが、これだけ早く買い手を見つける手腕は見事と言わざるを得ない。
ヴァルとしては、一週間程費やしてもよかった。その分報酬を弾んでもらいたかったが、いつだって甘い考えは逃げ足で去っていくものだ。
ヴァルとニトが受け持ったのは、建物の西に当たる通用門だった。この宝石商ギルドで働いている者や、商品を届ける運搬者が利用する出入り口で、正門に劣らないくらい人の出入りが激しい。
「なんであんたと組まされてんのよ」
口を尖らせているヴァルに対して、ニトは完全に気を弛めていた。
「一緒に申請したからな。仲間だと思われたんじゃないか?」
「心外もいいとこだわ」
「そこまで邪険にするなよ。俺だって傷つくことがあるんだぜ」
ニトが珍しくしおらしいことを言うが、この男から醸し出される軽薄な雰囲気で、情に絆されることはなかった。
「だけどラッキーだよな」
落ち込んだ台詞を吐いたかと想えば、すぐに明るい表情を見せる。ニトが本当に沈む時なんてあるのだろうかと、半ば呆れながら考える。
「なにがよ」
「配置された場所だよ。これだけ人の出入りがあれば、また強奪を企てたとしても諦めるだろ」
「今の時間帯はね。本番は日暮れ以降よ」
「だったら、それまで休んでようぜ」
「馬鹿ね。こうして護衛がいるのを見せつけることで、犯行の抑止になってるんじゃない」
「それはわかるけど、なにもしないで突っ立ってるってのは意外と苦痛だな。そこそこの報酬が貰えるわけだ」
「無駄口叩かないの。二人で見張ってて賊の侵入を許したとあっちゃ、もうこの街で冒険者稼業なんてやっていけないんだから」
「へいへい」
何事もなく午前が過ぎた。ニトの言う通り、ただじっとしているのは精神的ストレスが高かった。なにしろ時間の流れが信じられないくらい遅いのだ。鍛錬などをしていれば、時間など瞬く間に過ぎていくというのに。
行動次第で時の進み方に差が生じる事実に、ヴァルは闇雲に剣を振り回したい衝動に駆られた。しかし、一度引き受けた仕事だ。なんとしてもやり遂げなければならない。ニトにも言ったが、信頼をなくした冒険者は、依頼を受けることすらできなくなってしまう。




