ルターの店
最近、すこぶる体調がよかった。自らの体を使った実験から感じていたことだが、この数日は特に顕著で、目が覚めると同時に体の内側から力が漲ってくる感覚が訪れる。毎日覚醒しているみたいで、とても気分がいい。
ラムゥは、この日も森の中で薬草を採取していた。生命力を増大させる魔法は成功した。この三年間の快調振りがそれを証明している。自らを実験台にして意識が遠のいた際には、さすがに絶望が襲い掛かってきたが、意識が回復した時にはこれまで感じたことのない清々しさが全身を駆け巡っていた。
「すごいっ! すごい魔法だっ」
さっそく、テシラにも同じ魔法を施した。
「これで、ずっと一緒にいられる。二人の人生を築くことができる」
ラムゥの胸には未来への希望しかなかった。それなのに、テシラは起き上がらなかった。それどころか、再び目を開けて話し掛けてくることもなくなってしまった。
「どうした? テシラ? 目を覚ましてくれ」
希望を押し退けて疑問が脳内を占める。魔法の配合は完璧だった。もしかして、使用した宝石に問題があったのか? 双子の乙女と呼ばれていても、細かな差異があり、それが影響を及ぼしたのか?
「そんな……そんなことって……」
テシラの頬をラムゥの涙が伝う。彼女は昏睡状態に陥ってしまった。
魔法を帯びた宝石はすでにテシラの体内に埋め込まれてしまい、取り出すことは不可能だ。もう一度宝石を入手するしかないが、あれほどの条件を満たした宝石は、滅多なことでは出回らない。
「どうしよう……。どうすればいい?」
ラムゥは悩んだ。何日も何週間も何ヶ月も。散々悩み抜いた末、テシラの看病をしながら新たな宝石の情報を待つしかないという結論に至った。テシラのためなら、何年でも待つつもりだった。
昏睡状態の彼女に、少しでも栄養を与えなくてはならない。薬草を使った治癒魔法をテシラに流し込むのが日課になっているのだが、今日はなかなか目当ての薬草が見つからなかった。ここら辺の薬草は、あらかた取り尽くしてしまい、再び芽吹くにはしばらく掛かりそうだ。
「いつもと違うエリアを探してみよう……」
ラムゥは普段は入らない区域に足を踏み入れた。何度も入っている森とはいえ、すべてを把握しているわけではない。迷わないように慎重に進んでいくと、人の気配を感じ取った。二人でボソボソと会話をしている。村の猟師らしく、二人とも弓を携えていた。そういえば、村人を見掛けるのも久し振りだ。理由はわからないが、最近村人が減ってきている。
「………………」
狩りをしているのであれば、そばに人間がいることを知らせなければならないのが本当だ。黙ったまま移動して物音でも立てようものなら、誤って撃ち殺されかねない。しかし、魔物を産み出してしまった後ろめたさと、あからさまに避けられている背景が相乗効果をもたらし、ラムゥは二人に気づかれないように、音を殺して離れようとした。
一度は背を向けたものの、耳をかすめた二人の会話にラムゥは思わず足を止めた。
「王都で魔王討伐隊が組まれるって話だぞ」
「なんだって今更。魔王に挑んだ勇者はいずれも殺されたって話じゃねえか」
「だから、今度は王宮騎士で編成される正式は軍隊だ。数も力量も今までの冒険者ギルドとはわけが違う。その討伐隊がジョラに来るんだってよ」
「この村にか?」
「魔物の発生地帯は、ここだと言われてるからな。それにラムゥの噂も王の耳に入ったらしい」
「ラムゥって……」
「ほら、村外れで気味悪い研究をしてる奴だ」
「それは知ってるよ。ある意味有名人だからな。でも、奴が魔王だなんて飽くまで憶測による噂だろ? 何回か見掛けたことがあるが、とても魔王って感じには見えねえな。ただの貧相なガキだよ」
「見た目に惑わされるな。あいつが引き籠もるようになってから、魔物が現れ始めたじゃねえか。それに、必要なのは魔力の方だろ。あいつの変な研究に使われた動物が、魔物に変身したって専らの噂だぞ」
「けど、確かめた奴はいないんだろ? さっきも言ったけど、挑んだ者はみんなやられちまってるし、この村でそんな激しい戦いがあったことなんてないぞ」
「ここは崖の近くだし、村に入るにはこの森を抜けるしかねえ。待ち伏せするには絶好だと思わねえか?」
「こ、ここで殺戮が行われたってのか?」
「森は広いからな。俺たちだってすべてを掌握しているわけじゃねえ。足元に人骨の一体や二体……」
「やめろって。全部おまえの想像じゃねえか」
「根拠のある想像だ。疑っているのは俺だけじゃねえぞ。勘のいい奴なら、薄々気づいているさ。人の口に戸は立てられねえ。噂は広まっている。噂は風に乗ってどこまでも拡散する。ラムゥの魔王説が王都にまで飛んでいったのさ」
「でも、噂は飽くまで噂だろ」
「だからさ。噂だけで進撃かますわけにはいかないから、まずは斥候隊が……」
ラムゥは耳をすませたが、二人の会話は途切れ途切れにしか聞こえない。だが、討伐とか魔王だとかの単語を拾った。それに自分の名前も出てなかったか……。胸の奥がザワザワと騒ぎ出した。
もっと詳しい情報が欲しい……。
思うと同時に、体が勝手に動いていた。葉擦れの音が静寂を破った。
猟師は目を見張ったと思った次の瞬間、素早く移動し木の陰に隠れた。きっと、もう弓を引いていつでも撃てる態勢に入っているに違いない。
「撃たないでっ」
ラムゥの一声で、張り詰めていた空気が急速に萎んだ。猟師二人は、纏った緊張を脱ぎ捨てるように木の陰から出てきた。
「誰だ? 危うく撃っちまうところだったぞ」
「ごめんなさい。出ていくタイミングを逃してしまって……。それで、あの、さっきお二人が話していたことなんですが……」
ラムゥは、体裁の悪さを苦笑いでごまかしながら立ち上がった。その途端、蒸発したはずの緊張が一瞬で戻ってきて、猟師たちを凍りつかせた。
ラムゥにはわけがわからなかった。自分の後ろにモンスターでも立っているのかと慌てて振り返ってみたが、目に映るのは鬱蒼と生い茂った木々だけだ。
「あの……?」
ラムゥがもう一度話し掛けると、猟師は二人揃って大声を張り上げた。
一斉に鳥が飛び立ち、喧しいほどの鳴き声を合唱させた。枝が揺れ葉擦れも大量に奏でられ、森そのものが恐怖と混乱に陥ったようになった。
「来るなぁっ!! 化物がぁっ!!」
化物? そんなものがどこにいるんだ? 信じられないことに、猟師は自分に向けて矢を放とうとしていた。
「危ないです。そんなものを人に向けないでください」
「来るなって言ってんだろうがっ!!」
ラムゥが一歩踏み出した瞬間、猟師の一人が矢尻から指を離した。
鋭くも重たい衝撃がラムゥを襲った。
なんてことだ。彼は本当に人を撃った。なにを考えているんだ?
驚きと恐れと怒りがない混ぜになって、ラムゥの内側を支配する。視界が赤く染まり、思考能力が低下していく。
悲鳴を上げながら次々と矢を放つ猟師に、まっすぐ近づいていく。完全に恐怖に陥った猟師の顔が眼前まで迫り、ラムゥの意識はそこで途切れた。
「う……」
再び意識を取り戻した時、しばらく自分がどこにいるのかわからなかった。
「ここは……。僕はなにをしていたんだっけ?」
目に染み込むような濃度の高い緑を見て、薬草を取りに森に来たことを思い出した。
「……そうか。僕は……うっ!?」
異臭が鼻を衝き、視線を足元に落とした。
「うわっ!?」
ラムゥは後退ろうとして脚をもつれさせ、その場に尻もちをついた。
「あっ……あっ……」
目の前に転がっていたのは、無残な肉片だった。ほとんど原型を留めていないが、かろうじて人間の死体であることがわかった。
「なんだこれは?」
竦んでしまって、麻痺したように体が動かない。胃液が逆流して、その場に吐いてしまった。痛いほどの酸味が口いっぱいに広がり、涙で視界が滲んだ。それでも生き延びようとする本能が、首を動かし視線を巡らせた。
モンスター……いや、魔物に襲われたのか? 服の切れ端や転がっている弓から、さっきの猟師だと思うが、いつの間に襲われた?
森は異様に静かだった。周囲には動物はおろか鳥の一羽もいなくなった感じだ。生命が溢れているはずの森が、一転して死の王国に変わってしまった。
ようやく脚に力を入れることができ、ラムゥは立ち上がると同時に駆け出した。あの二人を襲ったものの正体を確かめようとは微塵も思わなかった。
まさか、村人が少なくなっているのは、こうやって次々と魔物に襲われているせいなのか? あれから三年も経っているのに、未だに魔物は増え続けているのか? いったい、僕の村でなにが起こっているんだ?
葉や枝が体を傷つけるのも意に介さず、ラムゥはひたすら走り続けた。
橋の向こうにイデザが見えてきた。イデザから少し離れた場所には、宝石の採掘場がある。規模こそ小さいが、他所では滅多に採れない上質の宝石が掘り出されることもあり、一攫千金を狙う採掘者が集うことで知られている。
採掘された宝石は、ほとんどがイデザで売買される。加工されて装飾品として人々の目の保養となっている。そのため、イデザには宝石商のギルドがいくつも存在し、商魂たくましい商人や一流を目指す職人たちが、互いに出し抜こうとせめぎ合っている一面もあるのだ。
ヴァルは、自分の街が見え始めるこの橋を渡るのが好きだった。もうここが自分の故郷だと言ってもいいくらいに馴染んだ街だし、けっして平坦な人生を歩んでこなかった彼女を、イデザはいつだって優しく迎えてくれる。胸に広がる安堵感は、帰るべき場所に帰った者のみが抱ける特権だ。
「ヴァルちゃん、おかえり」
「また魔物を倒した話を聞かせてくれよ。ヴァル」
「おかえりなさい。今夜来るんでしょ?」
花屋のおばさんが、酒屋の亭主が、居酒屋の店員が、ヴァルに話し掛けてきた。いかつい男ばかりの冒険者の中にあって、ヴァルのようなまだ少女といえる冒険者は珍しい。しかも、それなりに困難な依頼もこなすのだから、いつからか自然と人気が集まるようになった。また、人気に伴って厄介事もなくならないのが、世の常ではあるが。
「俺は馬車を片付けてから行くからよ。ヴァルは先に行っててくれ」
「ルターの店ね。適当に注文しとく」
「あんまり頼み過ぎるなよ。銭が入ったとはいえ、雀の涙程なんだから」
「ホントに奢ってくれるの? やった」
無邪気に微笑むヴァルを見ると、とても魔物と渡り合える剣の使い手とは思えない。ティマスは眩しい太陽を見るように目を細めて、手綱を操った。
ルターの店は今日も繁盛していた。メニューが豊富な上に他の店よりも盛りが多いので、イデザでは人気店だ。
ヴァルは最初、ルターの店という名は、常連客が愛称で呼んでいると思っていたのだが、しばらくしてからそれが正式名称だと知った。店主や店員にルターという者は居らず、その店名がどこから由来しているのか知らない。機会があれば訊いてみようと考えていた。
入店すると、店員の一人であるショウナが寄ってきた。ボリュームのある赤い髪を後ろで束ねているのがトレードマークだ。燃えるような髪が象徴するみたく、彼女の朗らかさは店内の雰囲気を明るくしており、客からの人気も上々だ。ヴァルとは年齢が近いため、店員と客というより友人みたいな会話を交わす仲になっている。
「いらっしゃい。今日は一人?」
「ううん。後からティマスが来るわ」
「わ。日中から堂々とデート? てか不倫?」
「違うわよ。帰りで偶々一緒になって、ご飯食べようってなったの。第一どれだけ歳が離れてると思ってんのよ」
「それがいいんじゃない。背徳感があって」
「ショウナッ。お喋りはそれくらいにして、仕事しねえかっ」
厨房で鍋を振るっている逞しい中年から、叱責が飛んできた。この店の主でマーボという。職人気質で気性が荒いところがあるが、ヴァルが来た時にはいつも一品オマケしてくれる優しい一面も持っている。
「あのおっさん、黙って仕事だけすれば一流の料理人なんだけどね」
ショウナはヴァルから注文を受けると、舌を出して厨房に戻った。
ティマスを待っている間に、テーブルの上に料理が次々と並べられた。手を伸ばしたい衝動に駆られるが、グッと堪えて匂いだけを堪能する。注文した料理を運んでくる度に、ショウナは冒険譚をせがんだので、小刻みに今回の魔物退治の顛末を語った。途切れ途切れなので、聞いて楽しいのか疑問に感じたが、ショウナは興奮気味に質問を投げ掛けたりしたので、少なくとも退屈とは思っていないようだった。
「なんだ。先に食っててよかったのに」
入店したティマスは、すぐにヴァルを見つけた。彼女の対面に座り、大声でエールを注文した。
「あ、いけないんだ。昼間っからお酒なんて。コネカさんに叱られるわよ」
コネカというのは、ティマスの妻だ。普段は朗らかで優しいのだが、怒ると大の男でも敵わないくらい怖い。以前に流れ者のチンピラとトラブルが生じた時など、相手が喋れなくなるほど怒鳴り、手当たり次第に物を投げつけ、手が付けられないことがあった。街の男が数人掛かりでやっと宥め、その隙にチンピラを逃がしたくらいだ。
ティマスは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに破顔を取り戻した。
「硬いこと言うな。商品を届けた時点で、今日の仕事は終わったようなもんだ。それに、ヴァルと一緒に飯なんて久し振りだからな」
ティマスの何気ない一言が嬉しくなる。照れ臭さを隠すために、ヴァルも一杯付き合うことにした。
料理はどれも美味だった。好みのものばかり注文したので当然だったが、空腹という調味料がなくても、何度も味わいたい美味さだ。特にルターの店の名物である鶏肉のカラアゲは絶品だ。ザクッと心地好い音を立てて口内に放り込む。ギュッと噛むと肉汁が迸り、鶏の甘味とスパイシーな衣の刺激が渾然一体となって、例えようのない美味さが広がる。今際の際に食いたい物を問われたら、迷うことなくこれだと答える程の美味だ。
ティマスも旺盛な食欲を見せた。よく食べ、よく喋り、よく笑った。エールが全身を巡り、程よくリラックスしてきた時、一人の男が二人の間に立って話し掛けてきた。
「よう、帰ってたのか。ヴァル」
ヴァルは露骨に顔をしかめた。せっかく美味い食事を楽しんでいたのに、食欲が減退した気分になった。




