気塞ぎの帰路
タヨトに着いた。
予想していたことだが、ゴンは瞬く間に道行く人の注目を集めた。股間ギリギリの丈しかないマントを羽織っているだけなのだから当然である。
ある者は露骨に顔を顰め、ある者は好奇な眼差しを向けている。若い女性の中には、顔を赤らめながら股間をチラチラ見ている者もいた。
顔を赤くしたいのはこっちよ。
ヴァルは恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
私はこいつとは他人。私はこいつとは他人。
呪文のように繰り返し呟いてみても、人々の好奇心は、ゴンだけではなく自分にまで及んでいるのは明らかだ。チクチクと刺すような視線が肌を通して伝わった。
「ほう。なかなか活気のある街じゃないか」
当の本人は浴びている視線など意識の外らしく、街の様子に興味津々だ。それがまた憎たらしい。
「ここまで案内したんだから、あとは自分でなんとかしなさい」
「なんだ? もう別れるのか。せっかくだから飯でも一緒に……」
「街までは案内するって約束だったでしょ。あとは知らないわよ」
「冷たいな。裸で抱き合った仲だろうが」
「あんたねぇっ!」
さっきまでとは違う火照りに顔を赤くし、ヴァルはゴンの胸ぐらを掴んだ。
周囲から悲鳴が上がるが、妙なほど黄色い。視線を下に向けると、先っぽが顔を覗かせていた。
「ぎゃあっ! 変態っ!」
「無礼な。おまえがやったんだろうが」
「こ、このっ……」
二人の周りに人が集まりだした。これ以上騒ぎになったら、衛視まで出動しかねない。
「ちょっとこっち来なさい」
ヴァルはゴンの手首を掴んで引っ張った。
人気のない場所まで行くと、ヴァルはレザーポーチから宝石を取り出した。小粒で形は歪だが、紛れもなく本物の宝石だ。
「はい、これ」
「ん? なんだ?」
「ゴンが倒した魔物よ。拾っといたの」
「さっきの異形を退治した礼か。それは取っておけ」
「え?」
「民を護るは王の務めだ。当然のことをしただけで、礼など受け取れん」
ゴンの妄想には辟易したが、こうも徹底されると怒るのも馬鹿らしくなる。ここまでくれば、ある意味幸せな人生を送れるのかも知れない。
ヴァルは強引に宝石を握らせた。
「いいから受け取っときなさい。なにをするにもお金はいる。そんなんでも、換金すれば服くらい買えるし、残ったお金で夕食にもありつけるわよ」
「そうか。いつまでもこの格好というわけにはいかんな。じゃあ、これは返そう」
ゴンがマントを脱ぎかけたので、ヴァルは慌てて止めた。まるで露出狂を前にして混乱しているように映り、体裁が悪いことこの上ない。
「いらないわよっ。男が素肌の上に纏ったマントなんてっ。それにここで脱いだら、どうやって店まで行くつもりよっ」
「そう言われればそうだな」
ゴンは屈託なく笑った。けっして悪い人間ではないのだ。しかし、悪者ではないからといって、親しくなれるかは別問題だ。
「じゃあ、私は行くからね。上手くやりなさいよ」
ヴァルがさっさと立ち去ろうとすると、背中に話し掛けられた。
「ヴァルは騎士なのか?」
「……いいえ。どうして?」
「おまえの太刀筋はしっかりしていたからな。どこかの流派で修行を積んだのかと思ってな」
ヴァルは意外な思いでゴンを見つめた。確かに師と仰ぐ者がおり、剣の修業をした。しかし、ゴンに腕を見せたのは彼の喉に切っ先を突き付けた時だけだ。あの一瞬で技量を見抜いたというのか。
「……確かに自己流ではないけど、私は騎士ではないわ。依頼を請け負って報酬を稼ぐのを生業としている冒険者よ」
「つまり、仕えている者はいないのだな?」
「そうよ。それがなにか?」
「なら丁度いい。俺の仲間にならんか?」
「はあ? なんで私があなたの部下なんかに……」
「部下ではない。仲間だ。魔王が化け物を配下に置いているなら腕の立つ仲間が必要になるだろうし、こっちの世界に詳しい者がいれば心強い」
「またわけのわからないことを……」
ヴァルは心の中で嘆息した。
これまでに魔王討伐に挑んだ者がいないではない。いずれも凄腕と讃えられる強者ばかりだった。しかし、例外なく出発時の後ろ姿を見たのが最後となり、生きて帰ってきた者は一人もいない。パーティの仲間で帰ってきた者も皆無で、つまり全滅したと考えるしかないのだ。
最近では、腕っぷしを自慢する者も魔物退治が関の山で、魔王討伐に名乗りを上げる者などいなくなって久しい。世界中が魔物に支配される時が来るのを見て見ぬふりをしている。仕事の疲れを酒で麻痺させ、心の奥底に巣食う不安を逢瀬でごまかし、その日その日を生きているのだ。
それをこの男は、まるでぶらっと散歩でもするかの如き軽さで実行に移そうとしている。本物の馬鹿なのか、それともからかっているのか。
「そんなこと考えてる暇があったら、とりあえずは身なりを整えなさい。それから、落ち着いたらお金を稼いで生活できるようになること。タヨトにも冒険者ギルドはあるから、なにかしら仕事にありつけるはずよ」
「魔王を倒さねば、生活もなにもないのではないか? 放っとけば、いずれ民に仇なすのだろうが」
痛いところを突かれて、とっさの反論ができなかった。だが、簡単に魔王を倒せるなら、とっくにどこかの誰かがやっている。数多の英雄が敗れ去った今、魔王討伐など妄言としか受け取られない。
「……人間が滅ぼされるわけじゃないし、魔物の軍勢に攻められたなんて話は聞かないし……。今すぐどうこうなるってことはないわ」
「つまり、薄氷の上に構築されている偽りの平和というわけか」
「なっ」
「一点でも穴が開けば、そこから冷たい水が溢れ出し、ついにはなにもかもが水底に沈んでしまうぞ。そうなった時、人が恨むのは魔王でも魔物でもない。同じ人間よ。所詮人というのは、自分より弱い者にしか感情をぶつけられないからな」
「知ったふうなこと言わないでっ! みんな必死に生きているのっ!」
「明日に怯えながらな。そんな環境で人生を謳歌していると言えるのか?」
「じゃあ、じゃあどうしろってのよ? 命を捨てる覚悟で魔王に挑めばいいのっ? そんなことをしても誰も讃えてくれないわ。馬鹿なやつだって笑われながら死んで終わりよっ」
「怯えながら年老いていくより、その方がずっとマシだ。自分として生きられない、立ち向かうべきことに背を向けて一生を送るくらいならな」
ゴンの言葉はヴァルの内側に波紋を生じさせた。一滴の雫が落ちた程度の小さなものだったが、これまでに経験したことのないひどく心を搔き乱すざわつきだった。
「結果を出したから英雄なのではない。誰もが逃げ惑うことに立ち向かうから英雄なのだ」
今度の言葉は雫どころではない。鋭い槍だ。ヴァルは体の中心を貫かれた感覚に、息が止まる思いだった。
「……言うだけなら誰でもできる」
「ならばこれから起きることを刮目していろ。人々の噂に傾聴していろ。俺がただの大法螺吹きか真の英雄かすぐにわかる」
「あなた……本気で魔王を倒そうと考えているの?」
「俺はそのためにこの世界に来た」
驚愕を通り越して唖然とする。この男の得体の知れない自信はどこから湧き出ているのか。
「共に旅ができないのは残念だが、世話になった。縁があったらまた会おう」
ゴンはそう言い残すと、ヴァルに背を向けた。丈の足らないマントを羽織った後ろ姿も嘲弄的だったが、笑う気になれなかった。
ヴァルはゴンの姿が見えなくなるまで、その場から動くことができなかった。
一夜が明けた。雨戸の隙間から射し込んでくる朝日に起こされ、不機嫌に伸びをする。昨夜は奇妙な男に遭遇してしまい、完全にリズムを狂わされた。微睡みの中で真っ先に思い浮かんだのは、朝食のことでもシャワーのことでもなく、ゴンの説教じみた主張だった。
偽りの平和。目を逸らしている脅威。
誰もがわかっていながら、けっして口には出さない現実。ゴンの言葉は心の染みとなってこびりつき、一夜明けただけでは消えていなかった。目覚めると同時に彼方へ消え去ってしまったのは、夢の方だった。もう思い出せないが、愉快な内容ではなかった気がする。そのせいか、疲労が残っているみたいに体が重たい。
どんなに気分が落ちこもうと、体調が優れなかろうと、昇りゆく太陽を止めることはできない。ヴァルは鬱陶しい気持ちを跳ね除け、強引にベッドから体を引き剥がした。
「背中が痛い……。安い宿はこれだから」
安眠できなかったのを安普請のベッドのせいにし、一日をスタートさせた。
宿屋で軽く朝食を済ませ、帰路に着いた。ヴァルが暮らしている街はイデザといって、歩いてでも半日と掛からない。夕刻前には自宅でくつろぐことができるはずだ。
……あいつ、昨夜はどこに泊まったのかしら。ちゃんと食事にはありつけたでしょうね。お腹空かせてなきゃいいけど……。
気がつくと、ゴンのことを考えていた。
「なんで私があんなヤツの心配をしなきゃなんないのっ」
道行く人がヴァルの大きな独り言に振り向く。
焦って思考をリセットし、依頼の報酬の使い道や今後の計画について考えるのだが、いつの間にか内容はゴンのことに戻っていた。
あの男は登場の仕方から態度や発言まで、印象が強すぎたのだ。
自分は王とか、こことは違う世界とか、いっちゃってるところはあったが、魔物に殺されたのでは寝覚めが悪い。
「やっぱり、少しくらい一緒にいてあげればよかったかな……」
早く帰り着きたいはずなのに、ヴァルの足取りは妙に重たかった。
「ヴァル。なにしょぼくれて歩いてんだ」
いきなり後ろから話し掛けられた。振り返ると、馬車の御者台からでっぷりと肥えた髭面の中年が笑っていた。
「ティマスさん」
男はティマスといって、ヴァルの自宅の近くで牧場を営んでいる。ヴァルが今の寝床に住み着いた時から、なにかと世話を焼いてくれている気のいいご近所さんだ。
「こんなところで、なにしてんの?」
「仕事の帰りさ。うちの牛乳やチーズを卸してきたところだ」
「え〜。ティマスさんのところって、タヨトなんかにまで商売してたんだ」
気兼ねなく話せる間柄ではあるが、仕事の詳細などはなかなか触手が伸びないので、知らないことも多い。
「数年前からな。うちで作るチーズは、結構人気があるんだぜ。ヴァルこそ、仕事は終わったようだな。依頼が出てた魔物退治の件だろ? どこもケガしてないだろうな」
ティマスはヴァルが冒険者ギルドで仕事を請け負って生活しているのを知っている。何度も危ないからと諭されたが、だからといってやめるわけにはいかない。働かざる者食うべからずいう訓えもある。
彼が経営する牧場を手伝わないかと誘われたこともある。決して世間の中で見劣りのする仕事だなんて思っていないが、彼女が目標に掲げている生き方とは違かった。どうしても行き詰まった時には世話になると保留にしているが、ティマスは嫌な顔もせずに楽しみにしていると、果たされるかもわからない約束を待ってくれている。
「帰るんだろ? 乗っていきな」
「いいの?」
「ああ。俺ももう帰るだけだからな。昼前には着くから、一緒に飯でも食おうや」
「奢ってくれる?」
「おいおい、そっちの方が稼ぎがいいんじゃないのか?」
ティマスは屈託なく笑う。一瞬、この人でも魔物に支配されるのに脅えているのだろうかと頭に過ぎり、慌ててかき消した。あちこちで魔物が不穏な活動をしている話は入ってくるが、それはまだ対岸の火事だ。いくら魔王が世界の支配を目論んでいるとしても、こんな辺境にまで手を伸ばす意味なんかない。それとも、ゴンは自分に関係ないからといって見て見ぬふりをするのかとでも言うだろうか。
「………………」
急に塞ぎ込んだヴァルを、ティマスは怪訝に感じた。思っている以上に今回の依頼が大変だったのだろうかと心配になった。
「どうした? 黙りこくって」
「ううん。なんでもない。早く帰って汗を流したいわ」
「その前に飯だろ。労働した後の飯は美味いぞ」
ヴァルが隣に乗り込むのを確認すると、ティマスは馬をゆっくりと走らせた。




