夢に近づき、憧れに触れた
「うん。できた」
愛はハイサイドオーディションに送る書類を完成させ、高々と掲げた。
少しでも綺麗な字でと、十数枚も書いたプロフィール。
同封するスナップ写真も、服装や角度を変えて一〇〇枚近く撮り、納得のいく物を選んだ。
気がつけば、応募書類の完成に一週間も費やしていた。
「完璧。間違いなし」
出来上がった最高の書類を、オーディションに送った。
合否が伝えられるのが、約一ヶ月後。
愛はいままでの人生で、もっとも長く感じる一ヶ月を過ごした。
いつからか、帰宅時に郵便受けを開けるのが、愛の日課になっていた。
変わらないルーティンであったが、日々が過ぎ返事の期限が迫るごとに、郵便受けを開く愛の手は重くなっていく。
今日もそうだ。
「せぇ~の」
最終的には、掛け声がなくては開けられないほど緊張していた。
「あっ」
はがきが入っていた。
手に取り、宛名を見た。
中峰愛様。
送り主は……『ハイサイドオーディション選考委員代表・楓静』
はがきを胸に抱き、自室に駆け込んだ。
胸じゃなく耳で鼓動を刻んでいるような錯覚を起こすほど、心音がうるさい。
手も足も、信じられないほど震えてる。
深呼吸を繰り返した。
回数とともに、落ち着いてきた。
瞳を閉じ、世界に蓋をした。
ゴクッとつばを飲み、目を開きながら、はがきを裏返した。
『第一次選考通過のお知らせ
この度、『ハイサイドオーディション』にご応募いただき、まことにありがとうございます。
第一次選考である書類審査を通過されたことを、ここにお知らせします。
なお、第二次選考の面接を下記の日程で通り行いますので、当日このはがきをご持参のうえお越し下さい』
という文字が書かれてあった。
二〇××年五月三日(祝日)午前十時。
フィールアクス本社。
担当者の名前と連絡先。
最寄り駅からの地図。
文字とともに、それらのことが書かれたはがきが、愛の手の中にある。
もう一度はがきに目を通した。変わることのない文面。
嬉しさが爆発し、部屋中を飛び跳ねた。
夢は、一歩現実に近づいた。
それから時間はあっという間に過ぎ、二次審査の日が来た。
愛は『ハイサイドオディション』の二次選考を受けるべく、都内のオフィス街にあるフィールアクス本社に来ていた。
茶色の外観とは反対に、中は磨かれた白いタイルが清潔感を与えている。
大きなガラス張りの玄関から差し込む陽光が、社内全体の印象を明るくしていた。
特筆すべきは天井の高さで、普通のビルの倍近くあるのではないだろうか。
緊張もしていたが、
(ここがWILLの所属する会社。ばったり会ったりなんかしちゃったりして)
万が一の可能性に、胸が躍っていた。
キョロキョロしながら社内を歩き、愛は受付の若い女性に声をかけた。
「『ハイサイドオーディション』を受けに来たんですけど」
「こちらから送らせていただいたおはがきはお持ちですか? それと、お名前を確認させてください」
はがきを差し出し、名前を告げた。
「中峰愛様ですね。確認が取れました。今、担当の者が降りてきますので、少々お待ちください」
担当者を待っている愛の横を、思わぬ人物が通り過ぎた。
「あ!!」
自分でもびっくりするほどの声をあげた。
「きゃっ」
その声に驚き、相田めぐみも小さく飛び上がった。
「なに?」
めぐみが辺りを見渡す。
驚きで身を固める愛と目が合い、
「どうしたの」
と訊いてきた。
(うっわ~、きれいだな~)
色が白く、透き通るような肌。大きな瞳をしっかりと守る長いまつ毛。髪の長さはセミロングで愛と大差ないが、一本一本は比べようがないほどサラサラしている。
愛は漏れそうになるため息を、必死に抑えた。
「あなた新人の子?」
「はっ、は、いいえ」
うなずきそうになってしまった。
「あら違うの? それじゃあ、なんでこんなところにいるの?」
めぐみが小首をかしげた。
その姿も、かわいい。
「その子は中峰愛ちゃん。『ハイサイド』の二次を受けに来た子ですよ」
愛の代わりに、受付嬢が説明してくれた。
「ああ、先輩の。へえ~、じゃあどこかで会うかもしれないわね。そのときはよろしくね、愛ちゃん」
気さくに微笑みかけてくれるめぐみ。
その笑顔は、『エンジェルスマイル』と呼ぶにふさわしかった。
愛が男なら、一発で恋していただろう。
本物おそるべし! だ。
「め、めぐみさん!」
「ん? なあに?」
「ファンです! サインください」
意を決して言った。
顔が熱い。
見なくても断言できる。愛はいま、真っ赤になっている。
「ふふっ」
と、めぐみが微笑んだ。
顔の熱さが2℃くらい上がった。
これ以上直視していたら、倒れてしまう。それに、これではミーハー丸出しだ。
愛はめぐみから顔を隠すようにかばんに視線を移した。
中身は必要最低限の物しか入れていないので、目的のメモ帳とサインペンはすぐに見つかった。
顔の熱さは冷めていないが、あまり待たせるわけにもいかない。
………
いや、くれる、とは一言も言われていない。
急に冷静になってしまった。
恐る恐る視線を上げると、
「いいよ」
笑顔でめぐみがそう言った。
「ありがとうございます」
お礼と共に差し出したメモ帳とサインペンを受け取り、めぐみがサインをしてくれた。
サインを眺めうっとりする愛のところに、スーツ姿の中年男性が駆け寄ってきた。
「おまたせ。きみが中峰愛さんだね。よろしく」
社交辞令の挨拶をしてくる男性に、
「ちょっと田崎さん。もうちょっと愛想よくしてくださいよ」
めぐみが注意した。
「あれ? 相田さん。その子と知り合いなんですか?」
田崎が首をひねった。
「そうですよ。二分前に知り合ったんです」
「それは知り合いとは言いません」
めぐみが頬を膨らませた。
「愛ちゃん、あたしが会場まで案内してあげる。こんな失礼な人、ほっときましょ」
めぐみが愛の手を引っ張っていく。その手がまた、柔らかい。
田崎が気の毒ではあるが、このチャンスを逃す手はない。
愛はめぐみについて行くことを即決した。
エレベーターで二階に上がり、廊下を歩いていく。
メイク室や録音スタジオなど、見たこともない施設と、社内を行き交う芸能人。そして、めぐみとつながれた手。
オーディション控え室までの距離が、すごく短かった。