20:Death And...
「チョコ……だと?」
自分のありがたい実のある説教(と本人は思ってる)を遮ってまで郷田が尋ねたことが、バレンタインのチョコ程度だったのに苛ついたのか、担当教師はさらに顔を厳しくする。
……世の中の真理とはこういうもので、たとえ教師が“チョコ如き”と思っていようが、郷田にとっては国家機密より重要な案件なのだ。……だから郷田は、教師の向ける鋭い目つきに全く怯むことなく、問いを繰り返す。ついさっきまでの生きた屍の姿はそこには無かった。
「……それは俺が貰ったのと同じチョコなんですッ!! 何でッ、何で先生が同じのを貰ってるんすかァッ!?」
郷田の激しい剣幕に気圧され、教師は怒鳴ろうと開いた口を噤む……。もっとも、彼の脳内では気圧されたことにはなっておらず、“生徒の話を聞き、理解しよう”という極めて真っ当な教育理念を選択したかのように都合良くすり替えられているのだが。
郷田は不意に自分の中に起きた正体の分からぬ衝動に身を委ねる。頭がいつもの何倍も早く回転し、体が熱を帯びていくのを感じていた。
……しかし、本能が警鐘を激しく打ち鳴らす。その衝動に身を委ねた先にある未来が、決して良いものではないことを警告する……!
なのに、止まらない。いや、“止まれない”のだ。……その先で得る真実が、たとえ身を焦がすものであろうとも。蛇の甘言は既に、林檎を食らう運命しか選ばせてはくれない……!
「……先生も貰ったんだよ。深い意味は無い。社交辞令だよ。他の先生も貰っ……、」
「誰ですかァッ!? そのチョコを先生に渡した人物Xはッ!?」
渋々答えた教師の言葉をまたも郷田は遮る。……不必要な情報はいらない。無駄な情報は削除、有効情報だけを抽出。……郷田は、まるで頭脳だけが飛び抜け、自分の体を傍観しているように感じた。
それは今までにない程の早さで頭が回転し、体が何もすることなく過ぎ去るしかない一刹那に、無限の時間を感じているからだろうか。
あるいは、これは破滅に向かう郷田が見ている走馬燈なのか……。
……どちらでもいい。およそ三年間の学生生活が、郷田の頭を一瞬にして巡り回ったのは確かなのだから。
「誰なんすかァッ!!」
もう一度念を押すかのように、郷田は口から唯一の疑問を放つ。
……しかし、心の中でもう一人の郷田がそれを嘲笑った。
聞かなくても分かってんだろォ? 浮かんでんだろォ? むしろ頭に焼き付いて離れなくて、困ってんだろォオ!?
分かってないなら俺が言ってやるぜェ? 三年間、チョコを入れ続けた人物Xは……、
ああぁ、そうだ俺、もうとっくに分かってるじゃないか……ッ。
……授業中にチョコを入れることが出来て。……三年間、俺のことを知っていて。そして、先生達にもチョコを配っていて……。
あぁ、その人は言ってる。“X”にしか知り得ないことを、あんなにもはっきり堂々と、明け透けに……ッ、
あぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁああ……!
「ちッ、違うんや……、郷田くん……ッ、話を聞いてぇや……ッ!!」
獅子に追い詰められ、怯える小動物のように。……野沢はか細い声で許しを乞う。
しかし、無駄。……人の言葉で許しを乞おうとも、無駄。だって、郷田は既に獅子に身を堕としているのだから。
……怒れる獅子。野生の本能が理性の全てを飲み込み、今やその牙を突き立てることに何の躊躇いもない。容赦など期待するだけ虚しく、相手の崩壊すら厭わない。
「……三年間、ずっと喜ぶ俺を見て嘲笑ってたんだろッ! そうなんだろッ!」
それは怒りの激昂。……いや、今の彼には“咆哮”と言った方が正しいのか……。
「わ、私は郷田くんのためを思うて……ッ」
「それで俺を騙してたってのかよッ!? ふざけんなッ、ふざけんなッ、ふざけんなッ!!」
「………………。」
郷田の怒号に、ついに野沢は口を閉じて俯く。……郷田にとっては間に挟まれる言葉が無くなっただけなのだ。野沢は絶え間無い罵声を受けることになる……。
「大体、詰めが甘過ぎなんだよッ、何で先生と同じのなんだよッ、バレても仕方ねぇだろッ!」
……それについては野沢だって対策をとっていたのだ。事情こそ話さないものの、鞄などに隠して机の上などに放っておかないように、チョコを渡した際に頼んできたのだから。
……まぁ、それが裏切られて現在に至るのだ。チョコを違う物にしておくのが最善手だと言われても、何の反論も出来ない……。
「……あんたのやった事を、俺は絶対に許さないからな……ッ!! 毎日差し入れをくれてッ、話をしてッ! ……でかい図体と変な口調の俺が一番心を許せた大人があんただったんだッ。でも、あんたはそれを裏切ったッ!! 話してた時間、ずッとあんたは俺をほくそ笑んでたんだろうな……ッ。俺はあんたを許さないッ、あんたの非道を許さない……ッ。」
……そこまで一気に叫ぶと、郷田は肩で大きく息をしながら野沢の様子を伺う……。
野沢は沈黙したまま立ち尽くしていた……。涙こそ浮かばないが……、いや、それを隠しているからこそなのか、動悸がするようだった。胸を押さえ呼吸を荒くする姿は、見るに耐えない……。
一息に、一方的に自分の怒りの全てをぶつけた郷田も、その姿には胸が痛む……。
郷田は本当に野沢のことを信頼していた。だから彼女に罵声を浴びせている時の痛みは、まるで口から血を吐くようなものだっただろう。
……胸に刺さっていた哀しみの破片を怒りによって解き放ち、野沢に向けて飛ばしたのだ。だから、それに刺された野沢が哀しみの表情を浮かべるのは当たり前のことなのだ。
なのに。……解き放ったはずの郷田の哀しみはいまだ消えなくて……。むしろ破片が奥深くに突き刺さり、体に埋まって消えない傷を残すまでに悪化したように彼には感じられた……。
郷田だって分かっていたはずなのだ。……しかし、獣のように高ぶった心では考えることが出来なかった。
誰も幸せになんてなれない、救えない。自分すらも、救えない。
自分がすることが、何も事態を好転させない、むしろ悪化させるだけだと、郷田だって気付いていたのだ……。
それが燃え上がる怒りに飲み込まれて。再び気が付く頃には全て終わってて。
いたたまれなくて。忍びなくて。切なくて。やるせなくて。
気が付いたら走り出していた。遠くへ遠くへ。
学校で目を合わせることも無くなって。
受験に合格したら盛大に祝ってくれる、って約束も果たされなくて。
……卒業式でも会うことが出来なくて。
そして、何も出来ないまま。……郷田は後悔を抱えて、変わり映えの無い日常を過ごしていくのだった……。
とあるBBSに遭うまでは。




