第四十話 ドルカちゃんは今日も通常運転
「きゃっ! ……え、あれ? アッシュちゃん、なんで……?」
「……ヒントは、マヤリスがくれたんだ」
アッシュはずっと考えていた。マヤリスが『ドルカのラッキーによるもの』だと考えた香水の無害化について、ドルカが大根達を生み出した時と、アッシュ自身が産み出した時の違いを。
「肝心の大根共を生み出した瞬間のことをよく覚えてなかったせいで中々考えをまとめるのが大変だったけど、でも、その場に居合わせた俺が、俺だけがわかる違いがたった一つだけあったんだよ」
「違い……?」
恐らく腕力でもアッシュを遥かに上回っているはずなのに、何故か大人しく組み伏せられたままのマヤリスが、恐る恐る聞き返す。その質問に、アッシュは無言で右手を突き出して答えた。
「何それ……? ドルカちゃんの麺棒?」
そう、それはドルカが実家から拝借してきたという謎の木材で作られた麺棒であった。
「身体が動かないことに気付いた瞬間から、ずっとこの麺棒が視界に入ってはいたんだ。あいつ、ポシェットも何もかもそのままでベッドに飛び込んだっきりグースカ眠り始めただろ? 腰にこんな棒切れ差したままじゃ寝辛いだろうって思って、外してやって、ベッドのすぐ脇に立てかけて置いたんだ。だから、腕さえ動かせるようになれば手を伸ばして掴み取るのは簡単だったんだ」
「……ちょっと待って!? あり得ないわぁ! 私の毒の調整は完璧だったはず! ちゃんと丸々一晩は身動きが取れなくなる量の毒を盛ったはずなのに、どうして……?」
どうしてそもそもこの麺棒を掴み取ることが出来たのか。
「それもやっぱり、この麺棒のお陰なんだよ。というか、多分ドルカの体力や魔力が無尽蔵なのもこの麺棒のお陰なんじゃないかと思ってる。この麺棒、俺には元の材木が何なのかまではさっぱりわからないんだけど、『触れたものを無尽蔵に回復し続ける効果がある』んじゃないかな」
「……え?」
そう、アッシュは思い出したのだ。アッシュが大根達を生み出した時、香水のボトルが割れて水たまりを作っていた床に、ドルカの麺棒が転がっていたことを。そして、ドルカ自身が、この麺棒を使って打たれた蕎麦を食べ続けた家族が驚くほどに健康になったと言っていたことを。
「ドルカの腰に差さってた麺棒を引き抜いて立てかけるまで、ほんの数秒だったから完全な回復とまではいかなかったけど、それでもそのたった数秒の間に、俺の身体に回った毒が少しだけ取り除かれていたんだと思う。おかしいと思ってたんだ。後半になるにつれ、徐々に舌がもつれずに話せるようになっていったし、全く力が入る気配さえなかった指先もちょっとずつ動くようにもなっていっていたからさ」
そう言われてみて初めて、マヤリスもまたその事実に気付き、戦慄する。自分が見落としをしていたことにではなく、アッシュがマヤリスの話を聞きながらもずっと自分の身体の調子を確認し続けていたことに。そして、回復の兆しを感じ取ったことで、一秒でも長く時間を稼ごうと、マヤリスがついつい饒舌に話し続けたくなるように相槌を繰り返していたことに。
その冷静さ、そして一瞬の隙を見逃さず、一切を顧みず全力で飛び込んでいける胆力。
「……勝てないわけだわぁ。ほんの少しでも希望があるなら決して諦めず、決して折れずに淡々とチャンスを待ち続けられる強い心の持ち主と、奇跡のような可能性を現実にするだけの運に恵まれた女の子のコンビ。そんなの……そんなの最強に決まってるじゃない」
そう呟いたマヤリスは、悔しそうな口調とは真逆に妙に清々しい、さっぱりとした顔で笑っていた。
「……それで、アッシュちゃん。私のこと、いつ解放してもらえるのかしら? ……それとも、このまま続きを期待しちゃってもいいのかしらぁ、『だ・ん・な・さ・ま』?」
「あっ! いや、こっこれはなんというか、気を抜いたらまたいつマヤリスに逆転されるかわからなかったからで、その他意があったわけじゃなくて……!」
「ふふっ、冗談よ」
慌ててマヤリスの上に覆いかぶさるようにして組み伏せている状態から飛び上がる様にして離れたアッシュに対し、マヤリスはくすくすと笑いながら呟いた。
「(そう、冗談。……今はまだ、ね?)」
子供の頃から幾度となく聞かされ、憧れていた両親の馴れ初めのシーンを再現するどころか、毒を跳ね除け一瞬の隙を突いて自分を組み伏せたアッシュ。事前に毒を盛られることを予感していた父親でさえ、母親が相手では手も足も出なかったのに。父と母、両方の技術をとっくに両親以上の水準まで鍛え上げてきている自分を相手に、一歩も引かないどころかこうして一瞬の隙をついて組み伏せ、形勢逆転まで持っていくだなんて。
男女の差があるとはいえそこには新人と魔窟のトップ冒険者という次元そのものが違う程にその実力は隔絶している。元々の鍛え方も身体の使い方も日々の練度も違うのに、その気になれば組み伏せられている状態から抜け出し、動きを封じ返すことは容易かったはずなのに、何故自分はアッシュに組み伏せられて、そのまま素直に動きを封じられたままで居たのだろうか。何故、その状態がもっと長く続けばいいと願ってしまったのだろうか。
マヤリスは、つい先ほど無力化したアッシュを眺めている時のゾクゾクとはまた違う、もっと優しくて柔らかく、それでいて切ない感情が芽生え始めていることに気付き始めていた。
「ああそうだ。マヤリス、ドルカの毒ってどんなもんだったんだ? このまま朝までほっといて良いのか、それとも俺と同じようにこの麺棒で早めに解毒してやった方が良いのか教えてくれよ」
「そうね、私の毒は対魔物用のものでもない限り基本的に後遺症は起きないように調整しているからどういう方法で毒を取り除いても大丈夫のはずだけれど、一応確認するわね。……あらぁ?」
そう言ってすぴよすぴよと気持ちよさそうに眠っているドルカのベッドに座り、体温やら脈拍やら目の動きやらをテキパキと確認し出したマヤリスが、何やら不可解な表情を浮かべてぴたりとその手を止めた。
「どうしたんだマヤリス? ……もしかして、ドルカの様子がおかしいのか?」
「いや、なんていえばいいのかしらぁ? おかしいと言えばおかしいのだけれど……」
アッシュが心配になって、マヤリスの隣に並んでドルカの顔を覗き込んだ瞬間に、マヤリスは言った。
「……この子、毒とか関係なしに普通に寝てるだけみたい。その麺棒を腰に下げてる時点で毒は完全に無効化されてたんじゃないかしら」
――ということは。
「お前さっき散々声かけても揺さぶっても起きなかったのは、ただただ寝つきが良すぎただけかよぉっ!?」
「えへへへー、アッシュ君すごーい。ドラゴンを生で食べてる……」
「そしてお前はこのタイミングで一体どんな夢を見てやがるっ!」
――昼間は余力など考えず全力で遊び倒し、夜は一瞬で死んだように眠る。アホの子であるドルカは、15歳になった今もなお野山を本能のままに駆け回るちびっ子そのものの生態をしていた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
次話の投稿は明日7時の予定です。
よろしくお願いいたします。