第三十九話 マヤリスちゃん大暴走
「アッシュちゃんってば、やっぱり鈍感なのね……。ここまで説明しないとわからないだなんて。ねえ、アッシュちゃん? 私は不思議で仕方が無いの。こんなに弱い、何も知らない新人さんの二人が、一体どうやって私の毒を無効化して、良い効果だけを増幅させることが出来たのか」
「……? 一体、なんの……?」
マヤリスの美しく輝くエメラルド色の瞳が、すっと細くなる。
「しらばっくれても駄目よ? あんなに目立つ形でやらかしておいて、隠し通せるわけがないでしょうに。……さあ、教えなさぁい? 『私の香水』で育った大根が、何故毒を持っていなかったのかを」
そう言われてようやくアッシュもまた、一つの事実に思い至る。
先日の対ディアボロス戦で、ドルカに向かって放たれた魔法を身を挺して庇った大根が、一瞬で大根卸しとなり爆発四散した際、その大根卸しが目に入ったディアボロスは「ここまで読んで毒を仕込んでいたのか?」と戦慄していた。
その一方で、アッシュが借金バーサーカー状態になった時に、戦いの最中取り落とし、地面に水たまりを作ってしまっていた香水目がけ手持ちの大根の種を全てぶちまけた大根は、ショイサナの市民達の夕食として美味しく召し上がられてしまったらしいが、特に何の被害の声も上がっていない。
「アレクサンダー達を作ったのはドルカで、大量の大根を生み出してバラまいたのは俺……。ドルカが作った大根は間違いなく有毒だったはずなのに、俺が作った大根達は無毒だった……?」
「その通り。普通に考えて『あり得ない』わぁ。あの稀代の天才とまで呼ばれた錬金術の腕前を持つお父様でさえ、その自らの全てを使って自生する植物や野生の生物が持つ毒を無毒化しながら香りだけを抽出するのが精一杯。『育った後に毒を持たせることありき』で作った私の植物を強制成長させる香水を、『毒だけ消し去って』『植物を成長させる要素は大幅に強化して』、そんなことあり得るわけがない! 毒物関連に限って言えば私はもうとっくにお父様を超える錬金術師よ? その私が、丹精込めて作り上げた芸術を、冒険者になったばかりの何もわかっちゃいない平凡な男の子が大幅に改良して見せたなんて、そんなことって、そんなことって……!」
矢継ぎ早にまくし立て、声を震わせながら俯くマヤリス。そうか……。どうやら、自分は知らぬうちにマヤリスの矜持を傷つけてしまっていたらしい。だから、マヤリスはアッシュとドルカの二人に冒険者の先輩として近付き、あれこれ教えるふりをしてその秘密を探りに来たのだ。それならば、こうして今ドルカが眠らされ、アッシュもまた毒で身動きを取れなくされていることは理解できなくもない。
「マヤリス、わざとじゃなかったとはいえ、お前の矜持を傷つけてしまって、本当に申し訳な」
「……最っ高じゃなぁい!」
「……は?」
『最低』の聞き間違いだろうか。しかしそれにしては顔を上げたマヤリスは頬を紅潮させ、潤んだ瞳がキラキラと輝き、怒りという感情はどこにも見当たらない。
「ねえアッシュちゃん? 私、とっても驚いたしとっても怒ったの。でも、不思議なことにそれ以上にゾクゾクさせられて、一体どんな人が私を超える何かを持っているのかって気になってしょうがなくなっちゃったのよ! ……私の香水を買っていったのはドルカちゃんだったけど、あの子の仕業じゃないことは一目瞭然だったしね」
ベッドとベッドの間に座り込んでいるアッシュからは見えなかったが、ドルカは今も幸せそうな締まりの無い顔ですぴよすぴよと眠りこけ、時折ぽりぽりと身体を掻く音や寝返りを打つ音、えへへあははと謎の寝言まで聞こえている。敢えてはっきりとは言わなかったが、どこに出しても恥ずかしいレベルのアホの子であるドルカが自らの最高傑作に手を加えられるはずがないと踏んだマヤリスは、最初からその仲間であるアッシュに目を付けて近寄ってきたのである。
「……まあ、蓋を開けてみればドルカちゃんは意味がわからないレベルで運が良い子だっていうことがわかって、私の香水の無害化もそのドルカちゃんのラッキーによるものなのかも? とは思い始めているのだけれど」
「だったら、もういいだろ……!? はやくこの毒を、治してくれ……!」
そうアッシュは懇願する。仲間に毒を盛るという行為の是非はこの際どうでもいい。というか魔窟の冒険者相手にそんな常識を求めても無駄だということはこの数日間の間に悲しくなる程に理解できてしまった。ただ、魔窟において一流と呼ばれる冒険者達に共通しているのは、彼らは彼らなりの理屈で動き、その信念がブレることはまずありえないということである。マヤリスにはマヤリスの理屈があってドルカとアッシュに毒を盛り、こうしてアッシュとの対話を望んだのだ。
マヤリスの願いは、アッシュ達がどうやって自分の作った香水の毒を無害化することが出来たのかを知ることと、アッシュという人間の本質を見定めること。であれば、もう既に見極めは終わったはずで、無害化できた方法はそもそもアッシュに効かれた所で答えられそうもないことはわかってもらえたはずである。しかし、マヤリスの返答は意外なものであった。
「そうしてあげたいのはやまやまなのだけれど……」
相変わらず頬を紅潮させ、瞳を潤ませたままベッドに腰掛けくすくすと笑っていたマヤリスは、そう言うや否や再びアッシュが座り込んでいるベッドとベッドの合間の床に降り、アッシュにしなだれかかるように正面から身を寄せて来る。
「私、さっきから変なの……。毒でろくに身動きが取れないのにいつも通り必死で冷静さを取り繕いながら頭を回転させて、この状況でも私相手に対等に言葉を交わそうとしてくるアッシュちゃんを見て、私、ずっと身体中のゾクゾクが止まらないの……!」
先ほどと同じように、マヤリスは投げ出されたアッシュの両足の間に身体を割り込ませ、身を乗り出してアッシュに近寄っていく。先ほど違うのは、それでも一切自分からアッシュに触れないようにすることで返ってアッシュにマヤリスという存在を、気配を全身で感じさせようとしていたのに対して、今のマヤリスはアッシュが毒によって身動きが取れないことをいいことに、そのほっそりとした人差し指でつま先から膝、腰、腹、胸……とつつつつ、となぞってみたり、割り込ませた身体を投げ出されたままの足に擦り付けるようににじり寄ってきていることだろうか。
「マヤリス……! 一体何をっ……!?」
つつつ……と足の先からどんどん上へ上へとなぞっていっていた指先が、鎖骨を通り、首筋を伝い、アッシュの唇で止まる。
「その目……! これだけのことをされてもまだ怯えるより先に、制止するより前に『理由』を知りたがるその好奇心! ねえ、アッシュちゃんは何をしたら折れるの? 折れた時どんな風になるのかしらぁ! どれだけ呼吸をしても息苦しさを感じるようになる毒は? 足の先から頭のてっぺんまで服で擦れただけで焼きゴテを当てられたかのように痛み続ける毒の方がいいかしら? ねぇ、アッシュちゃん……。私、もう我慢できないの。アッシュちゃんをめちゃくちゃにしたいの。ねえ、いいかしら? いいわよね? だってアッシュちゃんは何をしても折れない強い人だものね? 私の全てを受け止めてくれるわよね? 大丈夫、責任は取るわ! 私の方がちょっとだけお姉さんだけど、16の頃から毒で身体の成長を止めているから身体は年下みたいなものよ? 17歳のアッシュちゃんに身体は16歳の私。最高に釣り合いの取れた年齢差だと思わない? あぁ! きっとお母様もあの夜こんな気持ちだったのね! 全てを受け入れてくれる旦那様に出会う気持ちってこんなに素晴らしいものなのね……!」
はぁはぁと、荒い吐息がアッシュの顔を撫ぜる距離にまで近付いたマヤリスは、いつの間にやらその手に美しい淡い、煌々と輝くような赤色をした香水の瓶を持っており、ゆっくり、ゆっくりとアッシュの顔にその瓶を近づけていく。
――マヤリスの意識が完全にアッシュの瞳に向いたその瞬間。
アッシュは、左手で香水が握られたマヤリスの右手首をガシッと掴み、その勢いのままガバッと自分に密着していたマヤリスごと身体を起こし、そのまま組み伏せてみせた。
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