第三十三話 宿屋でだってご近所づきあいは大事
「というわけで、ここが私の泊まっている宿よ。まずは私から話を通してくるからちょっとだけ待っててもらえるかしらぁ?」
「……またわけわかんない名前の宿だなぁおい」
心ゆくまでたっぷりと料理を堪能して不純喫茶ガチムチゴブリンを後にしたアッシュ達一行は、今日のベッドを探すべくマヤリスに連れられ魔窟の奥地にひっそりと佇む宿屋『剛腕のベッドメイク』に来ていた。
マヤリス曰く、元A級冒険者が店主であるというその宿は、当時店主が呼ばれていた二つ名である『剛腕』をその名に冠する宿にしたいと1週間考えに考え抜いて閃いたのがこの名前だったのだそうだ。話によると拳一つで巨岩を砕くと恐れられた冒険者だったらしいが、そんな剛腕でベッドメイクと言われても何一つ良いイメージが湧いてこない。1週間悩み抜いて出した結論がコレなあたりやはり魔窟の冒険者達の頭はどうかしている。
「おう、あんたらが『邪毒』の仲間になって俺様の宿に部屋を取ってくれるっていう物好きなお客様かい?」
アッシュがぼんやりそんなことを考えていると、フルプレートメイルを装備していたり大剣を背負ったままでも苦も無く入れるであろう程の大きめに作られた扉から、ぬっと男が顔を出した。その顔には右目から口元まで何かに引き裂かれたような傷跡が残っており、その目からは鋭い眼光が覗いている。
「あ、あんたが『剛腕』……」
「お? 俺様の名前を知ってくれてるのか! とんでもねぇ冒険者が次から次へと出てきちゃ消えていく街だからな、俺様のことなんざもうとっくに忘れ去られてるかと思ってたぜ!」
底抜けに明るい口調でそう言いながら、『剛腕』のドログはアッシュ達を宿の中へ招き入れる。実は、ここに来るまでの間にマヤリスから名前を聞いただけだった、とはとても言い出せない空気のまま、ドログは上機嫌に話を続けていく。
「あんたらが最近街で噂のすげー新人なんだろ? あんたらといい『邪毒』のねーちゃんといい、最近の奴らはとんでもねぇ若さでとんでもねぇことをやらかすからこっちも驚かされてばかりだぜ。この俺様も現役の頃はそれなりに腕が立ったし、『剛腕』なんて二つ名で呼ばれるまでにはなったけどよ? そこまで行くのに15年だ15年! それを『邪毒』のねーちゃんがたった1年でとんでもねぇ奴が現れたって噂になった時でさえ驚かされたのに、たった一日でそれ以上に名を売る奴が現れるとは思ってもみなかったぜ! ……ほらよ」
アッシュ達を中へ招き入れロビーの椅子に座らせるや否や、一方的にしゃべり続けながらもカウンターに引っ込み何やらごそごそやっていたドログであったが、それはどうやらこのためだったらしい。アッシュ達が座らされた席のテーブルに、ゴトリと木のジョッキが3つ置かれた。
「ウェルカムドリンク……って奴らしい。なんでも一流の宿ではこういうもんを出してお客様をもてなすって聞いてなぁ! 早速俺様の宿でも取り入れたってわけよ! 俺様の特性ドリンクだ、まあ飲んでくれや」
「うひょー! おじさんありがとー! 美味しそー!」
「あら、私の分まで用意してくれるなんて気が利くじゃない?」
そう言いながらすっとジョッキに手を伸ばしたドルカとマヤリスに続き、アッシュも目の前に置かれたジョッキに手を伸ばしてみると、そのジョッキはほんのり温かく、よく見るとうっすらと湯気が立ち上っていた。
「あれ? ……あったかい」
「そらあそうだろうが! こんな夜更けに冷えたドリンクなんざ飲んだら目が冴えちまう。この時間だ、もう後は寝るだけなんだろ? あんたらが泊まる部屋をちょっくら整えてくるからよ、それ飲みながらちょっとだけ待っててくれや」
そう言ってドログは2階への階段へ消えていく。生姜と蜂蜜、それと何かの果実の汁を合わせているのだろうか。黄緑という色味からして何かしら薬草の類が入っているはずなのだが、蜂蜜の甘さや果実の酸味の絶妙なバランスによって青臭さやえぐみといったものは一切感じられない。ほっこりとちょうどいい温度に温められたその飲み物は、一口飲むたびに身体の中からぽかぽかと温まっていくようで、その温かさにじんわりと1日の疲れが解れていくかのようであった。
「なにこれおいしー!」
一口飲んでこれは素晴らしいものだと目を輝かせたドルカは、それ以降一口飲んでは「うひょー!」「おいしー!」と叫び声をあげ、そしてまた一口飲むというよくわからない飲み方を始めた。どうやらあまりの美味しさに一気に飲み干してしまわないようにという本人なりの工夫らしい。叫び声とコップを傾ける合間に時々しまりの無い笑顔を挟むドルカはこの上なく幸せそうであった。
「あぁ~、これを飲むと一仕事終えて帰ってきたって感じがするわぁ。美味しいでしょ、これ。ドログさんって現役の頃からパーティでは野営中の料理を担当してたんですって。この飲み物もその頃からちょっとずつ研究を重ねて改良してきた疲労回復の為の特性ドリンクなんですって。あの図体でちまちま研究を重ねてたかと思うと笑っちゃうわよねぇ?」
「おい、聞こえてるぞ『邪毒』」
そんな他愛のないことを話している間にどうやら部屋の用意が整ったらしい。階段を降りてきたドログは階段の途中で立ち止まりアッシュ達について来るようにと手招きをした。
「いやぁ助かるぜ、『邪毒』は年単位で部屋を借りてくれている上客ではあるんだが、お前らも知っての通り毒を使ってめちゃくちゃしやがるだろ? あの毒をうちの部屋で作ってやがるって話でどいつもこいつも気味悪がって『邪毒』と同じフロアには泊まりたがらねぇんだよ。万が一寝てる間に香水(毒)が漏れ出て自分の部屋まで漂って来たらどうすんだってな」
「そうなのよ! ねえ、アッシュちゃんも酷いと思うでしょ? ドログがそう言うから私、自分のこだわりを捨ててわざわざ解毒剤を作って配りまでしたのよ? 『同じフロアに泊まっているマヤリスです、室内で香水を作っているので万が一香りが外に漏れたらごめんなさい。これはその万が一の時に飲む解毒剤です、異変を感じてから3分以内に飲んでくれれば一命は取り留めるはずだから安心してください』って。それなのに気が付いたら私の泊まっているフロアは貸し切り状態。ほんと失礼しちゃうわぁ……」
「いや、どう考えても解毒剤が決め手だろ……」
なんにせよ、そういった事情のおかげで、マヤリスの泊まっている4階のフロアはたまに数泊の泊まりだけの客が入る位で実質ほぼ貸し切り状態であり、拠点として長期間の宿泊を前提に契約してくれる冒険者を渇望していたドログにとってもアッシュとドルカの二人に部屋を貸すのはまさに渡りに船だったのだ。
それはよっぽどのことがない限り空き室があるはずとマヤリスが連れてくるはずである。しれっととんでもないことをやらかしながら平気でいられるマヤリスの図太さに驚きつつ、それに便乗するようになった自分たちも大概どうにかしている、と魔窟の住民たちの図々しさに染まる自分をうっすら自覚するアッシュであった。
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