第三十二話 美少女と一つ屋根の下(ただし相手はドルカ)
「ところで、二人は今日の宿は決まってるのかしら?」
一通り料理を食べつくし、一息ついたアッシュ達一行。次にやることといえば翌日に備え宿でしっかりと睡眠を取ることである。そういえば今日の宿をどこにしているか聞いていなかった、とマヤリスはアッシュとドルカに尋ねた。
「やどー? アッシュ君そこんとこどうなのー?」
「ごめん、すっかり忘れてた……」
陽は既にすっかりと沈んでおり、通りには『ライト』の魔法が込められた街灯がぽつぽつと灯りを灯し始める頃合いである。あらゆる最先端の技術が揃うショイサナにおいても、貴族街や街の中枢を除けば、街灯は街角や交差点に目印として立つ程度であり、後は大きな宿屋や酒場、娼館などの夜にこそ集客が必要な店の一部が自分たちの店の前に目印として自費で立てたものがある位である。
思わず窓から外を眺めてみると、薄暗い道を『ライト』の魔法や『ライト』が込められた魔道具を頼りに歩く冒険者や商人と思われる、ゆらゆらと揺れるぼんやりとした光が道を行き来していた。
「えーっ!? アッシュ君宿取るの忘れちゃったの!? なんで? マーヤちゃん私今日どこに泊まろう……」
「確かに忘れたのは俺だけどありとあらゆる雑務を全部俺に丸投げしておいてその態度はなんとかならんのか!」
「いひゃいいひゃい! あっひゅくんまらほっへらひっはっらー! ほうひっはららいれよー!」
ドルカをもはやお決まりのお仕置きになりつつあるほっぺたびろーんの刑に処しながら、アッシュはこの時間からどうやって空きのある宿を探せばいいか考えてみるが、いかんせんまだショイサナに来て3日目という日の浅さである。思いつく限りの宿を片っ端から当たる以外方法は無いかと覚悟を決めたアッシュに、ずっと話を聞いていたマスターが声を掛ける。
「あらアッシュちゃん、宿取り忘れちゃったの? それならここに泊まればいいじゃない。昨日だってダグラス達に夜まで引きずり回されてそのままここに泊まったわけだし、一晩も二晩も変わんないわよ?」
実際、『不純喫茶』等と銘打っておきながら、マスターことゴブリン顔のオカマであるキャンディが経営するこの店の実態は冒険者達の拠点となる酒場であり宿屋である。
普段はダグラス達『剥き出しの筋肉愛好家』が占拠しているような状態ではあるが、幸いにも今日は彼らは新入り達をしごき上げる為に遠征中であり、部屋は全て空いているような状態であった。
「えっいいのー!? キャンディちゃんありがとー! アッシュ君、今日はここに泊めてもらおうよー?」
ドルカの後押しもあり、それじゃあお言葉に甘えてと言いかけたアッシュは、第六感とでも言うべき何かによって強烈な危機感を察知し、その言葉をすんでの所で留まることに成功した。その瞬間、強烈なまでの視線をマスターから感じたアッシュがハッとマスターの方を向く。
アッシュが顔を上げた瞬間、何でもないふりをして顔を背けたマスターであったが、アッシュはマスターが人差し指を加えながら淡々と獲物がかかるのを待つ肉食獣の目でじっとりねっとりとこちらを眺めていたことを見逃さなかった。
「……いや、こうして破格の値段で美味しい料理を出してもらったわけだし、そこまで甘えちゃ悪いだろう。同じパーティとして活動していくわけだし、マヤリスが泊まっている宿に空きがあるならそこに泊まるのが一番なんじゃないかと思うんだけど、空きはありそうか?」
「そうねぇ……。確か空き部屋もあったはずよ? 今日いきなり何人も客が入ったとかでもない限り入れると思うわぁ」
敢えてマスターを視線から外すようにしてマヤリスにそう問いかけると、視界の端に獲物を取り逃がしたことに気付き露骨に舌打ちをするマスターの姿が映った。
「……あらぁ、そんな釣れないこと言わなくてもいいのに。アタシも普段やかましくしてるオトコ連中がいないから人恋しくって。……今なら誰でも良いキブンよ?」
「それ聞いて『じゃあ……』ってなるとでも思ってんのかよ!?」
アッシュを狙っていることがバレては仕方が無いとあからさまな誘惑という手段に出たマスターであったが、その外見は女装した筋肉ムキムキのゴブリンである。アッシュがより一層警戒心を強めたのを見てマスターはあっさりと引き下がって見せた。
「やぁねぇ、冗談よ冗談! アタシにだって最低限の分別ってものはあるの。人のオトコに手を出す程落ちぶれちゃいないから安心しなさいな」
その言葉を聞いて思わず誰がいつ誰のモノになったのかと問い正したい衝動に駆られたアッシュであったが、ここで下手なことを言って藪蛇になってはマズいと堪え、話を本題に戻した。
「マヤリスの泊まってる宿が空いてるならそこに決めるのが一番だろ。これから同じパーティとしてしばらく行動を共にするわけだしな。……俺達が気兼ねなく泊まれるランクの部屋があればいいんだけど」
「マーヤちゃんと同じ宿! それならマーヤちゃんのお部屋にみんなで泊まればいいんじゃないの?」
「あのな、お前は女だからいいかもしれないけど俺は男だぞ! 」
発言と行動が残念過ぎる為忘れがちではあるが、ドルカは青みがかった黒髪に深い藍色の瞳、少々小柄ながら女性らしい丸みを帯びた身体は外見だけで判断するなら相当な美少女である。それはマヤリスも同様で、ふわりと波打つ美しい金髪に本物の宝石と見紛うかのようなエメラルド色の瞳、気品と妖艶さが同居するもの静かな佇まいはまるでどこぞの貴族令嬢のようであり、間違いなくアッシュよりも年上のはずなのに、表情やその仕草によって全てを手玉に取るような絶世の美女にも、何も知らないあどけない無垢な美少女のようにも見える不思議な魅力を放っている。
確かに冒険者たるもの野営の際は代わるがわる見張りを立てながら男女関係なく一つのテントで寝ることも多く、節約の為に同じ部屋にパーティ単位で泊まる者も決して少なくはない。しかしそれは、元々同じ村から一緒に出てきた兄妹同然の幼馴染同士であったり、パーティ内で恋人関係になった者たちがそうしているというだけであり、命を預け合うパーティを組んだとはいえ初日から同じ部屋で寝泊まりするなどということは流石にあり得ない。
「ごめんねドルカちゃん、悪いけどそれはできないわぁ」
「えー!? なんでー? せっかくだからみんなでお泊まりしようよー!」
散々アッシュをからかってみせたマヤリスも、流石に部屋まで同じにするという発想はなかったかとほっとする反面、心の奥底でちょっとだけ残念な気持ちが浮かんでしまったアッシュであったが、続くマヤリスの言葉でそんな気持ちは一瞬にして消し飛んだ。
「私の部屋、お花(毒草)を育てたり香水(毒)専門の錬金設備を詰め込んだりで足の踏み場が無いの。片付けなきゃとも思うんだけれど、私が一人で寝泊まりする分には何も支障はないし、あの部屋に充満する空気(毒)がお花(毒草)を育てるのにちょうどいいみたいなのよねぇ。そんなわけで宿の人にも死にたくなければ私の部屋には入らないでってお願いしてる位だし、まだちょっと二人には早いと思うわぁ」
「部屋に入るだけで危険って一体中で何を育ててるんだよっ!?」
予想に反して色気もへったくれも無い理由で別に部屋を取るよう勧められたアッシュは、条件反射で突っ込みを入れた後、あることに気付いてしまった。
「……ってことは俺とドルカで同室か、でなきゃ一人ずつ部屋を取るしかないってことか?」
「うひょー! アッシュ君と二人きり! いいの? 一緒にお泊まりいいの!?」
「……まあ、こいつ相手ならいいか」
何も考えてないアホ丸出しで喜ぶドルカを見て、一瞬でもこのアホといわゆる男女の仲になってしまうことを想像してしまったことが馬鹿らしくなったアッシュは、部屋で二人きりになって変な空気になる心配を全力で投げ捨て、初めて友達の家にお泊まりに行った子どものようにテンション上がりっぱなしで一晩中騒ぎ続けることが目に見えるドルカをどう寝かしつけるかの方に考えをシフトしていくのであった。
「……ほんと、アッシュちゃんも苦労するわね?」
「……そう思うならなんとかしてドルカだけでも部屋に引き取ってくれないか?」
思わず素で同情して声を掛けてきたマヤリスに、アッシュもまた力なく返答するのであった。
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