第二十四話 もはや気分は楽しいピクニック
鏡の中のゴブリンに怯え、パニックに陥り悲鳴を上げ助けを求めるブルーノを落ち着かせること数分。ようやく現実を受け入れ始めたブルーノに対し、アッシュは改めて状況を整理しながら話を進めていた。
「……というわけで、ものすごく言いにくい話ではあるんですが、冒険者に襲われたのもゴブリンと気さくに挨拶を交わす仲になったのも十中八九その顔のせいです」
「はい。冷静になってみればとても納得のいく話です。それにしても、ボクの顔がここまでゴブリンに似ていたなんて知りませんでした……」
それは、余りにも切ない嘆きであった。確かに鏡というもの自体ショイサナでこそようやく量産体制が整いつつあるが、純度の高いガラスと金属を加工する技術が必要となることからまだまだ高級品であり、市場に多く出回る物ではない。鏡というもの自体を見たことのないまま、自分の顔がどういったものなのかを知らないまま生涯を終える者も決して少なくはないのが現状であり、一般常識であった。
現に、値段の割にそこそこ高級な家具が揃っているこの宿でさえ、個室に鏡は無いようである。もしこの部屋に鏡があれば、ブルーノはゴブリンから逃げ出して宿を取ったところで鏡に映る自分とご対面することになっていたはずであった。
今もなお項垂れるブルーノを見て、この惨劇が一人でいる時に起きたら……というその余りに悲惨な光景を想像し、こうしてフォローできる人間がいる中で現実と直面することになっただけマシなのではないか、と思うアッシュであった。
「でも、やっぱりちょっとおかしいのよね、この話」
ゴブリン顔のブルーノでひとしきり笑い、自分がゴブリン顔であることをついさっき知ったばかりのブルーノをひとしきり慰めた所で、マヤリスはこう切り出した。
「えっ! こ、これ以上ボクの何がおかしいっていうんだい!」
「いや、おかしいのはブルーノさんじゃなくてゴブリンの方だ」
そして、アッシュもまたマヤリスの指摘する違和感に気付いていた。なお、ドルカについては「え? ブルーノさんもゴブリンなんじゃないの?」と今にも言い出しそうな顔をしていたが、これ以上話をややこしくされてたまるかとアッシュが目で黙らせた。当然アイコンタクトで通じる程ドルカの頭は良くないのだが、「そんなに見つめられたら照れちゃう!」とブルーノのことを一瞬で頭から追い出し顔を赤くしてくねくねしていた為結果オーライであった。
「アッシュちゃんも気付いたわよね。何度も寝ている間に家まで入り込まれているのに、こうしてブルーノさんは無傷のまま。初めはゴブリンだと思い込んでいたブルーノさんが実は人間だって気付かれて、騙されたことに怒ったゴブリンが群れを成して襲い掛かってきた。……って考えてみたのだけれど、もし私の言った通り怒り狂ったゴブリンが家に入り込んだのなら、あいつらは呑気に起きるまで見守ることなんてしないわぁ。普通のゴブリンが相手なら、はっきり言ってその時点でブルーノさんは死んでるはずよ?」
「その癖に、馬乗りになったり横並びで寝ているブルーノさんを観察したり、やっぱりなんだか色々おかしいんだよな」
マヤリスの言葉を受け、自分自身が違和感を覚えた部分を付け足したアッシュに、マヤリスは満足そうな表情を浮かべながら言った。
「そこまでわかれば上出来よ? そしたらアッシュちゃん、ここまで情報を整理した上で私たちは次に何をすればいいのかしら?」
どうやらマヤリスは、この依頼の間アッシュの判断に全てを委ねるつもりらしい。出会ってから数時間という短い間のやり取りから、アッシュなら正しい判断を下せるという信頼を勝ち得たのか、それともこの程度の依頼であればアッシュが何を間違えても何とかなると踏んでいるのか。恐らくその両方なのだろうと考えながら、アッシュは答えた。
「これ以上はブルーノさんからの情報だけでは判断できないと思う。だから、直接ブルーノさんの家を襲うようになったというゴブリン達を探りに行こう」
「わかったわぁ、リーダーさん」
果たして自分の判断は合っているのだろうか。ついついマヤリスの表情を伺ってしまうアッシュであったが、マヤリスは肯定とも否定ともつかないような微笑を浮かべ、頷くのみであった。
「それじゃあ今からボクの家に向かうってことでいいのかな? ショイサナの北の街外れの森だからそんなに時間はかからないよ。ゴブリン達は森の奥からやって来るから森に入ってからは特に注意してくれ」
「いよいよゴブリン退治だね! アッシュ君、私に任せておいて! うひょー!」
「北の街外れの森……?」
いつも通り何も考えず、能天気にはしゃぎ出したドルカとは対照的に、北の森と聞かされたアッシュの胸中では、何故だか非常に嫌な予感が渦巻いていた。
「なんだか、話に聞いていたのと違って随分と静かな森ですね。むしろ、ちょっと静かすぎる……?」
「……変です。いつもならもうとっくに5体ぐらいのゴブリンとすれ違っていてもおかしくないんです。それなのに、ゴブリンの気配すら感じられないなんて……」
ブルーノの案内によってショイサナの北にある森に入ったアッシュ達は、いつ戦闘になってもいいようにと警戒するのが馬鹿らしくなる程、森の中にゴブリンの気配がしないことに驚いていた。
なお、警戒しながら歩くと言いつつドルカはアッシュと手を繋いでぶんぶんその手を振り回しながら歩いていたが、これは魔物の警戒中にうるさくしない代わりにアッシュと手を繋いでいていいとマヤリスが勝手に宣言したからで、正直アッシュとしてはいつ魔物が襲い掛かって来るかわからない場所を片手を塞がれた状態で移動するのは心配でしょうがなかった。とはいえ、ドルカと常に触れ合っていることで魔物に不意打ちを喰らったとしても即座に回復できる状態であり、まだまだ素人に毛が生えたような状態のアッシュが必死で警戒するよりもよっぽどしっかりとした守りと言える状態であることもあって文句の言いようがなかったことも事実ではあるが。
「どちらにしても、あと少しでブルーノさんの住んでいる小屋なんでしょぉ? 森が不思議な位静かなことが気になるのはわかるけど、まずはそこに着くまで、最後まで油断せず警戒しながら歩きましょ」
「はは、でももう警戒する必要は無さそうです。ほら、あそこがボクの住んでいる家ですよ」
マヤリスが最後まで油断せず気を引き締めて行動するよう注意を促した矢先にひとまず目的地に到着してしまうというなんだか間抜けな結末にはなってしまったものの、ゴブリン退治を頼んできた依頼人のブルーノとアッシュ達一行は、木の陰から姿を現した不格好ながらしっかりとした作りの小さな掘っ立て小屋に向かうのであった。
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