第二十一話 騙すのも誑かすのも大得意なご様子
「それで、ブルーノさん。細かい話はここでしてくれるってことだったと思うんですが」
そう切り出したアッシュに、依頼人の男ブルーノは念入りに確認したことでようやく安心できたのか、今までのきょろきょろと周囲を見回す挙動不審な様子はなくなりつつも、まだアッシュ達を警戒する声色で答えた。
「ああ、確かにボクは依頼を受けてくれる冒険者にはこの場で直接説明したいと伝えていた。……しかし、失礼を承知で聞くけれど、本当に君たちを頼りにしていいのかい? 防具どころか、まともな武器さえ誰一人持っているように見えないんだけれど」
痛い所を突かれてしまった、とアッシュは思った。マヤリスは、見た目だけは冒険者どころかどこぞの貴族令嬢だと言われてもおかしくない装いであり、柔らかな物腰と蠱惑的な微笑が余計に高貴な身分を思わせる佇まいで、見た目と雰囲気だけならば虫一匹殺せないと言われても納得できるほどである。そして、マヤリスの武器は香水という名の猛毒。要するにぱっと見では手ぶらであった。
アッシュもまた、装備を一式揃える前に所持金がほぼ全てドルカの借金で消え去ったため、持っている武器はショイサナに来るまでに使っていた護身用の短剣一本のみである。しかもこの短剣は見た目からして対魔物用ではなく、鍔も無ければ刃渡りも短いちゃちな代物である。森の中を歩くのに邪魔になる枝や蔓を打ち払ったり、ちょっとした細工をするために使う道具以上の何物でもない短剣一本で冒険者を名乗る勇気はアッシュにはなかった。
ドルカに至っては論外である。腰に差しているのは謎の材木で作られた麺棒。着ている服や肩から掛けたポシェットには名状しがたいデザインのアップリケがべたべたに張り付けられている。何より問題なのは本人のアホっぽい面構えであり、今もなお小さい子どものようにアッシュの腕に張り付いて遊んでいる所であった。頼りがいのある冒険者だと思える奴がいるなら見てみたい位である。
こんなほぼ手ぶらで素人丸出しにしか見えない三人組が「貴方をゴブリンから守ります!」と言って信じるバカはドルカ位である。マヤリスだけはゴブリンどころかオーガの群れでも単身で難なくせん滅できるのではないかという気がするものの、出会って数時間も経っておらず実際に戦う姿を見ていないアッシュとしては、それをどうブルーノに伝えたものかと悩まざるを得なかった。
「確かに、貴方がそう思うのも無理はないわね。現にこっちの二人は二日前に冒険者になったばかりの新人。今回の依頼は私がサポートをしてあげながら、実地で経験を積ませるために受けさせてもらったものだから、こっちの二人が頼りなく見えるのは仕方がないわ」
何を言って返せばいいのかわからずに口をつぐんでしまっていたアッシュを見て、マヤリスが自然な流れで口を開いた。
「なるほど、そういう事情だったのですね。ということは貴女はそれなりにベテランの冒険者なのですか? ……貴女自身も手ぶらに見えますけれど」
相変わらずフードで顔をすっぽりと覆い隠したままの為、ブルーノの表情は伺えないものの、その声色からは依然としてこちらを訝しんでいる様子が見て取れた。
「そう思うのも無理はないわぁ。私の武器は香水。……ねえ、『邪毒のマヤリス』って聞いたことないかしら? 不本意ではあるけれど、少なくともショイサナの冒険者界隈ではその名で知られてる方なのよ? たかだかゴブリン程度、数百体規模の群れで一斉に来られようとこの香水のひと吹きで根絶やしに出来るから、安心してくれていいわぁ」
そう言って、いつの間にやら手に持っていた香水のボトルをわざとらしくブルーノの前で軽く振って見せると、ブルーノは「ヒイィ!」と甲高い悲鳴を上げて過剰なまでに怯え、後ずさった。
「わ、わかった! わかったからそんなに危険なものを目の前でちらつかせないでくれよっ!」
「あら失礼? でも、私の武器が何なのかを知らないと安心はできなかったでしょうから。……そうそう、なんなら使う香水のオーダーも承るわよぉ? シンプルに体力を奪って終わり、攻撃性を高めて同士討ち、骨を溶かしつくして文字通り骨抜きにしてあげるのもいいわねぇ。私、自分の作った毒で相手が悶え苦しむのを見るのが好きなの。……ゴブリン相手とはいえ数百体規模の群れが全員私の毒で苦しみ倒れていくのを見れるなんて、私、興奮しちゃうわぁ!」
話の途中から恍惚とした笑みを浮かべ、エメラルド色の瞳を爛々と輝かせながらあれやこれやと色とりどりの香水のボトルを取り出して見せるマヤリスに、ブルーノは完全に怯え切っていた。
「……マヤリス、ブルーノさん怯えてるぞ」
「あらぁ? ごめんなさいね、私香水には目が無くって」
「……そういう話じゃないと思うんだけどな」
軽くマヤリスを窘めたアッシュに、マヤリスは、ブルーノからは見えないように、わざとらしく舌をペロッと出した。どうやらわざと脅しをつけて見せたらしい。恐ろしい女だ、とアッシュは改めて思った。
「と、とにかく! そちらのマヤリスさんがとんでもなく強い人だということはわかりました! ……でも、実地で経験を積ませるという話なのであれば、実際にゴブリンと戦ってくれるのはそちらのお二人なのでしょう? 正直、今のこの様子を見る限りとても任せたいとは思えないのですが……」
そう、少し申し訳なさそうな声色で告げたブルーノに対し、マヤリスはそれさえも予想済みだと言わんばかりに、余裕たっぷりな口調で返していく。
「ええ、そうね。でも、この二人は経験が浅いだけでもう既に私よりもっと大物よ? この2日の間に聞いたこと無いかしらぁ? 街に潜んでいた恐ろしい悪魔を無傷で圧倒した新人冒険者の噂。『借金バーサーカー』と『混沌の大根使い』。実は、この二人がそうなの」
この男は肩書やネームバリューに弱い。マヤリスはこれまでの僅かなやり取りで、目の前の今もなおフードですっぽりと顔を覆い隠したままの依頼人の性格をほぼ正確に見抜きつつあった。何かを恐れて酷く怯え、しかしその原因がわからず対象も定まっていないからこそ目の前の全てに警戒している。猜疑心が強まり全てを疑いたくなっている小心者は、往々にして二つ名や倒した魔物、第三者からの評価など、わかりやすい実績を信じたがる傾向にある。そして、一度信じた相手の言うことは鵜呑みにしがちで、その場の雰囲気に流されやすい。
だからこそ、マヤリスは自分があらゆる方法でゴブリンを全滅させる手段を持っていることをさりげなく伝え、アッシュとドルカの二人が昨日今日の知名度だけを見れば自分よりも有名であることを殊更に主張した。ほんの僅かな間であれば、街中にその功績が知れ渡り誰もがその名を挙げて噂をすることはよくあることである。一流の冒険者を名乗るならば、大きな功績を挙げてから数年の後にもまだその名が噂に上がるだけの何かを成し遂げていなければ務まらない。
しかし、そんな実情はおくびにも出さず、マヤリスはアッシュとドルカが既に一流の冒険者達に匹敵するほどの名声を得た冒険者かのように言ってのけたのである。
さり気ない言葉一つで巧みに相手の認識を意図した方向に誘導するマヤリスの手腕に、アッシュは内心で称賛と恐ろしさが入り混じった感情を抱くのであった。
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