第二十話 初めてのそれっぽい依頼
――すぐ隣をアンデッドが這い回っていたとしても熟睡できる程の、安らかな眠りを貴方に。
そんな経営理念を掲げて営まれている宿屋『墓場の揺り籠』は、その名に反して意外にもわりと普通の、むしろよく見ると建物からして細部までこだわって作られたことがわかる、小綺麗な外観をしていた。
「うひょー! やどやー!」
「ここが依頼人が泊まっているという宿屋か。……見た感じかなり質も良さそうなのに、この葬儀屋と言われても納得できてしまう名前だけはどうにかならなかったのかよ」
「普通の冒険に飽きた冒険者が集う魔窟だもの、ここで商売を営んで生きていこうと思ったら質より何よりまずはインパクトが大事なのよ。そういう意味ではこの宿は魔窟に染まり切ってない人が泊まっても大丈夫なレベルで留まってるし、質も悪くはないし、まだまだ大人しい方ね」
場合によってはアイテム一つが生き死ににまで直結しているはずの冒険者生活で、質よりぱっと見のインパクトを取るという魔窟の冒険者達の価値観は全くもって理解できなかったが、よくよく考えればそのように説明をしてくれたマヤリスのメインウェポンは香水という名の猛毒である。否が応でも納得せざるを得ない説得力であった。
「じゃあまあ、建物の前で突っ立っててもしょうがないし、入りましょうか」
「うひょー! 私いっちばーん!」
勢いよく開いた扉に向かって飛び込むように入っていったドルカに続き、アッシュとマヤリスも宿の中へと入っていく。マヤリスが悪くない、と評するだけあって、その内装は質素ながら上品な雰囲気を醸し出し、置かれている家具も品の良さが見て取れるものばかりであった。
「いらっしゃい。何泊だい?」
「いや、俺達は客じゃなくて……」
「ここにブルーノっていう人が泊まってるでしょう? 私たちは彼がギルドに出した依頼を受けに来た冒険者なの」
アホ丸出しで突っ込んでいったドルカにさえ気さくな笑顔で返した宿のマスターは、「話は聞いているよ、ちょっと待ってな」と言い残し、すぐに裏へと引っ込んでいき、カウンターの横に伸びた階段を昇って行った。恐らく依頼人を呼びに行ってくれたのだろう。しばし待たされる間、アッシュはカウンターの奥に覗く厨房や、食堂となっているロビーなどをしげしげと観察していた。
よくよく考えてみると、アッシュもドルカも今日の宿をどうするか決めていない。ショイサナ初日である一昨日こそ魔窟の外にある普通の宿を取っていたアッシュであったが、騒ぎを起こした結果ギルドに捕捉、そのままギルドに泊まる羽目になったのが一昨日の事。昨日は昨日でダグラスを始めとした魔窟の冒険者達に捕まり一日中宴会に付き合わされており、今朝目を覚ますとダグラス達が拠点としている『不純喫茶メスゴブリン』内に併設された、ほぼダグラス達剝き出しの筋肉愛好家専用の部屋にドルカ共々寝かされていた。
今後冒険者として活動していく上で、拠点とする宿選びは重要である。あまり安上がりな宿を取って十分な休息が取れないまま動き回っていては、いつか大きなミスに繋がるし、かといって身の丈に合わない宿に泊まっていてはお金は減っていく一方である。
ついさっき仲間になったばかりであるマヤリスが今寝泊まりしている宿に空きはあるだろうか。仮に空きがあったとして、ベテランであるマヤリスが泊まるような宿にアッシュとドルカが手を出せる程度の価格の部屋があるだろうか。
そんなことを考えていると、カウンターの脇に伸びる階段からトントンと足音が聞こえてきた。恐らくマスターが依頼人に話を通してくれたのだろうと思って待ち構えていると、どうやらその通りだったようで、階段から降りてきたマスターは再び気さくな笑顔を浮かべながら、アッシュ達に言った。
「三階の一番手前、左側の部屋だ。もう来てくれて良いとのことだから、早く行ってやるといい」
「おじさんありがとー! 三階の左ねー! 突撃ー!」
「依頼人相手に突撃してどうする! 他の客に迷惑だから静かにゆっくり向かうぞ。……ほんとすいません仲間がこんなんで」
いつも通り周りのことなど一切無視ではしゃぎまわるドルカを見て、思わずマスターに頭を下げたアッシュであったが、魔窟の冒険者達を客に商売をしているマスターからすればこの程度は迷惑の内にも入らないのか全く気にした様子もなく、気にするなと言わんばかりに軽く手を振ってくれた。それどころか、階段を昇っていくアッシュ達に向かって、「もし部屋を見て気に入ってくれたなら、次は客としてよろしくな」と声を掛けてまで暮れる辺り、本当に『墓場の揺り籠』という名前以外は文句の付け所もない宿である。
「ここがそのブルーノって依頼人の部屋か」
利用者の大半が冒険者で昼過ぎというこの時間は部屋にいる人が少ないのか、人気のしない宿の階段を昇っていくと、ほどなくして宿のマスターから言われた部屋が見えてきた。
「よーし! じゃあ私からとつげ……」
「ダメよ? 依頼人を驚かせちゃ。素敵な女の子はね、気になる男の子の部屋には音もたてず静かにこっそり忍び込むのが大事なの」
「なるほど! じゃあこれも修行!?」
「そうなるわね」
「絶対色々と間違ってると思う」
マヤリスとドルカのカオスなやり取りに、面と向かって全力で突っ込む勇気がなかったアッシュは二人に聞こえるか聞こえないか位の小さな声で呟いたのだが、マヤリスにはしっかりと聞こえていたらしい。
「気になる男の子に毒を盛るなら寝てる所に忍び込むのが一番簡単で手っ取り早いのよ?」
「なんで気になる相手に対して毒を盛る前提なんだよっ!」
さも当然の如く恐ろしく犯罪めいたことを言われたことで、つい先ほどまで静かにと心掛けていたアッシュも思わず全力で叫んでしまった。
――その結果。
「あのー? ボクの部屋の前で何を騒がれているんです? もしかして、依頼を受けてくれた冒険者の方々ですか?」
どうやら思いっきり部屋の中にまで聞こえていたらしく、依頼人はドアをちょっぴり開けて、隙間からこちらの様子を伺っていたようだ。ちょっぴりバツの悪さを感じつつ、アッシュは顔だけは平静を取り繕って答えた。
「部屋の前で騒いでしまってすいません。そうです。俺達が依頼を受けた冒険者です。家の周囲に沸いたゴブリン退治を依頼された、ブルーノさんですか?」
「そうです! よ、よろしくお願いします! ……ここでは誰の目があるかわからないので、ひとまずどうぞ中へ」
部屋の中に案内されたアッシュはギョッとさせられた。目の前にいる依頼人の男が部屋の中にも関わらず、顔が見えない程に深くローブのフードを被っていたからである。
それどころか、依頼人の男は妙に挙動不審で、何に怯えているのかアッシュ達が部屋に入った後も、閉じたばかりのドアの向こうやしめ切っている窓を中心に辺りをきょろきょろと見渡しており、その度にフードを深くかぶり直すといった行動を繰り返している。
そんな依頼人の様子を見て、ドルカがフードを引っぺがしたくてしょうがないといった様子で手をうずうずさせていることに気付いたアッシュは、慌てて依頼人からは見えないように背中越しにドルカの腕を掴み、予め動きを止めておくことにした。ドルカは何を勘違いしたのかとても嬉しそうな顔でアッシュの手を掴み返し、纏わりつきながらにこにことだらしのない笑みを浮かべ始めた。色々と言ってやりたいことは山ほどあったが、とりあえず依頼人に失礼なことをさせずに済んだ、ということで良しとしたアッシュは、右腕をドルカのおもちゃにさせたまま、依頼人に話を切り出すのであった。
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次話の投稿は明日7時頃の予定です。
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