第六話 そういえばまだお互いの名前くらいしか知らなかった
7月23日 誤字脱字などを見つけたので修正。 内容そのものに変更はありません。
「それで、『じゃあ物は試しだから、気分転換も兼ねてちょっと新しい世界の扉を開けてみましょうね』ってみんなが一緒に冒険連れて行ってあげたり、ちょっぴり普段の鍛錬に混ぜてあげたりしてるだけなのよ。たった1日かそこらの体験で自分を見失っちゃうなんておかしいと思わない? まあここにいる連中の半分はそうやっていつの間にかこっち側に馴染んじゃった子達なんだけどね」
魔窟基準では、ひ弱な魔法使いが二日で屈強な戦士に生まれ変わることも、心優しい騎士が血も涙もない修羅と化すことも何でもない日常茶飯事の出来事のようだ。
話を聞いていた筋肉たちが、口々に「そうだそうだ」「俺は何も変わってない。それまでの人生で蔑ろにしていた自分の筋肉達の声に耳を傾けられるようになっただけだ」「前の俺の方がどうにかしてたんだ」等と言っては頷き合っている。
「まあそんなわけでね、この南エリアに入り浸っているのは大半がSランク冒険者やその一歩手前の子達と、そいつらに新しい世界を教わった元ルーキーちゃん達なの。冒険者以外だと職人達も世界最高峰レベルの子たちがごろごろしてるわ。なんてったってここの冒険者達なら手に入らない素材は無いものね。どちらにせよ何かしら極めてる奴っていうのはどっかイカれてる子ばかりだし。あぁ、とはいっても素人が闇雲に店に入っちゃだめよ? 一部の比較的常識のある子達を除いてあいつら道具を使う側のことなんてこれっぽっちも考えてないから。切った相手を消し炭にする代わりに自分も消し炭になる魔法剣を何の悪気もなく試し切りさせようとする位のことは日常茶飯事よ?」
再生費用もただじゃないのにねー? と軽くため息をついてみせるマスターの話に、アッシュは自分の常識がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。たった2日で魔法使いだった人間がオークを組み伏せられるレベルまでバルクアップしたとか、無駄な殺生を嫌っていた騎士が何をどうすれば殺戮マシーンになるのか、しかもその騎士をマスターは『彼女』と称する辺り女騎士だったと思われることや、さらっと消し炭になっても生き返ることを前提に話が進んでいることとか、なんかもう色々と頭がおかしくなりそうだった。
「まあそんなわけで、別にアタシ達が取って食おうとしてるわけじゃないってわかってもらえたかしら。わかってもらえたのなら、次はアナタ達について教えてもらう番かしらね。」
そう、元はと言えばアッシュの隣でマスターの話を聞くそぶりも見せずに、いつの間にか出されていたオムライスを頬張っては目を輝かせている黒髪の少女ドルカが、ショイサナに着いた直後にチンピラに追われることになり、アッシュはそれに巻き込まれる形で二人してこの人外魔境に迷い込んでしまうことになったのである。
色々と異次元の出来事が立て続けに起こっていたために忘れていたが、そもそもアッシュも少女も、名前を名乗ることすらしていない。事情を聴くにしても、まずは自己紹介からだろうとアッシュは思い、まず自分から名を名乗ることにした。
「俺はアッシュ。アッシュ・マノールだ。一応姓も名乗ってはいるが、マノール村出身ってだけで貴族でも何でもない。農家の次男だったんだが、農家の次男ってのは長男に何かあった時のスペアとしか扱われないんだよ。スペアのまま生きて死ぬのはごめんだったから、口減らしってことで10歳の時に村を飛び出して、それから7年ばかり商人とか職人とか色んな所に住み込みで弟子入りして生きてきた。どこに行っても『飲み込みは悪くないが才能は無い』『一番弟子や息子のサポート役には丁度いい』って結局どこに行ってもスペア扱いされて、その度に別の伝手を探して新しい師匠に弟子入りしてきた。最後に世話になったおやっさんに、『そんだけ色々手を出してしっくりくるものが無いんなら、一つの道を極めようとするより、何でもそこそこできる奴として生きてく方が向いてるんじゃねぇか』って言われて、そういう生き方なら冒険者かなって思って、ショイサナに来たんだ」
「あら、意外と苦労してるのね。」
「そうでもないぞ? 言った通り飲み込みは悪くなかったからな。ただ、何をやっても親方やら師匠やらおやっさんやらの跡継ぎに選ばれるようなレベルには届かなかったし、かといって独立して成功できる気がしなかったってだけだ」
「なるほどねぇ。じゃあ、次はアナタの番ね」
「んえ?」
まだ嬉しそうにオムライスを頬張っていたドルカに目線が集中する。流石のこいつでも、周囲の視線には気付けるらしい。口いっぱい詰め込んだオムライスをちょっとずつ飲みこみ、マスター特製のジュースで口の中をさっぱりさせた所で、ようやくドルカは話し始めた。ケチャップが口元に付いたままで。
「私はね、ドルカ! ドルカ・ルドルカ! なんと! 大昔にまおーをやっつけたえいゆーのまつえー? なんだってー」
こいつが? という疑問はおそらく話を聞いていたアッシュと筋肉達とマスター全員の脳裏によぎったごく自然の反応だったと思われる。しかし、流石魑魅魍魎があつまる『ショイサナの魔窟』の喫茶店マスターは場数が違うのか、おくびにも出さずにさらりと流し、続きを促した。
「ドルカちゃんっていうのね。まさか勇者の仲間たちの子孫だったとは驚いちゃったわ。英雄達の子孫にルドルカって姓は聞いたことが無いけど、傍系だったりするのかしら? それとも分家筋?」
「そのぼーけーとかぶんけーとかはわかんないけど、私は18代目なんだってー」
「……わざわざ代を数えてるってことは、直系じゃなかったとしてもそれなりの大家なんじゃないかしら。ここの冒険者たちの中にもそれなりの数の英雄の子孫を名乗る子達がいるみたいだけど、ルドルカなんて姓は聞いたことがないわねぇ。ドルカちゃん、ご先祖様は一体何のクラスだったのかしら?」
マスターの質問はもっともなものだった。アッシュも冒険譚に憧れる少年時代を過ごしていたので、当然500年前に魔王を封印した勇者の伝説は熟知している。何なら世界各地を転々としていた分様々な地方の伝承にも精通していて人より詳しい位だ。それなのに、アッシュもルドルカという姓は聞いたことがない。
皆が真剣に話を聞いてくれるのが嬉しくて堪らないのだろう。むふーっと鼻息を荒くしながら得意げな顔で少女はこう答えた。
「私はねー、なんと! ゆーしゃ様を助けた伝説の『遊び人』のしそんなのです! じゃじゃーん!」
「……はぁ?」
思わず声に出してしまったアッシュを責める者はいないだろう。『遊び人』が勇者と共に魔王を封印した英雄達の一人だったなどという話は、その場にいる誰も、聞いたことがなかった。
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また約一時間後に次話を投稿予定です。
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