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第四話 純喫茶の対義語

――それがおよそ10分前の出来事である。


 相変わらず隣を走る少女、ドルカは笑いながら走っている。繋がれた手は変わらず、ドルカによって恐ろしい力で引っ張られており、アッシュは本来の自分よりもかなり早いペースで走り続けさせられており、息も絶え絶えで限界が近づいてきている。

 このドルカと名乗る少女の体力はどうなっているのだろうか。そもそもアッシュとぶつかっていなければチンピラ共などとうに巻いて逃げ切っているのではないだろうか。

 チンピラ達も変わらずしぶとくこちらを追いかけて走り続けている。よく見ると追いかけていた者のうち下っ端達の顔ぶれが変わっている。恐らく体力が尽きて入れ替わって追いかけてきているのだろう。少女に体力で負けるわけにはいかないというプライドだろうか、アニキ分だと思われる男だけが最初から今の今まで鬼の形相で走り続けている。


「うひょー! チンピラさん達しつこーい! ねえねえアッシュ君! アッシュ君は冒険者になって何をしたい? 私はねー、子どもは二人で良いと思うんだー! あははははははは!」


 ドルカは共に駆け出した約10分前から今に至るまで、ずっとこの調子である。奇声を上げ、話は支離滅裂、笑い続けている。やはり転んだ際に頭をぶつけたとしか思えない。哀れな少女の頭にヒールをかけてやる為にも、自分の息を整える為にも、やはりどこか潜んでやり過ごせる場所を探さなければ。

 自身が運命の出逢いを確信する中、その相手から本気で頭の方を心配されている等とは露ほども思わず、相変わらずドルカはあはあはとそれはそれは幸せそうに笑いながら、アッシュの前を走り続けていた。


 それにしてもドルカは恐ろしい速さで走っているのに一切ペースが衰えない。冒険者を目指すだけあって、同世代と比べれば体力に自信があったはずのアッシュを軽々追い越すスピードで走っているのに、息切れ一つ起こさないドルカの体力はどうなっているのだろうか。そもそも、アッシュの顔ばかり見てちっとも前を向いていないにも関わらず、迷いなく道を選び誰にもぶつからず、行き止まりにも出くわさないのは何故なのか。自分を巻き込んで一緒に走って逃げる羽目になる前から少女が逃げ続けていたであろうことを考えると、既にアッシュの倍は走り続けていてもおかしくはない。そもそも巻き込んだ人間の顔が面白いと笑い続けられる神経もどうかしている。


 そんなどうかしていることだらけの少女を横目に、それでも必死でペースを保ちながら走り続けるアッシュは、何とかチンピラをやり過ごせそうな所は無いか辺りを見回した。ちょうど民家が立ち並ぶ地区から抜け、道と道が交差し中央に大きな噴水がある広場に差し掛かる所のようである。広場らしく、店もぽつぽつと並んでいるのが見えた。上手くこの店のどこかに滑り込んで、身を隠せればいいのだが、良さそうな店は見当たらない。

 なるべく人の迷惑にならないようにと思っていると、噴水広場から延びている道の中で、ひとつだけ人気の少ない通りを見つける。本来であれば、人気のない道は避け、人が多い方多い方に逃げていき、人ごみに紛れて逃げ切るのが得策ではある。人通りが少ない道というのは、往々にして行き止まりであったり、スラムになっていたり、チンピラの縄張りだったりと逃げるにしてはリスクが高過ぎる。

 しかし、他の道と比べて落ちているゴミも少ないどころか道の舗装自体が真新しく見えることから、アッシュは貴族や上級市民の住む高級地帯なのではないかと考え、そうであれば憲兵の詰め所や巡回兵がいてもおかしくないと、そちらの方向に逃げることを決意する。


「あっちだ! あっちに逃げるぞ!」

「うひょー! バシッと決めるアッシュ君もかっこいいね! 何か綺麗な道だー! あはははは!」


 またしばらく道を走っていると、段々とチンピラの声が遠くなり、そのちょうど良いタイミングで少し開けた所に出たようだ。辺りには色々な店が立ち並んでおり、冒険者の姿もちらほら見受けられる。どうやらこの辺りは冒険者向けの店が揃っているようだ。

 普通に考えればいきなりチンピラに追われているから匿ってくれと言われても店側からすればはた迷惑な話だろう。しかしここは名だたる冒険者が集う街、ショイサナである。当然柄の悪い冒険者も多いはずで、冒険者御用達の店であれば揉め事も日常茶飯事……かはさておき、ある程度寛容に受け入れてくれるのではないだろうか。

 ちょうどチンピラを巻けそうなタイミングということもあり、この辺りの店に滑り込んで一息つければとアッシュは考え始める。最悪の場合、匿ってほしいと飛び込んだ店の主がチンピラの味方をする可能性もあるわけで、体力は残りわずかとはいえ、そこは慎重に考えて選ばなければいけない。


「あ! 見てみて変なのー! ゴブリンの看板だ! あははははははーっ!」


 こちらが必死で走りながら頭を回転させている所だというのに、気の抜けるような声で笑いながら少女が指を差した方向を見てみると、立ち並ぶ店の並びの中に、確かにゴブリンを模した看板があるのが見えた。太陽の逆光で見えにくいものの、看板にはうっすら「純喫茶」という文字が浮かんでいる。

 ゴブリンを看板にするとは少し、いやかなり趣味が悪い気もするが、逆に言えばこれ程までに冒険者向けの店であることを主張してくれている店も中々ないだろう。アッシュは息も絶え絶えの中、何とか息を整えて少女に向かって叫んだ。


「一旦、あそこで、やり過ごすぞっ!」

「わかったー! うひょー喫茶店かー! 何飲もうかなー?」


 こいつは本当にわかっているのだろうか。一抹の不安を抱きながらなんとか店に飛び込んだアッシュは、室内に入ったばかりで目が慣れぬまま、無礼を承知で叫んだ。


「すまないが追われているっ! 礼はするから匿ってくれ!」

「こーんにちはー! おすすめは何ですかーっ!?」


 同時に、アッシュを包む異様な熱気とむわっとした空気。喫茶店にしては妙に暑苦しい空気をまとった薄暗い店内が、アッシュと少女という異分子が飛び込んできたことで水を打ったように静まり返っている。


「――少年よ、君はここがどんな店かわかって入ってきたのか」


 ようやく目が慣れてきたアッシュが話しかけられた方向に目を凝らすと、ぼんやりと人の影が見えてきた。何故だろうか、ゆっくりと近づいてくる人影は一目見てわかるほど巨大で、身体のパーツ一つ一つが異様に太く見える。一瞬依頼帰りの冒険者がフルプレートメイルを着たまま一休みをしていたのかと考えたものの、それにしては近寄ってくる人影は鎧同士がこすれるガチャガチャという金属音を一切立てていない。


「追手がいるとのことだ、なんにせよまずは奥に行って身を隠すとよい。まあ、追手が何であれ、この店の中にまで入ってくるとは思えんがな」


 そう言うや否や、巨大な人影からぬうっと伸びた両腕がアッシュと少女の腰に回り、身構えるより先に抱きかかえられてしまう。

 そこでアッシュは気付いた。今自分を抱えて店の奥に移動している巨躯の男はフルプレートメイルどころか服を着ていない。鎧かと思ったのは全て自前の筋肉であった。そして、喫茶店で一服していたはずの男の身体はたった今まで全力で走っていたアッシュよりも火照り、汗ばみ、身体全体がぬらぬらとしている上に何故か湯気まで昇っている。助けようとしてくれている相手にこんなことを言うのはアレだが、非常に気持ち悪い。


「あははははたかーい! おじさんすごーい! これ全部筋肉? なんかぬらぬらしててきもちわるーい! あははははははは!」

「ほう……。少女よ、この筋肉の素晴らしさがわかるか、わかってくれるか! ぬらぬらについては申し訳ない。何せたった今この店一番人気のワセリンを全身に塗りたくったばかりだった故に、吾輩の身体も火照りを抑えきれないのだ」

「純喫茶じゃねぇのかよっ!」


 何故喫茶店の一番人気の品がワセリンなのか。あたりを見回してみると、ワセリンを全身に塗ったくっているむさい男とその様子を肴に盛り上がっていたと思われるこれまたむさい男たちが、興味津々といった様子でこちらの様子を伺っている。


「やーねぇ、うちの看板ちゃんと見なかったの? うちは『純喫茶』じゃなくて『不純喫茶』。不純な動機でオトコ達が集まる、ショイサナでもちょっと有名な店なのよ?」

「そんな店があってたまるか!」


 アッシュの全力の突っ込みが、店の中に木霊した。


 つい条件反射で突っ込んでしまってから、そもそも声の主がどんな相手かもわかっていないことに気が付いたアッシュは、担がれた体制からなんとか身をよじり、野太く妙に甘ったるい声が聞こえた方向へと顔を向けた。


「あはははは! おじさんってもしかしておばさん? ムキムキでゴブリンそっくりー! エプロンかわいー! ピンクのフリフリでふわふわー! あははははははは!」

「んもう! アタシはれっきとしたニンゲンのオスよ? もちろん心はオンナだけど。人が気にしてることドストレートに聞いてくるなんて失礼しちゃう! でもこの状態で笑いながらそんなことを聞いてくるなんてスゴいわねアナタ。こんなアタシでもちょっと正気疑うわよ? でも心配しないで。アタシ好きよ? そういうイカれたコ」

「わーいありがとー! 私もおねーさん好きかもー? ねえねえおすすめちょーだいおすすめー!」

「あらやだお姉さんだなんて! 見え見えのお世辞なのにアタシ喜んじゃう! このタイミングで飲み物まで要求してくるなんてアナタ最高にイカれてるわね~。いいわ! 飛び切りのイイモノ御馳走しちゃう! あ、安心して? その辺の連中がキメてる特製ワセリンじゃなくてちゃんとした飲み物用意したげるから」


 ドルカが何を言っているかわからないと思うが、俺もわからない。アッシュにとって何が一番わからないかというと、ドルカの表現そのままの、女装したゴブリンにしか見えない大男が、目の前でくねくねとしなを作りながら優しい微笑を浮かべていることだ。優雅に手を振って見せるその所作は無駄に気品すら感じさせる。そして何故こんな化物と少女の間でこんなにもスムーズに会話が成立しているのだろうか。そんなアッシュの魂の叫びを無視して、少女と目の前の化物は楽しそうに談笑している。


 アッシュと今もなおあはあはと笑い続けているイカれた少女(ドルカ)を抱えてここまで運んできた大男に負けない、岩を削りだして作った彫刻のようなゴツゴツの体躯。それを覆う薄手の桃色でフリルがいっぱいついたエプロンはサイズがぎりぎりなようで、エプロン越しでも腹筋や胸筋がバッキバキに割れているのが見て取れる。このアングルからはそれ以外の服を身にまとっているかわからず、裸エプロンであるという恐ろしい可能性すら孕んでいる。

 そのまま顔を上げてみると、ひしゃげた鷲鼻に尖った耳。妙にギラついて見える釣り目にはどぎついピンクのアイシャドーが入っていて見るものの正気を奪う。肌が緑色ではないのが不思議なほどのゴブリン顔だ。えげつないバルクアップに成功したゴブリンが女装したらちょうどこんな感じになるのではないだろうか。


 (不)喫茶店のマスターらしい謎のメスゴブリンもどきは、鼻歌交じりでくねくねしながら厨房に入りかけたのだが、そこでハッと思い出したようにこちらに向きなおった。

 絶対に気付かれてはいけない、直視してはいけないと息を殺して気配を消していたアッシュが厨房に入るメスゴブリンを見て「助かった」と緊張を解いたその一瞬の油断が命取りとなった。

 向き直った拍子に、尖った耳を飾り立てる意匠が凝らされた美しいピアスがふわりと揺れたことに何故か目を奪われてしまったアッシュは、そのまま視線が滑った結果、メスゴブリンと目が合ってしまったのである。

 今まで感じたことのない寒気と身体の強張りを覚えるアッシュとは対照的に、メスゴブリンもどきは目が合うや否や頬を赤らめてさっと目を伏せた後、改めて伏し目がちにアッシュの方をちらちらと伺いながら話しかけてきた。


「あらやだ、ウブなんだから。そんなカワイイ反応されちゃったらこっちまでキュンキュンしちゃうじゃない。でもごめんなさいね、アタシ年下は好みじゃないの。せめてあと80キロはバルクアップしてから出直してらっしゃい」

「この身震いは断じて恋の始まりの予感じゃねぇ! 命の終わりの悪寒だ!」


 アッシュの脳は、今目の前の光景と言われた内容を理解することを全力で拒絶した。

読んでいただきありがとうございます。

次話の投稿は22日23時の予定です。


初投稿作品ではありますが、いつどなたから初めての評価やご感想を頂けるのかと

わくわくしております。

お手数をおかけしてしまいますが、もし気に入って下さった方は評価やご感想をよろしくお願いいたします。


ふらっと立ち寄ったこじゃれた喫茶店にふらりと立ち寄ってみたら、

中で筋肉ダルマ達が良い汗をかきながらワセリンを塗り合っている。


小粋なゴブリン顔のマスターにおススメを尋ねると、ワセリンかプロテインのどちらが

良いかと聞き返される。


こんなに世界は広いのだから、一つくらいそんな店があっても良いと思いませんか?

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