第三十五話 サイドチェストバリアー
本日二度目の投稿です。
常識で考えれば普通に喰らって大ダメージを受けるはずの強大な魔法を大胸筋だけで跳ね返すダグラス。当然これにはカラクリがあり、その秘密は彼が愛用し今も全身に塗りたくってあるワセリンにあった。
彼がリーダーを務めている冒険者クラン剥き出しの筋肉愛好家全員が愛用しているワセリンには数多くの種類が存在し、その全てが魔窟のこれまた頭のイカれた職人達手ずからの特注品となっており、それぞれに自己治癒力強化による筋肉増強効果や耐熱、耐冷など強力な効果が込められている。
その中でも今彼が使っているワセリンは、空気中に漂う魔素と限りなく成分が似通っており、魔法が発動する条件である『術者以外の物や魔力に触れる』という条件を成立させないという恐るべき効力を発揮するものなのだ。
この通称『耐魔のワセリン』には、その他の魔窟産の製品と違い恒常的に人体に及ぼす悪影響と言ったデメリットも無く、精々が全身にワセリンを塗ることで塗られた者のボディがテラテラと輝くことや、その輝きに魅せられたものはワセリンを塗っていない状態を普通の人の感覚でいう所の裸的な恥ずかしさを覚えるようになるといった魔窟基準では全く無害と言っていい程度のものであった。
しかしこのワセリンが魔窟以外の市場に出回らず、実質ダグラス達専用となってしまっているのにはいくつかの理由がある。魔窟の職人も、珍しく人体に無害な商品を生み出すことが出来たと喜び勇んで魔窟外の市場に展開を試みたのだが、そこで初めてこれらの商品に致命的な欠陥が発覚したのである。
まず一つ目に、これらのワセリンは全て人間の肌に塗ることで効力を発揮し、衣服や装備には効果が無かったことが挙げられる。即ち、素肌で受ける分には魔法を無効化できるが、衣服や装備に触れる分には普通に魔法が発動してしまうということである。
二つ目に、このワセリンの効果はあくまで触れても魔法が発動しないというだけで、発動してしまった魔法に対しては全くの無防備であるということである。
そして最後に、このワセリンでは魔法がぶつかった際の衝撃を消すことは出来ず、結果として柔らかく受け止める分には魔法は発動しないものの、ただ魔法を喰らおうものなら普通に魔法が発動してしまうということである。
そもそも魔法は本来そこに存在し得ない現象を魔力によって無理やり事象を捻じ曲げ発動させるものであり、非常に繊細なコントロールが必要となる技術であって、特に未熟な術者の修練で最も起こりやすい事故が、風や雨、土地によっては地震といった不可抗力によって練り上げている最中の魔法に衝撃が加わり、暴発してしまうというものである。
それだけ繊細な魔法だからこそ、どれだけ精密にコントロールできるか、どれだけ制御しきれるかが魔法使いとしての技量を問われる点となり、先に挙げた衝撃どころか武器として振り回し打ち合っても暴発しないレベルまで制御を行えることが一つの極致と言われるのである。
つまり、どんなにワセリンが空気中の魔素と同じ性質を持っていたとしても、どんな形であれ衝撃が加わってしまったが最後、魔法は発動してしまうのである。
おまけに、魔法を発動する際自前の魔力だけで魔法を練るのであれば問題は無いが、空気中の魔素を使うには自身の身体を媒介として直接魔素に触れることで働きかける必要がある為、一般的な魔法使いは実質的に魔法を封印される。同様に、回復魔法は対象の傷ついた箇所に直接魔法をかける必要があるという性質上、このワセリンを塗っている間は回復魔法も無効化される。
好奇心で魔窟の商人からこのワセリンを購入し魔物退治に挑んだ冒険者が、魔物から受けた傷を回復しようと回復魔法をかけようとした所魔素が集まらず発動すらままならず、慌ててワセリンを使わなかった仲間の冒険者に回復を頼んだものの、放たれた魔法は傷口を無視し、破れた服だけが直ったという事件は知る人ぞ知る魔窟の鉄板ジョークにさえなっている。
結局のところ、ダグラスのようにほぼ全裸で活動し、受けた傷も自前の魔力や自己治癒力で何とかできるという冒険者でなければ、このワセリンは何の役にも立たないどころかマイナスの要素だらけというものだったのだ。
しかしダグラスは、これらの問題を局部を隠す最低限の衣服以外は一切身に着けなければ良いだけだと笑い飛ばし、このワセリンを愛用することに決めた。このワセリンは、今までダグラスが塗ったくってきたどのワセリンよりもダグラスの筋肉を美しく、それはもう美しくテラテラと輝かせたのだ。要するに、決め手は性能ではなく見た目であった。
しかしその後ダグラスは、このワセリンと己の肉体を組み合わせることで恐るべき技を体得した。飛んでくる魔法を己の肉体の中で一番柔らかく受け止められる部位、即ち大胸筋で優しく包み込むように受け止め、衝撃を殺した瞬間に絶妙に力を加えることで、遊びに行っておいでと幼子の尻を優しく押す母親の如く優しく魔法を弾き返す。
この技によって、耐魔のワセリンはちょっとしたデメリットを持ちながらもダグラスの筋肉を最も魅力的にしてくれる至上のお洒落アイテムから、実用的な戦闘装束へと姿を変えた。
サイドチェストによる魔法の反射。それは頭のイカれたワセリン職人の悪ふざけのような製品と、ダグラスのひたむきなワセリン愛、筋肉愛が産んだ奇跡の妙技なのである。
どんな体勢からでも、どれだけ多角的な攻撃を受けても、流れるような自然な所作で行われるサイドチェストで対峙し、その豊満な大胸筋でその全てを受け止め、来る者は拒まず、去る者は追わずといった慈愛の心でキャッチ&リリースし、跳ね返す。
その姿は混沌としか言いようがなく、魔法を何度打っても大胸筋で跳ね返されてしまうディアボロスにとっては、悪夢以外の何物でもなかった。
「何故一切私の魔法が通用しないのかはさておき、貴様の攻撃も私には一切通用しない。私の魔力はほぼ無尽蔵だが、貴様の体力は果たしてどうかな? 時間さえ稼げば仲間が来て何とかなるとでも思っているかも知れぬが、何人がかりで来ようと無駄なこと! 同じ部位でしか魔法を受けようとしない所を見るに、何らかの術によりその大胸筋以外で魔法を受ければ普通にダメージを受けるのだろう? クハハ……! いつまでその虚勢が持つか楽しみだ」
「ヌウン! 物理攻撃が通用しないのであれば、こうである! ハッ! ダブルバイセップス!」
ダグラスはここに来て初めて魔法を受ける際のポージングを変えた。しかしそれは単にダグラスの気分転換的な問題であって、結局のところやることは変わらず、その豊満な大胸筋による魔法の弾き返しであった。しかし、唯一異なるのは……。
「どうであるっ! 物理攻撃が効かぬというのであれば貴様自身の魔法を喰らわせてくれるわっ!」
ディアボロスが放ち、ダグラスの大胸筋に優しく受け止められ弾き返された灼熱魔法は今まで防戦目的でただただ適当な方向に跳ね返していた軌道とは異なり、魔法を放った張本人であるディアボロス目がけ飛んでいき、直撃したかのように見えた。
「ふはははっ! 貴様の魔法の軌道はもう読めたのである! まずは一発! 直接殴れないのはつまらぬが、貴様を倒しさえすれば吾輩は500年前の英雄に並ぶ大英雄である! 500年前の勇者たちのように吾輩も500年以上伝説の筋肉として語り継がれるようになるのである! ふははははっ!」
「……誰が一発喰らったというのかね?」
一直線に飛んでいき、直撃したかのように見えた魔法が、ディアボロスの胸元に埋め込まれた水晶に吸い込まれていく。その様子は、ダメージを受けるどころか回復しているようにさえ見える。
「フハハハ、誰が私を倒すというのかね? まさか、私が私自身の魔法で傷つくとでも思ったのか? 確かに私は物理攻撃は効かぬ、と言ったがいつ魔法ならダメージを受けると言ったのだ? 私が何故この街のど真ん中で真の姿を現したのか教えてやろう。それは、貴様等全員が束になってかかってきた所で返り討ちに出来るだけの自信があるからなのだよ」
そう言って身に纏っていた瘴気を更にたぎらせ、今なお余裕な表情を崩さずに、ディアボロスはダグラスを威圧して見せるのだった。
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