第三十二話 計算ではなく偶然だから恐ろしい
「ドルカ! とりあえずこっちに!」
「そうだ! アッシュ君居たんだった! うひょー! アッシュ君もギャンブルしに来たの? 私ねーエリックっていうチンピラ屋さんと勝負してがっぽり稼いじゃったんだー!」
そう言ってアッシュ目がけて飛びついて来るドルカに、アッシュはもう突っ込む元気すら残っていなかった。
「あれ? アッシュ君また怪我してる! もー、やっぱりアッシュ君は私がいないとダメなんだねー。ちょっと待ってねー、今治してあげますからねー」
アッシュに飛びつくや否や、目ざとく階段に思いっきり叩きつけられた時に出来たのであろうアッシュの怪我を見つけ、怪我を治すという名目でアッシュの正面から両手を背中に回したドルカは、要するにアッシュに抱き着く形で生命力をアッシュに移していく。
「うへへへへー、役得役得! 朝も思ったんだけど、アッシュ君のここ落ち着くねー」
「落ち着いてる場合かっ! 治してくれたのはありがたいけどさっさと離れて立ち上がれ! 次が来る前に逃げるぞっ!」
そう言って引っ付いたままのドルカを引きずるように歩き出すアッシュに、ドルカは何故か動こうとしない。
「あっ待ってアッシュ君! 私のお金と宝の地図がっ!」
「言ってる場合かよっ! 大根も使い果たしちまった今、次魔法が来たら終わりじゃねぇかっ!」
「えーっ! でもあのおじさん出口の前にいるよ? アッシュ君どうする?」
恐らく風の矢を喰らって鮮度の良い大根卸しとなって爆発四散した大根達は、辛み成分を豊富に含んでいたのだろう。思ったより長い時間両目を抑えて呻いているローブの男ではあったが、流石に体制を整えつつある。そして、今逃げられたらまずいということを男も理解しているのか、決して出口である階段付近から離れようとしていない。
目が開いていないとはいえ相手は明らかに格上、凄まじいレベルの魔法の使い手である。下手に近づくと何をされるかわからない以上、あの男の脇を無事に通り抜ける方法を考えようにも相手の手の内がわからない。
「ガキ共! こっちだ!」
ローブの男とは真逆、部屋の奥側から不意に声をかけられたアッシュが目にしたのは、今まさに青い顔で力が入らない様子のチンピラを担ぎ上げて一見何の変哲もない部屋の角に向かっているチンピラの親分格の男だった。
「アッシュ君! 私ね、あの人と勝負して勝ったんだよー! すごいでしょ。あのチンピラ屋さん、あんなに怖い顔してるのに名前はエリックなんだって、面白いよね」
「うるせぇ気にしてんだよ! んなことはどうでもいい、てめぇらも早くこっちに来やがれ!」
アッシュはこの男の顔に見覚えがあった。確か、今朝ドルカを追いかけてきていたチンピラ達の中で、他の下っ端達が体力が尽きる度代わるがわる追いかけてきたのに対して、一人だけ最初から最後までドルカを追い続けていたリーダー格の男ではなかっただろうか。
何よりもまず警戒心が先に立ったアッシュではあったが、エリックとかいうこの男に声を掛けられたことで改めて周りを見渡してみると、先ほどまでと少し周囲の様子が変わっていることに気付いた。
「いきなりなんだよ! ってあれ? さっきまでもっとチンピラが倒れていたはずなのに一人もいなくなってる……?」
「へへ、やっと気が付いたか。てめぇらが奴の気を引いてくれていたお陰で俺の舎弟たちを逃がすことができた。礼を言うぜ」
そう言って気さくに笑って見せるエリックの顔には、今朝のような怒りや敵意といった色はない。
「逃がすって、あの魔法使いはお前らの仲間じゃないのか? 一体ここで何が……」
「詳しい説明は後でドルカにでも……、いや、落ち着いたら俺が説明してやるからとりあえず今は逃げるぞ!」
そう言いながら、エリックが部屋の角の壁を横に押し込むようにぐっと力を込めると継ぎ目の無いただの壁にしか見えなかった場所にすっと切れ目が入り、音もなくスライドした闇の中に、エリックもまた音もなく吸い込まれていく。
「ドルカ! 俺達も早くあそこに……」
――バキンッ! ビキバキビキッ!
ドルカの手を引き壁に向かって走り出したアッシュの頬を、カミソリのように鋭く凍てついた冷気が飛び、ぱっかりと開いた抜け道を一片の隙も無く氷が塞いでいく。
「エリックめ、随分と舐めた真似をしてくれるではないか……! 下等な人間共の社会にすら溶け込むことが出来ぬ底辺中の底辺共が……! この私を出し抜いて逃げようとは……! 必ず探し出し追い詰めて物言わぬ骸に変えてやる……! しかし……」
ようやく目の痛みが取れたのだろう、両肩を上げながら息をしつつ、恐ろしい形相を浮かべたローブの男の両目はしっかりと開き、こちらを今にも殺してやるという殺気に満ちた、血走った目で睨み付けている。
「うわーあのおじさんめちゃくちゃ目が充血してない? どうしたんだろー」
「……貴様に問おう。貴様はここまで読んでいたのか? 私の魔法をゴーレムで受け、そのゴーレムの欠片が私の目に入ることを読んだ上でゴーレムに毒を仕込んでいたのか?」
『毒』という言葉を聞いて一瞬あれ? と考え込んでしまったアッシュだったが、アッシュはすぐに一つの事実に思い当たった。
そう、あの大根達を無理やり成長させたのは、『猛毒の香水屋 』と呼ばれる女冒険者からドルカが買ったという『植物が良く育つ香水』のひと吹きである。その時の不純喫茶のマスターとの会話では冒険者としての実態を詳しく聞いてはいなかったが、そこは魔窟の冒険者。もしかすると、その香水によって成長させた植物は猛毒をその体内に発生させるのではないか、とアッシュは思い至ったのである。
「……お前、ほくほくになったアレクサンダーも大根卸しも食べなくて正解だったみたいだぞ?」
「え? 何で?」
「あの香水で育った大根な、やっぱり毒を持ってたらしい」
「そうなのっ!? じゃあ食べられないじゃん! なんだーつまんないのー」
あからさまにがっかりした表情を浮かべたドルカと、そのドルカを真っ赤に充血した目で睨み付けているローブの男。男は一度目を閉じ一度だけ大きく呼吸をすると、再び目を開けてこう続けた。
「……ふぅ。やはり、計算ではないか。やはりあの遊び人を名乗る狂人の血を引くだけのことはある。何の意図も持たず、気まぐれの思いつきだからこそ読めず、その癖にここぞという時に予想外の方法で我らの攻撃を凌ぎ切る。貴様が、いや貴様の祖先さえいなければ我らが王はあの小賢しい勇者とその他有象無象等相手にすらならなかったというのに! 狂人にとしか見えずにいた、ひとかけらの戦力さえ持たずに大戦に臨んだ貴様の祖先ただ一人を放っておいたが為に! ただそれだけのことで我らが王は! 貴様等下等な人間に敗北したのだっ!」
「……祖先? 対戦? 敗北? さっきから一体何を……?」
ぶつぶつと独り言を繰り返すその姿は充血しきった目をカッと見開いていることもあり、明らかにヤバい奴である。しかし、それ以上に言っている内容がヤバい。身体から瘴気まで漏れ出している。これらのことから導き出される結論に、アッシュは思い至ることからさえ逃げ出したい気持ちであった。
「……私は500年前とは違う。我らが魔の王の完全なる復活の為にも、やはり貴様は生かしてはおけぬ! 出来れば魔王様の居場所を掴めるまでこの街に潜伏していたかったのだが、致し方ない。……ガアァッ!」
「魔王様……っ!? やっぱりお前はっ!」
――ミチミチミチッ
アッシュが最初に耳にしたのは、酷く耳障りな、何かが内側から盛り上がってきて、今まで閉じ込められていた窮屈な器を突き破ろうとする音だった。
始めアッシュは、その音の正体が膨れ上がる筋肉によって今にも破れそうなローブが悲鳴を上げているのだと思ったが、すぐにそれが見当違いであることに気付く。思いのほかあっさりと破けたローブが男だったものの身体から落ちても、ミチミチという不快な音は止まず、むしろ中途半端に遮るものが無くなったことでその音は勢いを増していく。
皮膚だ。この音は、ヒトの皮膚を中にいるナニカが膨れ上がり突き破ろうとしている音なのだと理解したその瞬間、『バツン』という鈍い音と共に、どす黒い瘴気が零れ出し、皮膚を突き破ってなおも膨れ上がる肉塊を包み込んでいく。
目の前で起こっている異様な光景に、逃げ出さなければいけないと思いながらも、アッシュは指先一つ動かせずに目を奪われてしまっていた。
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