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第三話 あれ? こいつ一人でも平気だったんじゃね?

「――ウォーターボールッ!」


 アッシュの右手から放たれた水魔法は、決して速いものではなかった。子供の頃から使い慣れた魔法だけあって詠唱速度だけは中々のものであったが、これまでは飲み水をその場に出す魔法としてしか使ってこなかったのだ。戦闘用の魔法として、相手に向かって勢いよく飛ばしてぶつけるという『発動』にあたる部分の訓練がアッシュには致命的に不足していた。

 そういうわけで、アッシュの放ったウォーターボールは、決してまだ実戦で使えるレベルではない。せいぜいがふよふよと相手目がけて飛んでいって、何かにぶつかった所でばしゃんと弾けて辺りが水浸しになる程度である。

 もしかすると、そんな殺傷力の低さが、余計にチンピラ共の危機感を刺激せず、油断させたままになったのかも知れない。それとも、アッシュ自身でさえ意識より先に身体が動いたような錯覚を覚えるほど、無意識に紡がれた魔法だったからだろうか。

 ふよふよふわふわと放物線を描いて飛んだ水の塊は、上役だけでなく、周りを取り囲む下っ端やアッシュ本人、そして、一連の流れを固唾を飲んで見守っていた周囲の人々の視線さえも釘付けにして、少女を捕まえていた上役の顔面に吸い込まれるように飛んでいき、そこでバシャンと爆ぜた。


「ンガボゴァ!?」


 急に視界も呼吸も遮られたチンピラは、思わず少女を掴んでいた手を離し、慌てて顔をかきむしるようにして水を打ち払う。元々何か障害物に当たれば直ぐに形も浮力も失い、軽く爆ぜる程度の魔法ではあるが、目や気管に入ったのだろう。目もあけられずにゲホゲホとむせている。


「ア、アニキィッ!?」


 上役がやられたことで、下っ端と思われるチンピラも、3人が3人全員上役の方に気を取られている。アッシュは立て続けに3人分のウォーターボールをそれぞれの顔目がけて放つと同時に、いきなり襟を掴まれていた手を離されて座り込んでいた少女に向かって駆け出し、手を差し伸べた。


「今だ! 来いっ!」


 そうだ。アッシュは冒険者になりに来たのだ。自分が偉大な英雄になれるだなんて思ってはいない。正義の光に溢れる勇者になるつもりもない。それでも、アッシュは冒険者になりたくてこの街までやってきたのだ。

 アッシュ自身が、魔法を放ってから自分の行いに気付き、驚くような始末であったが、後悔も無ければ迷いもない。ちょっと才能の秀でた子どもなら扱える者がいても珍しくはないようなレベルの初級魔法で、誰も傷つけることなく、アッシュは少女の手を引き駆け出すことに成功していた。


――ただ一人。


 少女だけが、アッシュの放った魔法に目もくれず、当人よりも早く、アッシュが自分を助け出そうとしてくれたことに気付き、目を輝かせていた。

 チンピラから解放され、思わず座り込んでしまったままアッシュをじっと見つめる少女。そのおめでたい脳内では、僅か一瞬の間に、この後繰り広げられるであろう、めくるめく、それはもう壮大なロマンスが繰り広げられていた。

 宝の地図を片手に旅をしていたら暗躍していた悪の手先の所業を偶然暴くことになった二人。二人に襲い掛かる魔の手。颯爽と返り討ちにした二人は悪を打ち倒した報奨金でゴージャスな愛の巣を構え、幸せに暮らす……。

 そんなハッピーエンド一歩手前まで来ていたのに、「今だ! 来いっ!」というアッシュの叫びが少女を現実に引き戻した。……アッシュ君は声もかっこいい。未来のロマンスに思いを馳せるのもいいが、そんなことよりまずは今目の前の愛の逃避行を心行くまで楽しむべきである。少女は全力でアッシュの差し伸べた手に飛びついた。


「大丈夫か? 怪我、してないか?」


 手を取り駆け出した直後にこれである。後ろでチンピラが「ゲバグゴボガボ」とか「ウゴァア!」とか「ぶっ殺じでやるゥ!!」とか喚いたり叫んだり吠えたりしているがそんな些細なことはもうどうでもいい。なぜなら二人の愛の逃避行がこれから始まるのだから。

 大切なことを忘れていた。少女はまだアッシュに名前を名乗っていない。


「う……」

「どうした? どこか痛むのか?」

「うひょー! アッシュ君、私はドルカ! ドルカ=ルドルカ! 不束者ですがよろしくね!」

「……は?」

「きゃほー! そうと決まれば走るよ! 私は全力で走るよ! あははははははは!」

「……えっ?」


 助けた少女(ドルカというらしい)が突然奇声を上げて走り出した。転んだ拍子に実は頭でも打っていたのだろうか。こちらをじっと見つめてはぽっと顔を赤らめ、どこで息継ぎしてるのかわからないレベルで笑い、時折「うひょー!」と奇声を上げながら恐ろしいスピードで走っている。それなのに一切息を切らさずに、少女は恐ろしいスピードで走り続けている。

 アッシュが手を引き先導していたのは怪我をしてないかと声をかけるまでの数秒位で、既にもうドルカがアッシュの手をこれでもかという恐ろしい力で引っ張って走っている状態である。

 名前を教えてくれたのはいいが、「不束者ですが」などという不穏な言葉が聞こえてきたのは気のせいだろうか。今背中を伝う冷や汗は、果たしてアッシュが放った魔法でブチ切れて先ほどよりも恐ろしい怒気で罵声を浴びせながら追いかけてくるチンピラのせいなのだろうか。

 アッシュは冒険者になりに来たのだ。自分が偉大な英雄になれるだなんて思ってはいない。正義の光に溢れる勇者になるつもりもない。それでも、アッシュは冒険者になりたくてこの街までやってきたのだ。

 アッシュは、自分の手を引き奇声を上げて笑いながら走るドルカを見ながら、もしかすると今自分はとんでもない人間と関わり合いになってしまったのではないかと思い始めていた。

 アッシュの右手をぐいぐいと引っ張りながら突っ走る謎の少女、ドルカ。


――こいつ俺にぶつからなきゃ一人でも余裕で逃げ切れたんじゃ……?


 アッシュはただただ、目の前を楽しそうに走る少女を見て戸惑うばかりであった。

ちょっと短めですが代わりに次話が長めです。

また1時間後に次話を投稿します。


逃げ出した二人の行方はいかに……!?

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