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第二話 この頃はまだ普通の女の子だと思っていました。

 思わずこちらに向かって一直線に飛び込んできた少女を抱きとめて後ろに倒れこむ羽目になったアッシュは、その衝撃に思わず目を瞑りながら、少なくとも自分は酷い怪我をせずに済んだ、と一番酷くぶつけたお尻から伝わる痛みの程度から判断しつつ、その痛みに顔をしかめた。

 少々の怪我なら覚えたてのヒールでも十分治せる。とはいえ、冒険者になろうという野望を秘めてショイサナにたどり着いたその日に怪我をするというのは、これから始まっていく冒険者生活の第一歩を踏み出す前から出鼻を挫かれることになってしまう。

 そう考えると、ひとまず怪我をせずに済んだのは不幸中の幸いと言えるのではないだろうか。

思わず抱きとめる形となった少女はどうだろうか。怪我をしていたなら、この場合アッシュがヒールを使ってやるべきだろうと、恐る恐る目を開ける。自分の胸にすっぽりと収まる形で縮こまっている少女を見下ろすと、ちょうど向こうも現状を確認した所だったようで、しげしげとこちらの顔を観察している所にばっちりと目が合ってしまった。


――しげしげ。

「おぉ~……」

「えっと……怪我はない?」


――ぺたぺた。

「おぉ~……」

「あの、怪我は……?」


――すりすり。

「おぉ~……」

「……聞こえてます?」


――すんすん。

「おぉ~……」

「怪我してないなら起きろよ!」

「おぉ……?」


 何故かアッシュを下敷きにして抱きかかえられたまま、アッシュの顔をしげしげと見つめたり、身体のあちこちをぺたぺたと触ったり、何故か胸元にすりすり頬ずりしてみたり、すんすんと匂いまでかぎ始めた少女に対し痺れを切らしたアッシュがそう叫ぶと、ようやく我に返ったらしい少女は、それもそうかという表情で「んしょ」と小さく呟きながら立ち上がり、ぱんぱんと身体についた砂埃を払った。

 返事こそなかったが、どうやら怪我はしてなさそうである。自分からぶつかってきて、こっちが庇うように受け止めたというのに礼どころか返事のひとつもよこさないマイペースっぷりである。

 ちょっとだけムッとしたアッシュであるが、少女がしげしげぺたぺたすりすりすんすんとアッシュを検分している間、アッシュもまた触れている至る所から感じる少女の柔らかさ、目が合っただけで吸い込まれそうな気さえした深い藍色の瞳、艶やかに伸びた睫毛、そして背中や腰に回した両手が少女のどこに触れてしまっているか、といったあれこれにドギマギしてしまったことも事実であり、何故か強く言うことが出来なかった。

 

「おうアンちゃん、よう手伝ってくれたな」

「え?」


 少女に目を奪われていて今の今まで気が付かなかったが、いつの間にやらチンピラ達が追い付いてきてしまっていたようで、もう逃げられないようにと、少女の来ている服の背中側の襟を後ろから掴み上げている。


「あー、さっきのチンピラさんかぁ。私捕まっちゃったのかぁ。」

「随分危機感のねぇガキだが、まあいい。そんな余裕ぶっこいていられるのも今だけだ」


 掴み上げられたことでつま先が辛うじて地面に着くか着かないかという状態の少女は、手足をばたばたさせたり身体を捻ってなんとか逃げられないかと落ち着かない様子であったが、それでも逃げられないことを悟ると、意外にも大人しかった。

 少女は特に抵抗するでもなく、首を掴まれたネコのように手足をだらーんとさせたまま、まだ尻もちをついたままのアッシュに話しかけ始めた。


「ねーねー、名前は?」

「えっ、名前? アッシュだけど」

「アッシュ君かー。じゃあアッシュ君!」

「な、なんだよ」


 この状況で「助けてくれ」とでも言うのだろうか。確かに少女の外見はかわいらしく、抱きとめている間色々ドキドキしてしまったのは事実だ。

 しかし、この少女が何故追われていたのか、どちらに非があるのかもわからない。ましてや、アッシュはついさっきこの街に来たばかりである。背後に何が潜んでいるかわかったものではないチンピラ共を相手に、「少女を開放しろ」などと言ったらほぼ間違いなく、自分もただでは済まないだろう。

 周りの人々は視線こそ感じるものの、まだ道端という背景に溶け込んだままで、アッシュのことも、もちろん少女のことも助けてやろう、という気配は感じられない。

 この少女には悪いと思うが、冒険者登録すらまだであるアッシュは無力に等しい。


――結局お礼も言われず、名前も知らないままだったな。


 ゆっくりと立ち上がりながら、アッシュは断り文句を考え始めていた。


「おいアンちゃん。悪いことは言わねぇ。この嬢ちゃんのことは忘れな」


 今まさに口を開こうとしていた少女を遮るように、チンピラの一人がアッシュに言った。服装こそその他のチンピラ達と大差ないが、腕輪やネックレスといったアクセサリーをじゃらじゃらと身に着けている所を見るに、おそらくこの男がこの場では最も上の立場なのだろう。


「他の連中と違って逃げ遅れた所を見るに、アンちゃんここに着いたばかりだろ? 右も左もわからねぇうちから、面倒背負い込みたくはねぇよなぁ?」


 これはある意味、このチンピラの上役なりの優しさなのだろう。この街に着いたばかりのアッシュに、これがこの街のルールだと言うことで、目の前の少女を見捨てることに罪悪感を感じさせず、同時に「自分たち」という目に見えない掟が存在することを認めさせようとしているのだ。

 手慣れた様子で一見人懐っこい笑みを浮かべてはいるが、その一方で決して目は笑っていない。ギラギラとした冷たい目で威圧をかけてくるチンピラを前にして、何故かアッシュの心は揺れ始めていた。

 自分も息を潜めることが出来ていて、駆け抜けていく少女とチンピラを眺めているだけだったなら何も疑問に思わなかっただろう。そもそも騒ぎに気付かずに、あるいは気付いたとしてもそれを無視して別の場所をぷらぷらしていたら目の前の少女と出会うことさえなかっただろう。そもそも、チンピラに言われるまでもなく、自分は何と言えば無難にこの場をやり過ごせるかと考え始めていたというのに。

 そんなアッシュの逡巡など全く構わずに、恐怖や不安の欠片も感じていない、間延びした声で少女は言った。


「アッシュ君、ありがとねー! 捕まっちゃったし、また今度会った時にお礼するね!」


 この少女は何を言っているのだろうか。この状況、このタイミングで何をどうしたら「今度」という発想ができるのか。少女は、そう言ってにこにこと笑いながら手を振っている。相変わらず首根っこを掴まれたネコ状態なのに。


――ああ、この子は無垢なんだ。

 

 アッシュはそう思った。一体彼女の何がチンピラ共の気に障ったのかはわからないが、この無垢で世間知らずな少女は、きっとその無垢さ故に失礼な態度を取ってしまったに違いない。そして、何が何だかわからないうちに、追われはじめ、追われたから逃げてしまったのだ。自分が何をしてしまったのかはわからないが、逃げてしまったからには、そして捕まってしまったからにはちゃんと謝れば許してもらえる。その程度のことだと信じて疑っていないのだ。

 見れば、あまりに無邪気で裏表のないその言葉は、流石のチンピラ共にとっても予想外のことだったのだろう。呆れた表情で口をぱくぱくとさせている。下っ端に至っては毒気を抜かれてしまっているようにも見える。


――だから、初動を見逃すことになった。だから、アッシュが素早く唱えた呪文が耳に入り、頭で理解するまでに時間がかかってしまった。


「――ウォーターボールッ!」


次話からドルカちゃんの暴走が始まります。


次話の投稿は明日21日23時予定です。

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