第九十八話 量産されていく黒歴史
勇者アレクは、目の前で繰り広げられている光景を、ただ茫然と眺めていた。
オリビアがオーラを乗せた一撃で飛散させたワセリンを全身に受けたディアボロスは見るからに動きが悪くなり、これが勝機と一気に距離を詰めてきたオリビアに対し魔法を展開して迎撃しようとしては上手くいかず乱打を辛うじて受け流すという防戦一方といった様相である。
「いけぇっオリビア! あいつの魔法は封じたっ! 今ならバカスカ殴り放題だ!」
「うひょー! リビ姉ーっ! やっちゃえー! うひょー!」
声援を受けたオリビアが、口元を緩ませむふーっと鼻息を立てながら、凄まじいスピードでディアボロスに肉迫する。
「任せてぇっ! お姉ちゃん頑張るからねぇっ!」
最高潮に高まったテンションが、オリビアのオーラを爆発的に増加させ、ゆらゆらと陽炎が立ち上るかのように、オリビアの周囲の光景を歪ませる。そのゆらぎの中で、ディアボロスは自分の眼前にオリビアの拳が一瞬で迫って来るのを見た。
「こんな所で……! こんな所で終わって溜まるかァッ……!」
――轟ッ!
オリビアが思い切り振り抜いた右の拳は、爆散させるために殴り抜いた際に付着してしまったワセリンの効果もあってオーラを流し込むには至らない。その手応えの軽さに軽く舌打ちをしたオリビアであったが、それは逆を返せばディアボロスに魔力を吸収されて回復させずに済んだことと同義であり、結果として今考えられる限り最上の一撃を喰らわせたこととなった。
「倒した、のか……?」
アッシュの計略により一気に攻勢が逆転してから今に至るまで、尋常ではないダメージを抱えていたこともありただただ棒立ちで眺めていることしかできなかった勇者が、目の前の光景と己の無力さに膝を折りそうになりながらも、その瞳だけはこれでもかと開いて、オリビアの前に立ち尽くす魔人の姿を凝視する。
オリビアの拳は寸分違わず巨躯の魔人の胸部に輝いていた水晶球をぶち抜いており、胸にぽっかりと穴をあけた仮初の肉体は、さらさらと音もたてずに塵となって消えていく。
「うひょー! さっすがリビ姉! かっこいー!」
「あぁああぁあっ! 生け捕りにしようって言ったのにぃっ!」
ただただオリビアの一撃を見てきゃっきゃとはしゃぐドルカに、この期に及んでディアボロスの生け捕りに失敗したことを嘆き悲しむアッシュ。そんな二人の元に、ディアボロスの放った魔法の嵐を身を寄せ合うことで辛うじて生き残った大根達がわらわらと集まって来る。そんな光景の中、目の前で崩れていくディアボロスの身体を睨み付けたまま油断なく構えていたオリビアが、何かを察知したかのように不意に後ずさった。
――ヒュンッ!
その瞬間、オリビアが今しがた立っていた辺りの地面が抉れ、めくれ上がる。
「……完全に気配を絶ち、不意を突いた筈なのだがな」
地の底から這い出てきたような、背筋が凍りつくような底冷えのする声。慌ててその方向に目をやったアッシュは、先ほど後ろに飛びずさったはずのオリビアがその声目がけてすさまじい速さで向かっていくのを見た。
「……手応えが無かったから。生きててくれてよかった。生け捕りにするのがアッ君との約束だったからねぇっ!」
アッシュよりも頭二つ分も背が高いはずのオリビアが、まるでしなやかな猫のように飛びかかる。その先に蠢いていたのは、黒い靄のような何かに包まれた、ディアボロスの胸に付いていた水晶球であった。
「何だあれはっ!? あの状態で生きて……?」
「……どうやら、身体は造り物だったようね。本体はあの水晶一つだけ。アッシュちゃん見て? あの黒いもやもやがどんどん人間の身体に近付いていく……!」
蠢く靄はまるで水晶球に無数の虫が群がっているかのようであり、それが徐々にヒトの身体を模していく様は不気味としか表しようがない。そんな靄目がけて、オリビアは迷わず突き進んでいく。
「どんなに本気で殴っても、何回でも復活してくれるのかなぁっ!? わたし、それなら張り切っちゃうううぅうぅうっ!」
「試せるものなら試してみるが良いっ! 貴様の命を引き換えになッ!」
そう言い放ったディアボロスの、完成しきっていない身体の正面の空中に、魔法陣が浮かび上がる。
「そんなっ! 魔法はアッシュさんの作戦で封じたはず!」
「そうか、ワセリンが付着した身体を捨てたから……っ!」
「下がれっ! あの魔法は僕が潰すっ!」
いくら頑強なオリビアといえど、あの規模の魔法が直撃したら危ない。ようやく最低限の回復を終え、体勢を立て直した勇者アレクは、咄嗟に己の聖剣を振るい、その剣先から青く迸る雷をディアボロス目がけて放った。
あの魔法陣は風属性のもの。魔法が発動する前のこの状態で雷属性の魔法を当てることが出来れば、属性相克によって魔法の発動そのものを潰すことができる。先ほどの魔法吸収のからくりはわからないままであるが、恐らく何かしらの高度な術式によるものである。それならば、まだ肉体の構成も十分でない今であれば魔法による攻撃も通るはずである。魔法の気配を読んですかさず横に飛んだオリビアと入れ替わるように、勇者アレクの放った雷は一直線に進んでいき、容易く魔法陣を貫いた。
「やったか……!?」
「クク……。流石の私も肝を冷やしたぞ……!」
雷が着弾し、地面とその前の攻防で散っていった大根達の残骸が焦げるちょっといい匂いが漂う中、ディアボロスは悠々と、元通り寸分違わぬ筋骨隆々とした肉体を身に纏ってぬぅっと姿を現した。
「くそっ! あの軌道で何故避けられる!?」
「むしろ、あの身体の状態だったからこそのようねぇ……。もやもやがもやもやのまま横にずれるようにして躱したように見えたわぁ」
魔法を回避する瞬間を見逃さなかったマヤリスがそう伝えると、勇者アレクは憎々し気に叫ぶ。
「ならば剣だ! この聖剣で今度こそ本体の水晶ごとあの身体を断ち切ってくれる!」
「ヒイバ! 僕たちは後方からアレクの援護だ! 今度こそ勇者と英雄の力を見せつけてやろうじゃないか!」
「アレク……! 俺達も微力ながら支援させてくれっ!」
幾度となく絶望的な状況に陥りつつも、アレク達は立ち上がり倒すべき相手に立ち向かっていく。その様はまさしく勇者そのものであり、不覚にも胸を打たれ高揚してしまったアッシュは、ほんのわずかでも助けになればと、ドルカから魔力を供給されながら、全力でヒールを放つ。
その淡い光を受けながら、勇者アレクは、既にすさまじい攻防を展開し始めているオリビアとディアボロス目がけて駆けて行く。
魔法を吸収することで数による優勢を覆し、自身は魔法を駆使しながら肉弾戦もこなす。ようやく魔法を封じたと思えば肉体を再構築することによって蘇る。
「これが、500年前に人類を脅かした四天王の本気……!」
思わずそう呟いたアッシュに、オリビアがくすくすと愉悦といった表情で話しかける。
「どう、アッシュちゃん? まだ生け捕りにする方法、思いつけそうかしらぁ……?」
「そうだよアッシュ君! 今度こそアッシュ君の凄い作戦でいけどりだー! うひょー!」
「……マヤリス。お前わかって言ってるだろ! あぁもうっ! 結果オーライってことで忘れてくれよっ! そもそも今そんな状況じゃないだろうがっ!」
恐らくはあの産み出された宝石に人の欲望を増幅させるような呪いが仕込まれていたのであろう。相手の術中に嵌り、しっかりと欲望に目が眩んでしまいつつも斜め上の発想で窮地をしのいでいたことに今更気付いたアッシュをからかうように笑い、顔を覗き込んでくるマヤリスに、アッシュは恥ずかしいやら悔しいやら戦いに集中したいやら、どんな表情で戦いを見守れば良いかわからなくなるのであった。
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