第八十話 オリビア式ダンジョン踏破術
「……これがダンジョンの中か」
「すごーい! ひろーい! うひょー! わくわくするねアッシュ君! うひょー!」
勇者アレクのパーティと遭遇したことで気が抜け、気を取り直す為に改めて互いの役割を確認し合ったものの当然気が引き締まるといったことはなく、結局のところいつも通り何やら気の抜けた状態で洞窟に突入したアッシュ達であったが、それでもアッシュは産まれて初めて潜ったダンジョンの空気に感動を覚えていた。
森の中の何でもないような傾斜の斜面に、ぽっかりと空いた横穴。その入り口は無数の魔物や獣、人間によって踏み固められた形跡があるのだが、そのほぼ全てが中へと入っていく足跡であり、中から外へと這い出てくる足跡は何処にも見当たらない。幼少期森に囲まれた小さな村で育ったアッシュにとってその光景は非常に強い違和感を覚えるものであり、だからこそ目の前の何でもないように見える横穴が、ダンジョンの入り口であるということを強く意識させられた。
なお今回については流石にその場のテンションのまま勝手に一人でダンジョンに飛び込まれてはまずいということで、予めアッシュはドルカの右手をがっしりと掴んで逃がさないようにしていた。事実、アッシュがこうやってしげしげとダンジョンの入り口を観察している間にドルカが幾度となく「うひょー!」「とっつげきー!」と叫んではぐいぐいとアッシュの腕を引っ張って飛び込もうとしていたことを考えると、それは非常に賢いせん択だったといえるだろう。
「ふふ、面白いでしょう……? これがダンジョン。ここから先は、全てが瘴気に侵された魔物の領域。何気ない壁の盛り上がりや石ころ一つでさえ罠であることを疑う必要のある、絶えず殺意を向けられ続けている空間よ」
「とは言え、このダンジョンは既に機能を停止していることが確認されている。今あるいている道も、人間だけでなく無数の獣や魔物がこの奥に待ち構えている宝石樹のフェロモンに誘われて通った道だ。ダンジョンがダンジョンとして生きていた頃の罠は全て踏み壊されていると思って良い。だからこのダンジョンに限っては罠を警戒する必要はない。油断をしていい訳ではないが、その辺りは少なくともアッ君なら心配は不要だろう?」
そう、口々に言って笑いかけてくるベテラン冒険者二人は、まるで何の気負いもしていないかのような振る舞いで、どんどん穴の奥へと進んでいく。
二人が最低限の警戒こそ解いてはいないものの、全く臨戦態勢を取らずに鼻歌でも歌いそうな雰囲気で歩いている。その様子と、自分なりにその目と耳、それ以外の全てを総動員して察知した情報でアッシュが導き出した答えは、『まだこの辺りに魔物の気配が見当たらない』ということであった。
そもそももしこの辺りを縄張りとする魔物がいるのであれば、その魔物達がこの辺りをうろついたような足跡などの痕跡が残っていて良いものである。生憎狩りで獲物の痕跡を辿るのに役立つ餌の食べ散らかしや糞尿の類はそれらを食料としているスライムなどの魔物によって跡形もなく掃除されてしまうのがダンジョンの常であるが、それにしてもあまりにも魔物の生活の気配が見当たらない。アッシュが灯したライトの魔法で照らされた足元には、未だに入り口から続いている魔物達の足跡が一直線に洞窟の奥へ奥へと伸びているばかりであった。
「……ってか、魔法が使えないから大人しく俺の隣にいるドルカや俺と同じように自分の魔法で周囲を照らしているマヤリスはさておき、なんでオリビアは灯りも無しにそんなに迷いなく歩けるんだ? ……っていうか俺とマヤリスの灯りの範囲から完全に出ちゃってるけど、そこにいるんだよな?」
「んふふふぅ! 凄いでしょっ! これにはねぇ! コツがあってねぇっ! 肌で感じる空気の流れや自分の声や足音が何かにぶつかって跳ね返る響き、壁や床に生える苔の匂いなんかを辿れば目が使えなくても大体の地形は把握できるんだよっ! 今はやってないけど、身体の中の魔力をぶわって身体の外にまで広げていくと、それに何かが触れるとわかるからそうやって周りの状況を把握するのもおススメかなぁ。ほら、前にわたし一人でおうちの近くに出来たダンジョンを踏破した時の話したでしょ? あの時に全然光が入らない真っ暗闇のフロアがあってねぇ! そこを手探りで2週間位歩いてた時に覚えたの」
そう嬉々とした表情で語るオリビアに、アッシュは改めてオリビアという冒険者の人間離れしたサバイバル能力にドン引いた。両手両足をきつく縛って身動きが取れない状態で海に放り出してもそのまま平気な顔して生活できるんじゃあないだろうかこの人。
「……つくづく人間業じゃないわよねぇ、貴女って。私も似たようなことをやってはいるけれど、だからと言って流石に平気で光も無しに2週間もぶっ通しでダンジョンを潜るとか言われると正気を疑うわぁ……」
「ふぇっ!? なんで!?」
マヤリスにそう突っ込まれたオリビアが、本当に何故そんなことを言われたのかわからないといった声色で叫ぶと共に、ぬぅっと灯りで照らされている範囲に姿を現したオリビアの姿は、オリビアの身長に対し灯された光の高さが足りず下から照らされており、予想外の言葉によって悲壮な表情を浮かべていたのも相まってホラーそのものであった。
「あはははー! リビ姉こわーい! 何今の!? ねえねえもっかい! もっかい入ってきてー!」
「うううぅううぅう! ドルカちゃんまでわたしを怖いって言った! ドルカちゃんやアッ君だけはみんなと違ってわたしを怖がらずに普通に接してくれてたのにぃっ!」
ドルカや大根に纏わりつかれて嬉しそうな表情を浮かべていたのはそういうことだったのか。無自覚に全身から垂れ流されている圧倒的強者としての覇気や威圧に耐性の無い小さな子供や危機察知能力に長ける動物たちは、皆オリビアが近付くと必死になって逃げ出すのだ。本人はあんなにもちっちゃくて可愛いものが大好きだというのに、オリビアという女性はどこまで悲しい運命を背負っているのだろうか。
「……俺としては今まで自分自身に疑問さえ抱かずに寝耳に水ですと言わんばかりのリアクションが取れることが一番ヤバいと思う」
「アッ君までなんでぇっ!? 絶対皆だって真っ暗闇の中を2週間くらいいつ襲い掛かって来るかわからない魔物達を返り討ちにしながら歩いてたら出来るようになるのにぃっ!」
「普通の人はその状況に置かれたら3分で死ぬんだよっ! 何で平然と返り討ちにしてるの!? ってかその状況のまま2週間彷徨うとか拷問かよ発狂するわ普通!」
それはそれとして、どうしても『自分』というものにあまりにも無頓着なオリビアの在り方に突っ込みを入れてしまったアッシュであったが、返ってきた言葉がこれである。もはや常識が通用しないとかそういうレベルではない気がするのだが、一体この残念美人はあとどれだけの人外スキルを身に着けているのであろうか。
「ふふ……。そんな軽口を言い合っている内に、見えて来たわよぉ? あのぼんやりとした光、あれが宝石樹の放っている光ね。あそこからは灯りの魔法は要らなくなるけど、いよいよ魔物が出てくるようになる。アッシュちゃんにドルカちゃん、心の用意はできているかしらぁ?」
そう言って指し示された道の先。アッシュは確かにうすぼんやりとした灯りが広がっているのをその目で確かめると同時に、それまで黴と湿気た土の匂いしかしていなかった空気の中に、倒れた木や落ちた葉が朽ちてうず高く積もっている、懐かしい森の香りが混ざり始めたことに気付く。
「……本当に、ダンジョンの中に木が生い茂っているんだな」
今まで灯りどころか生命の気配さえ感じることのなかった暗がりの先に突如見え始めた森と、命の気配。その濃密な気配に懐かしさを覚えたアッシュの頭に、突如強烈な勢いでガンガンと警鐘が鳴り響く。
――それは、普通の森には決して存在し得ない、強烈なまでの死の気配である。
『この先に広がっているのはお前の知っている森ではない』と、強烈な違和感と寒気がアッシュの全身に纏わりつく。
「大丈夫だよアッシュ君! なってったって私がついてるからね! 頑張ろうねー! うひょー!」
この先に一体何が待ち受けているのか。ついつい汗ばみ、力が入ってしまったアッシュの手を、ドルカは嬉しそうに握り返す。
「……ああ、ありがとうなドルカ」
また、冷静さを失っていた。隣をいつもと変わらない、元気いっぱい笑顔いっぱいの様子でるんたるんたと歩くドルカを見て、アッシュは何だかんだで頼もしい仲間だ、と心の中で呟く。
ここから先、どんな戦いが待ち受けているかはわからないが、マヤリスにオリビア、そしてドルカと一緒ならきっと何とかなる。
猛毒の香水屋に剣を握り潰す残念女戦士、幸運だけのアホの娘というわけのわからないパーティではあるが、そんな仲間達の姿がとても頼もしく見え、改めて気合いを入れ直すアッシュであった。
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