第六十一話 初陣は見学から
「ふふ……、そんなにおっかなびっくり歩かなくても大丈夫よぉ? 少なくとも今のところは周囲に魔物はいないわぁ」
「その通りだ。戦場では気を抜いた者から死んでいくのが世の常ではあるが、むやみやたらと気を張り続けて消耗する者もまた死に好まれる。わたしやマヤリスが付いている以上、不意に襲い掛かる死の危険はないと思ってくれて構わないのだぞ?」
ショイサナの東に広く生い茂る森の中を歩くこと数分。昨日訪れた、ゴブリン達の楽園(今は大根達の楽園でもある)と化している北の森とは明らかに異なる、濃密な魔素と強力な魔物の気配に、アッシュは早くも気圧されていた。
「アッシュ君怖いの? やっぱり左手だけじゃなくて右手も繋いであげようか?」
「逆になんでお前は怖くないんだよ! あと両手繋ぐってなんだよダンスかよ! そして『やっぱり』ってなんだ『やっぱり』って! まるで一度提案しましたみたいな口調で言いやがって! 初耳だよ!」
利き腕である右手に纏わりつかれていた状態からなんとか左手にするように伝えて繋ぎ直させた所なのに、何故このいつ魔物が襲って来るかわからない所で両手を繋いだまま歩かなければならないのか。
怒涛の3連突っ込みで冷静さを取り戻したアッシュは、不思議と止まってしまった恐怖感の代わりにドルカに感謝しなければいけないような、でもこの流れで素直に感謝したくはないようなそんな微妙な感情を胸に抱きながら、先を行く二人に質問を投げかけた。
「なあ、今はまだ魔物はいないって話だけど、あとどの位奥に行けば魔物が出てくるようになるんだ?」
「そうねぇ……。そろそろというか、もうとっくに出てきてもおかしくはないのだけれど。オリビア、貴女周囲を威圧しすぎなんじゃない?」
「ふふ、やはりマヤリス程の相手になるとわかってしまうか……。アッ君が森の雰囲気に慣れるまでは、雑魚とはいえ魔物を寄せ付けない方が良いかと思ってな」
そう言うとオリビアは、『ふぅ……』と一息吐いて気だるげに首を回しながら髪をかき上げた。別にその行動自体に意味はないはずなのに、確かにオリビアの身に纏う空気がその前後で変わっていることに気付いたアッシュは、それと同時になんとなく自分自身が森に入ってからずっと感じていた重圧感のようなものが無くなり、身体が軽くなったような気がした。
「オリビア……。貴女の威圧、アッシュちゃんにも効いてたみたいよ? ……逆効果だったんじゃないかしら」
「ふぇっ!?」
「あぁ、うん……。なんか今の間だけでも滅茶苦茶に身体が軽くなった気がする。これ、オリビアの威圧に当てられてたのか……」
一流の戦士ともなると、身に纏う雰囲気だけで相手を圧倒すると話には聞いていたが、まさかそれを自分自身の身体で実感することになるとは思いもよらなかった。そんなことを思いながら、改めてオリビアという冒険者の凄さを実感し、なんとなしにオリビアを眺めていたアッシュであったが、オリビアからするとその視線は自分に対する非難の目のように映ったらしい。
「ううぅうううぅ……! アッ君、ごめんねぇええぇえ! わたし、そんなつもりじゃなかったんだけどっ! わたし、誰かと一緒に冒険に来るの久しぶりだったからっ! ほらっ! もう怖くない! もう怖くないよっ! いつものお姉ちゃんだよぉ!?」
「……いつもも何も、今日が初対面じゃねぇか」
「あううぅうぅう! そうなんだけどぉ!」
「大丈夫だよリビ姉! 私は全然平気だったもん!」
「っていうかなんでお前は平気だったんだよ! 逆にすげぇよ!」
威圧が無くなった上にそんな気の抜けるような会話をしていたアッシュ達を、時折ちらちらと振り返って微笑ましそうに眺めながら数歩先を歩いていたマヤリスが、ふと足を止めて言った。
「さて、オリビアが威圧を解いたことで早速おバカな魔物がやってきたみたいよぉ? ……最初の何回かは私が行くわぁ。アッシュちゃん、ドルカちゃん。私の戦い方、ちゃんと見ておいてね?」
アッシュからするとまだ、魔物の姿どころか足音さえも聞こえていないのに、そう言うや否や、次の瞬間にはマヤリスの姿が目の前から消えていた。
「うぉー! マーヤちゃんいなくなった! かっこいー! うひょー! マーヤちゃん!今度私とかくれんぼしよーかくれんぼ!」
「馬鹿かお前はっ! マヤリスは魔物がいるから姿を消したんだよ! ってことはもういつどこから魔物が来てもおかしくないんだよ! わかったら大人しくしてやがれ!」
一瞬で姿を消したマヤリスを見て大興奮状態のドルカを諫めていたその瞬間。
――ガサリ。
アッシュから見て左側、やや正面よりの斜め前の茂みが、音を立てた。
「フゴッ、フゴォッ! フシュルルルル……」
「……っ!?」
次の瞬間、アッシュ達の前に姿を現したのは、粗末な、それでいて異様に太く鈍重な棍棒をその手に携えた2体の豚によく似た2足歩行の魔物であった。
「……オークッ!? これが、本物のオーク……!」
その身長は、アッシュの身長を優に越えていた。オリビアほどの長身ではないはずなのに、どっしりと横に広がる、分厚い脂肪の奥に確かに存在していることがわかる屈強な筋肉が、そして涎を垂らしながら獲物を見つけた喜びでフゴフゴと笑うその醜悪な顔が、アッシュの身を竦ませる。
「フゴゴォオォッ!」
ジロリとその場に居る3人を一瞥したオーク共のそのドロリと濁りきったグレーの瞳の奥に、今もなお無防備なあどけない表情のまま、純粋な好奇心だけでしげしげと自分を眺めている少女が映った瞬間に、オークがニヤリと笑みを浮かべたのをアッシュは見逃さなかった。
「ドルカ下がれっ!」
「えっ?」
「フゴ? ……ブゴォ! ブゴブゴブゴォッ!」
繋いだままだったドルカの右手を後ろに強く引き、咄嗟にドルカを庇うように前に出たアッシュを見て、2体のオークは露骨に面倒臭そうな表情を浮かべ、苛立ち、怒りのままに棍棒を振り回し始める。アッシュは、その圧力に思わず身体を強張らせながらも、それでもキッとオークを睨み付け、その右手に魔力を集め始めたのだが。
――クスクス。大丈夫よアッシュちゃん。言ったじゃない、最初の何回かは私が行くって。
どこから聞こえたかさえわからないような、マヤリスの声。それでもなお、目の前のオークを睨み付け、決して視線を外そうとしなかったアッシュは、その視線の先に立つ2体のオークの首の後ろあたりから、ヌッとマヤリスの両腕が伸びるのを見た。
「フゴ……?」
次の瞬間、糸が切れたかのように意識を失い崩れ落ちる2体のオーク。その背後に立っていたのは、いつも通り蠱惑的な微笑を浮かべ、両手に香水の小瓶を携えたマヤリスの姿であった。
「……多くの魔物は、その場で一番弱そうな相手に狙いを定める。初の実戦で、ろくな武器も持たされていないのにちゃぁんとドルカちゃんを庇うなんて、アッシュちゃんはやっぱり素敵ね。いいなぁドルカちゃん、私も今度庇ってもらえないかしらぁ。……なんてね?」
腰に下げたポーチに香水をしまい、パンパンと軽く服をはたきながら、マヤリスは、妖しげに笑う。その姿が、その表情が。魔物を2体無造作に倒した直後だというのにあまりにも自然で、柔和に見えて。
そんなマヤリスの微笑みが今までで一番美しいもののように思えたアッシュは、戦いの後だと言うことも忘れ、思わず目を奪われてしまうのであった。
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