妻と私と屁とその実が齎す優しさのカルテット
妻はよく怒り、感情をぶつけてくる。
洗濯物の畳み方が気に入らないといって切れて、
私の作った食事が気に入らなければ3日間も4日間も机の上に置きっぱなしだ。
外でニコニコしている妻は私に対してだけ激しく罵ってくる。
心を抉るように攻めてくる。
ぐりぐりと
妻は虐待されて育ったと言う。
ビール瓶で殴られ、泡盛の瓶で殴られ、怒鳴られ、閉じ込められた。
妻が産まれて三十余年。
あまねく世界の中で、溜まりに溜まった憎しみを吐き出せるのは私の前だけなのだ。
皮膚の中に入り込んだ硝子の欠片をポロポロと落とすのも、耳元でがなり立てるVHSを上書き出来るのも、押し入れのカーテンを開けられるのも、出来るのは鈍感な私の前だけなのだ。
いつか、そのために私は愚鈍になったのだと思う。
目も悪く、耳も悪く、賢くもなく、痛みにも鈍く、身体がデカくて、何を言われても気付かない。
そんな私を受け入れてくれるのもまた、妻しか居ないのだ。
多くの人間には尻がある。尻には肛門があって、肛門には括約筋がある。括約筋を通る気体を屁と言う。
屁は子供を喜ばせ、場を和ませる。
毎日の満員電車、煮詰まった会議。
どんな時だって乗り越えてきた。
しかし、事故は起こる。
「大人の力を魅せてやる」
家族全員の注目を集めて、大爆発。
~の予定が、ウェットな音。
そう、うんこだ。
現実は油断と共にやってくる。
その日は優しい妻が居た。
残酷なまでに