訪問者
にゃむりんZの解説付きで、テレビの緊急特別報道を見ながら話し合っている所へ、携帯の着信メロディが鳴り響いた。曲はさすらいの口笛、荒野の用心棒のテーマだ。
宗昭が電話に出て、何やらボソボソと話しこむ。
「うむ、うむ、それはかまわんが……何、今から? もう家の前まで来てるって?」
程なく、玄関の呼び鈴が鳴った。
長くしなやかな尻尾を揺らしながら入ってきたのは、タンクトップの迷彩柄シャツと、脛丈の迷彩柄ズボンを身につけた、人型の恐竜だった。胸元を押し上げる二つの大きなふくらみが、その恐竜人が女性であることを激しく主張している。
彼女は、宗昭に向かって敬礼すると、少しハスキーがかった声で、
「自衛隊仮設特殊任務部隊一等陸尉、寺野薫。羽生宗昭殿に任務参加のお願いをするため参上しました」と告げた。
「寺野君か。これはまた精悍な姿になったねえ」
「先生もなかなか男ぶりが上がったんじゃありませんか?」
二人はそう言うと、クスクスと笑いあう。
寺野という女性士官は、よく道場にも稽古に来ていたので、隼人と鏡子も面識があった。
「しかし、一介の剣術家に任務とは、どういうことかね」
「今回の事態を、どの程度ご理解されているかはわかりませんが……」
「大体の事は、あたしが説明しといたニャ」
にゃむりんZが宗昭の肩口に駆け上がって、そう答える。
それを見た寺野は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに言葉を続けた。
「状況をご理解いただけているなら話が早くて助かります。この事態の元凶である次元の穴……井戸をめぐって、いくつかの勢力が争奪戦を開始していまして、我々はそれらの勢力から井戸を守ることが任務となります」
「その井戸とやらを奪ってどうするつもりなんだね」
「彼らは井戸から溢れているある種のエネルギーを、自分たちが利用できると考えているようです。具体的にどのような利用法があるのかはわかりませんが」
「まあ、正確ニャ知識が伝承されてれば、すんごい魔法とかが使えるかもニャ」
魔法という言葉に反応するように、寺野がチラリとにゃむりんZに目線をやる。
「我々としても、万が一を考えて行動しています。井戸の周囲には、半径三キロ程にわたって不可視の結界らしきものが存在していて、簡単には井戸に近づけないようですが」
「しかし、そうなると益々私の出番など無いように思えるな」
「それが……既に、既存の銃器では倒せない相手が確認されていまして」
「銃器が通用しないなら、刀で切ることも出来ないんじゃないかね」
「信じられないことに、彼らの中には銃弾を受けても平気だったり、銃弾を武器ではじき返したりする者もいるのです」
そこまで言うと、寺野はちょっとはにかんだような表情になって――恐竜にこれほど微妙な表情が出来ることに一同は驚いたが――続けた。
「信じられないというのは大げさですけど。実際、私も普通の拳銃弾くらいなら、簡単に避けられるようになりましたから」
「それはつまり、この変身のおかげというわけか」宗昭がうなるように聞き返した。
「おそらく、先生もかなり身体能力が向上しているとお見受けします。それともう一つ、変身していない人間も、身体能力の物理的限界がかなりあやふやになっているようです」
「あやふやに?」
「簡単に言うと、できると思ったことはある程度できてしまうというか……手から衝撃波を出すとか。もっとも、ある程度修行や実力の裏付けが必要なようですが」
「ははっ、そしたらうちの流派の技も、威力が派手になってるかもしれんな」
「真面目な話、武器を持った一般兵が達人に勝つのは極めて困難な世界になってしまったようです。さらに様々な怪物の出現。これによって、世界の軍事バランスも大きく変化せざるを得ないかもしれません」
「ふむ、そんな連中が井戸とやらの争奪戦に参加しているのか。私の剣がどの程度通用するかはわからんが、わざわざ尋ねてくれる程度には買われているなら、喜んで助勢させていただこう」
「ありがとうございます。武器はこちらでも用意いたしますが、使い慣れたものがあればお持ちいただいても結構です」
「早速準備するとしよう」
宗昭は大きくうなずくと、道場に向かって歩き出した。
実戦となれば防具があるに越したことはない。蔵から引っ張り出された年代物の大鎧を着込み、頭は鉢金、腰に大小といういでたちの宗昭が、自衛隊のホロつき小型トラックに乗り込む。
「気をつけてね、あなた」
陽子の言葉に、宗昭が無言でうなずくと、トラックは日が傾きかけた町並みの中を走りだした。
「なあ、にゃむりん。井戸を狙ってる勢力ってどんなのがあるんだ?」
隼人が小さくなるトラックを見送りながら聞いた。
「さあニャ。あたしも今どんな勢力が生き残ってるかまでは知らニャい」
「こういう情報に詳しそうとなると……」
隼人は友達に一人、思い当たる相手がいた。
「ちょっと俺、学校の寮まで行って来ます」
そう陽子に告げると、隼人は自転車を取りに母屋へ向かった。
「まってよ、私も行く!」鏡子もそう言って駆け出す。
陽子はあわてて二人を追いかけた。
「あなたたち、ダメよ! 町は今、物騒なんだから!」
「母さんだって、父さんが戦う相手の事知りたいでしょ」
鏡子にそう言われて、陽子は言葉に詰まる。
「なるべく危なそうなとこは避けていきますよ。今、携帯でネットの書き込み見たら、寮もとりあえず無事みたいだし」
隼人が自転車のカゴへにゃむりんZを乗せながら言う。
陽子はしばらく葛藤していたが、大きくため息をつくと、「ちょっと待ってなさい」と言い残して道場へ向かった。
学校の寮までは電車で二駅である。ニュースでは、大幅にダイヤは乱れているものの、一応電車の運行は続いていると報道していた。しかし、にゃむりんZを入れる持ち運び用ケージも無かったので、時間の読めない電車より自転車で行くことにした。
まだ蒸し暑い中の移動を考えて、ポットに麦茶を入れる。ついでに差し入れとして買い置きのお菓子も物色した。
鏡子はすっかり吹っ切れたのか、動きやすさ優先で、すね丈のローライズジーンズにサスペンダー、ストラップサンダル、半袖のTシャツといった服装に着替えている。
「これ買ったとき、下着見えるって父さんに怒られてから、一度もはく機会なかったのよね」
そう言いながら、嬉しそうにジーンズの上から出た尻尾を振る。
「それ、しゃがんだら下着見えるんじゃねーの?」
「なによ、見たいの?」
「べ、別に見たくねーし。つーか、恥ずかしくないのかよ」
「ふふん、見えても大丈夫なように水着はいてみました!」
「いやいや、そういう問題じゃ……」
「下着じゃないから恥ずかしくないもん!」
隼人は色々突っ込もうとしたが、何だかバカバカしくなってきて、まあいいかと諦めた。
準備が整った頃、陽子が二本の木刀と、一振りの懐剣を持って現れた。
「あんまりこういう状況で外出させたくはないんだけど……」
そう言いながら、二人に木刀と袋を渡す。
「危なそうならまず逃げること。分かってるわね?」
「分かってるって。ホント、心配性なんだから母さんは」
「それから、これ」
陽子が、黒地に赤い牡丹が象眼された美しい鞘に納まる懐剣を、鏡子に差し出した。
「羽生家に代々伝わる護り刀の紅牡丹よ。伝承では三間(約五・五メートル)先の相手を斬ったと言われてる。もしもの時には……」
そこで言葉を濁す。そんな危険がある以上、できれば外出させたくはない。
鏡子がそっと陽子の手を取る。
「大丈夫。こう見えても、羽生心影流目録の腕前なんだから」
「だから心配なのよ。絶対に無茶しないこと。それから、マメに連絡入れること。いいわね?」
「はーい」
紅牡丹を大き目のウエストポーチに収めると、鏡子は自転車にまたがった。
「俺が無茶なんかさせませんから、安心してください」
隼人が木刀の入った袋を背負いながら言う。
「鏡子のことお願いね。本当に気をつけて」
「それじゃ、行ってきます」
「行ってくるね、母さん」
心配そうに見送る洋子を後に、二人は自転車で走り出した。