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狼の日

 電話は羽生鏡子はにゅうきょうこの母からだった。

 鏡子が部屋にこもって出てこないので、隼人に何とか説得して欲しいという。

「やっぱ、先祖がえりなのかな」

 隼人は自転車を飛ばしながら、前カゴにちょこんと乗っているにゃむりんZに聞いた。

「羽入家は狼の血が濃かったはずだから、ちょっと心配ニャ」

「狼男……じゃなくて狼女になってるって事か」

 羽生剣術道場までは自転車で数分の距離だ。

 最短距離を走りたかったが、途中で五メートルはあろうかという巨人と、それを制圧しようとしてる警官隊に出くわしてしまい、遠回りせざるを得なかった。

 あちこちから悲鳴や怒号が聞こえてきたが、通りにはむしろあまり人影が無い。

 幼い頃から通ってきた、見慣れた武家屋敷風の道場に着くと、立派な正門の横にしつらえられた通用口から母屋に向う。

 古風な景色の中で、現代建築二階建ての母屋はまるで場違いに見える。

 母屋の呼び鈴を押すと、すぐに鍵を開ける音がして鏡子の母、陽子が現れた。

「待ってたわ隼人君、さ、上がってちょうだい」

 促されるままに玄関を上がると、うなり声とともに、奥の部屋から身長二メートルはあろうかという、直立した巨大な狼が現れた。

 全身が毛皮で覆われてはいるが、体型は人間のようだ。しかし首から上は完全に狼のそれになっている。下半身には稽古用の袴を穿いているが、尻の辺りでチラチラと尻尾が動いてるのが見えた。袴に穴を開けて外に出しているのだろうか。

「師匠……ですよね?」

 いくらか心の準備があったとはいえ、いざ目の当たりにすると、やはり衝撃は大きい。

「さすが隼人君、この姿を見ても取り乱さないとは、肝が据わってるな」

 狼の口から発せられたとは思えない流暢な日本語で、狼男が言う。その声は確かに羽生剣術道場師範、羽生宗昭(むねあき)のものだった。

「最初にあたしの声を聞いた時の驚きようを見せてやりたいニャ」

 いつの間にか足元に来ていたにゃむりんZがニヤニヤしながら見上げてくる。

「なんと、猫まで喋るご時世か……」

「あなたが狼になったのに比べればたいしたこと無いでしょ」そう言いながら、陽子が隼人の腕を取る。

「それより、鏡子のことをお願い。きっとあの子も、うちの人みたいに変身しちゃったんだと思うの」

「俺も、多分そうだと思います。でもなんと言って説得したらいいか……」

「隼人君もちょっと変わったみたいだけど、これって個人差とかあるのかしら」

「完全に先祖がえりするのは一割くらいって、うちの猫は言ってますけど」

「そうなの? にゃむりんZちゃん」

 陽子はしゃがみこんで黒猫と目線を合わせる。

 変わった名前の猫の事は、娘から聞いて覚えていた。額の白い毛がZに見えることから、正式な名前はにゃむりんZと言うのだと。

「今はまだ、血の濃さの影響が大きいニャ。鏡子ちゃんは父親に比べれば、いくらかましニャ状況だと思うニャ」

 ちゃんと名前で呼ばれたのが嬉しかったのか、にゃむりんZが饒舌に答える。

「うだうだ考えてるより、強引に踏み込んで説得した方が早いニャ。いちど隼人に見られちゃえば踏ん切りもつきやすいニャ」

「でも、あの子思い余って万が一のことにでもなったら……」

「羽生心影流の跡取りとして、精神的にも十分鍛えてきたつもりだが……」宗昭がうなるように言う。

「年頃の娘にとって、容姿の問題となると、私にはお手上げだ」

 隼人は、こんなにも不安げな師匠を見るのは初めてだった。狼の顔からでも、その心中は十分に察することが出来る。

「とにかく、話をしてみます。一番不安なのは鏡子自身なんだし」

 そう言って隼人は、鏡子の両親にうなずいて見せた。



「よう、鏡子。元気かー?」

 我ながら、なんと陳腐な台詞だろう。そう思いつつ、隼人は鏡子の部屋の扉に向かって呼びかけた。

 部屋の中からは何の返事も無い。

「あのさ、みんな心配してるし、とりあえず出てきなよ」

 応答なし。

「そんな気にすること無いって。親父さんもホラ、なんていうかカッコいいしさ――」

 意外な攻め口に、見守る二人と一匹の顔に、期待感が生まれる。

「ヒーロー物の――」

 うなずく一同。

「怪人みたいで」

 パーンという乾いた音とともに、隼人の後頭部に陽子の突っ込みが入る。

「あのね、隼人君。ふざけてるんじゃあないわよ?」

 睨みつけるその表情は、普段の温和な陽子からは想像もつかない。その後ろでは宗昭が牙をむいてうなっている。

「わ、わかってますって」

 そう言ってみたものの、隼人にしてみれば、今のは結構真面目な褒め言葉だったのだ。制約の多いヒーローよりも悪役のデザインの方が魅力的な例は多い。

 しかし説得しようとしている相手が、いくら剣術では隼人より数段上の実力者とはいえ、年端も行かない女の子だということを失念していたのは痛かった。

 幼い頃からあまりに身近にいたためか、鏡子のことを異性として意識したことがほとんど無かったせいだろう。

 隼人は、活発でしなやかな身のこなしの、笑顔が良く似合う少女の姿を思い出していた。

 あの鏡子が、暗い部屋の中で不安におびえている姿を想像すると、胸が痛む。

 なんでもいい、とにかく話しかけよう。そう隼人は思った。

「えーと、俺もさ、実はちょっと変わっちゃったんだよね」

「えっ!」

 部屋の中からくぐもった声が聞こえた。

「大丈夫なの隼人! どんな風に変わっちゃったの?」

 その声には、本気で心配している響きがあった。

「ねえ、隼人! 隼人ったら!」

 このまま部屋から出てきそうな勢いに、一同の期待感が高まる。

 次の瞬間、隼人の口から会心の一言が発せられた。

「あー、そうだ、二人で同時に見せ合いっこしようぜ」

 見せ合いっこという言葉の響きに、一瞬宗昭の顔がこわばる。それを見た陽子が、宗昭の腹に肘鉄を入れた。

「嫌、嫌よ。隼人にこの姿を見られるなんて絶対に駄目!」

「大丈夫だって。お互いに見せ合うならいいだろ」

「駄目よ、こんなの見られたら絶対に嫌われるもん」

「平気だよ。だからちょっとだけ見せて。ちょっとだけでいいからさ」

「だって、恥ずかしいし」

「大丈夫、大丈夫。誰にも言わないからさ。だからちょっとだけ」

「ええー、どうしようかな」

「いいだろ、俺のもちゃんと見せるからさ」

「隼人のは見たいけど……」

「二人だけの秘密にするからさ。見せてよ、ちょっとだけ」

「絶対秘密にしてくれる? 約束だよ!」

「するする、絶対に秘密にするから」

「でも恥ずかしいよー」

「俺のはすごいよ! 見ないと絶対損だって」

「そんなにすごいんだ……見たい」

「だからさ、見せ合いっこ。いいだろ」

「うん……でも……」

「一緒に見せれば恥ずかしくないって」

「そうかな。恥ずかしくないかな」

「大丈夫、だからほら、ちょっとだけ」

「うー、やっぱ無理だよー」

 だんだんと鏡子の態度がほぐれるにつれ、後ろで聞いている宗昭の顔が険しくなってゆく。事情を知らない者が聞いたら、もはや男女の睦言にしか聞こえない。

「それじゃ、隼人がどんな風になってるか教えてくれたら、私もひとつずつ教えてあげる」

「オッケー、わかった。じゃあひとつずつな」

「隼人からね」

「俺は、耳がとんがった」

「隼人も耳が変わっちゃったんだ……私はねえ、耳が犬みたいになっちゃった」

 想定の範囲内ではあったものの、やはり実際に本人の口から聞くとショックが大きい。 宗昭と陽子は、どちらからともなく寄り添い、手を握り合った。

「それから?」

 鏡子に促され、隼人が答える。

「それから、なんか赤外線が見えるようになったらしい」不確定情報だがいいだろう。

「赤外線って、なんか暗視カメラみたいだね。私は尻尾が生えちゃった」

 尻尾まで生えているとは。宗明と陽子は、不安に身を寄せ合う。

「それから?」

 さらに鏡子が促す。

「それだけ」

 隼人が答える。

 しばしの沈黙。  

「死んじゃえ、馬鹿っ!」

 その言葉を最後に、部屋からは一切の反応が消えた。

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