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鬼龍院椿の助手誕生

    二、鬼龍院椿の助手誕生


 鬼龍院さんが引っ越してきてからひと月が経とうとしていた。探偵業の方はぼちぼちのようで、繁盛しているというにはほど遠いが、人の出入りはそこそこあったようだった。あれ以降も、野菜を分けに行くことは度々あったが、特に生活に困っている様子はなかった。

 そんな中、学校からの帰宅途中で、周りをきょろきょろと見まわしている彼に出くわした。何やら大きな包みを背負って、手には紙切れを持っており、それとにらめっこしては辺りを見回し、首をひねってまた紙を見つめる、という事を繰り返していた。


「どうされたんですか」

「ああ、藤堂さん」


不思議に思って事情を聴いてみると、どうやら迷ってしまっていたらしかった。無理もない。ここは田舎なので目印という目印はなく、似たような外見の住宅が立ち並んでいる上、路地は複雑に入り組んでいるので、慣れている人間でなければ簡単に迷ってしまうだろう。


「地図のここに向かいたいのですが……」


差し出された地図をのぞき込んでみると、ぐにゃぐにゃの線で道のようなものが記されており、慣れていてもこの地図ではわからないだろうな、と思わざるを得なかった。ただ幸いなことに、線の不安定さを除けば道は正確に描かれているようで、何とかその難解な地図を解読すると、彼の目的地を割り出すことができた。


「ああ、ここですね。たしか田中さんの家ですよね」

「あ、そうです。その人に用事があるんです」


田中さんの名前を聞いたとたん、ぱあっと表情を明るくした鬼龍院さんに思わず苦笑いを浮かべる。しかし、そんな様子をまったく気にしない彼が、申し訳なさそうに案内をお願いしてきた。このあと特にすることもないため、素直に同行することにしたのだった。


「すみません、お忙しいでしょうに……」

「いえ、帰宅部なので全然忙しくないですよ」

「その制服、高校生なんですか?」

「はい、この春からですけど」

「じゃあ僕はいま、女子高生とお話してるんですね」


なんて貴重な体験なんだろう、と目をいやらしくとろけさせながら言う彼を横目に、この人本当に大丈夫なのだろうかと聞こえない程度にため息をついた。どうやら彼は今まで女っ気のない生活を送ってきていたようで、そんな自分が女子高生という存在と知り合いになれるとは思ってもいなかったようだ。


「着きました、ここが田中さんの家です」

「ほう……」


田中さんの家は古い平屋で、家の前には広い庭があるのだが、今となっては何も植えられていなく、ひどく小ざっぱりとしていた。


「ずいぶんと広いお庭だ。少し見たところ、昔はいろんな植物を育てられていたようですが……今は手入れする人がいなくなってしまったんですね」

「よくお分かりになりましたね」


彼の言う通り、ここの家はもともと田中さんのものではなく、平田さんという老夫婦がひっそりと暮らしていた。しかし彼らのデイサービスへの入居が決まると、この家は誰にも継がれず売りに出されてしまったのであった。平田さんが住んでいたころは、四季折々の美しい花々が咲き誇っていたり、新鮮でみずみずしい野菜が育てられていたりと、それはもう見事な庭であり、畑であった。昔の光景を思い出し、少ししんみりとしていると、おもむろに彼がインターフォンを押した。


「すみません。お電話をいただいた鬼龍院と申します」

「ああ、鬼龍院さんですね。今開けます」


出てきた田中さんは私の姿を認めると、少し気まずそうに会釈をし、鬼龍院さんの方へ向き直った。


「立ち話も何ですから、どうぞお入りください」

「それじゃあ、私はここで」


無事役目を終えた私は、立ち入った話を聞くつもりもなかったので、鬼龍院さんと田中さんに軽く会釈をすると、自分の家へと帰っていった。


 高校に入ってからというもの、日々予習や復習などの勉学に追われることが増え、帰宅部といえど以前よりも自由にできる時間が減ってしまっていた。特に今日は、鬼龍院さんを田中さんの家へと案内していたので、いつもより三十分ほど遅く勉強を終えた。ひと段落着いたので、少しまったりしようかと思い、ホットミルクを入れにキッチンへと行く。今日は、父と母は町内の見回り当番のため不在で、人のいない家は静寂に包まれていた。


「ふう……」


春といえど、やはり夜は少し冷え込む。そんなとき、このホットミルクは私の心も体も、優しくいやしてくれるのであった。ひと時の何気ない幸せをかみしめていると、ふと玄関から人を呼ぶ声が聞こえた。

父と母が帰ってきたのだろうか。いや、まだこの時間は帰ってこないはずだ。不審に思いながら玄関に向かうと、ドアの向こうには今日見たばかりのひょろ長いシルエットが立っていた。


「ごめんください、鬼龍院です」

「はい」


ガチャリと戸を開けると、腕に何かを抱えた鬼龍院さんが立っていた。よく見るとそれは、以前いただいた呪い人形……もとい、自称ひよこちゃんの群れであった。以前もらったものよりは小さいが、何分今回は量が多い。


「こんな夜中にごめんなさい。どうしても、今日のお礼がしたくて」

「あ、ありがとうございます……」


満面の笑みで差し出された自称ひよこの群れを見る。この前も思ったが、こんな趣味の悪い……、いや、変わった趣味の人形、どこで仕入れているのだろうか。それも、今回はこんなに大量に。邪悪なオーラを放つその群れを受け取ると、鬼龍院さんがもごもごといいにくそうに口を開いた。


「僕、引っ越してきたばかりでここの土地に慣れていなくて……」

「ええ」

「今日もあのあと、帰り道がわからなくなっちゃって。今やっと帰ってきたところなんです」

「それはお気の毒に……」

「こんなとき、思うんです。ここの土地に詳しい、優秀な助手がいてくれたらなって」

「はあ……」


そんな人いただろうか。心当たりはない。田舎といえどみな仕事はしており、探偵業を手伝う余裕のあるものなどいなかったはずだ。


「心当たりの人がいたら、声をかけてみますね」

「ああ、どうもありがとうございます」


そうとだけ言うと、彼は軽く頭を下げ自分の家へと帰っていった。その後ろ姿は心なしか憔悴しており、足取りもふらふらとおぼつかないものだった。


 次の日のこと、いつものように学校へと向かうと、時間のあるものはアルバイトを積極的にするように、という内容が書かれたプリントが配られた。なんでも、社会貢献活動をすることによって、学校では学べないことを学び、人として成長することが目的のようだ。プリントにはいくつかアルバイト先の紹介がされており、ざっと目を通してみたが特に興味の惹かれるものはなかった。しかし、アルバイトというもの自体には興味はあり、ぼんやりとだが、高校に入ったら何かやってみたいな、とは思っていた。もう一度紙を見る。やはり、心動かされるものはなかった。そのプリントを折り畳み、カバンへとしまうと、授業を受ける準備を始めるのであった。


「佐代子ちゃん、バイト始めたんですって」

「ふーん、そうなんだ」


母が唐突に言った。佐代子は私の幼馴染で、美人で優しい自慢の友人でもある。しかし最近、母からは何かと比較対象にされていて、正直なところ面白くは感じなかった。


「だから彩芽も、はい」

「へ?」


差し出された紙を見る。そこにはようやっと読める字で、『鬼龍院探偵事務所助手募集中』と書いてあった。


「鬼龍院さん、悪い感じの人ではないし、話を聞いてみたところ事務仕事が主みたいだから、どうかしらと思って」

「え、鬼龍院さんと話したの?」

「ええ。このチラシを配って歩いてたところを見つけて、少しお話を聞いてみたのよ」


その場面を想像して、何となく先日のことが思い出された。まさかとは思うが……


「迷ってたんでしょ」

「あら、よくわかったわね」


どうやら鬼龍院さんは方向音痴のようで、ここに越してきてからというもの思う通りに動けず、困っているらしい。


「彩芽が嫌がるなら無理強いはしないけど……どうする?」

「んー……」


確かに、鬼龍院さんのところで働くのなら、近場だしある程度知ってる人でもあるから、安心といえば安心だ。おまけに探偵という珍しい職業の助手をするわけだから、きっと貴重な体験ができるに違いない。


「やってみたい、かも」

「そう、よかった」


ニコニコと嬉しそうに笑う母は、募集のチラシを私に渡すと、よく目を通してから鬼龍院さんのお宅を訪ねるようにと言ってきた。視線を紙へと落とす。隅っこには、あの自称ひよこちゃんが描かれていた。


 チラシにしっかりと目を通してから、鬼龍院さんの家を訪ねた。不思議そうな顔をする彼に用件を伝えると、嬉しさを全開にさせた表情で応接室へと案内された。中に入ると、中央に小さな四角いテーブルがあり、それを挟んで向かい合わせに二人掛けのソファが置いてあった。


「わざわざすみません、藤堂さん」

「いえ、よろしくお願いします」

「はい。どうぞお座りください」


自然な動きで、ソファへ座るように促される。これからおそらく、面接のようなものが始まるのだろう。緊張のあまり、ごくりとつばを飲み込む。何せ人生で初めての面接なのだから。どんな質問が来るのだろうかと予測しながら、これまでにないくらい頭をフル回転させ、彼の発する言葉へと意識を集中させた。


「それで……ひよこはお好きですか?」

「……は?」


このあと数分間、鬼龍院椿は満面の笑みで答えを待ち続けたという。


 かくして、鬼龍院探偵事務所に優秀な助手が誕生したのであった。


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