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現在 崎枝祐陽

 崎枝祐陽さきえだゆうひは激昂した。

 「なんだこりゃああっ!」

 朝礼前のひと時、一年五組の教室中に大声が響き渡るとクラス中の視線が一斉に祐陽へ向かう。

 「崎枝くんどうしたの?」

 突然の大声に多川茉莉たがわまりが心配そうに祐陽の席へ近づく。葡萄色をしたセミロングの髪と凛とした顔立ち、スラリと伸びた背丈は活発なお嬢様と呼ぶにふさわしい容姿の持ち主だ。

 「多川、これ見ろよ……俺の筆箱!」

 「うわぁ、何これ。いじめ? や、そんなわけないか……」

 筆箱を開けると、たくさんの紙くずが入っていた。当然自分で入れた覚えなども無く、入っていた謎の紙片をひとつ広げてみると《ヤリマンビッチ死ね》の文字。

 様子を伺っていた周りの生徒たちに緊張が走った。

 他の紙片も広げてみると、《人殺し》《犯罪者》《嘘つき》《おまえ邪魔》《調子に乗るな》……すべての紙片に辛辣な言葉が並べ立てられている。

 「いじめか……これがいじめというやつか! どこの誰かは知らないが俺のこといじめようとはいい度胸だ。お返しにパセリを送りつけてやろうじゃねえか!」

 「落ち着きなって……パセリなんて送ってどうするのよ。送るといえば普通は塩でしょ?」

 茉莉は怒れる野獣のような咆哮を上げる祐陽を見て言った。

 制服の上からだと分かり辛いものの、引き締まった身体は百八十センチを超えていて運動神経は超高校級、決めたことは絶対に曲げない、良く言えば確固たる信念の持ち主、悪く言えばダイヤモンド級の石頭だ。あっけらかんとした明るい性格は爽やかでいて友達も多い。ただ一方で高校へ入学した次の日には上級生と揉め事を起こして停学になりかけるなど、融通の利かない粗ぽい性格から祐陽を怖がる生徒も少なからずいる。いじめる側ならいざしらず、いじめられる側というには程遠い印象だ。

 「これが落ち着いていられるかよ! おまえ邪魔、だぞ!? 邪魔、だぞ!? 人のこと要らねぇみたいに言いやがって……手始めにパセリで恐怖のどん底にだな……」

 「そっち!? おまえ邪魔なんて、もっとキツイこと書かれていたと思うけど……それに、いきなりパセリ送られても意味が分からないでしょ」

 「おまえ邪魔だなんて言われてみろ、自分の存在を否定されているようなもんだろ!」

 騒々しい声を聞いてか祐陽の友達である石田直彦いしだなおひこが廊下の窓から顔をのぞかせた。途端、教室中の女子が色めき立つ。

 「朝から何やっているんだよ、ノートの無駄遣いなんてするなよな。先生に見つかったらまた怒られるよ」

 「俺じゃねえよ! 自分の筆箱に悪口書いたゴミ詰め込むバカがいるかっての!」

 直彦は祐陽の筆箱を手に取って眺める。体の線は細く、やや長めの髪は中性的な顔立ちと相まって制服を着ていなければ一瞬女の子かと見間違えるほどである。高校入試を首席で合格するほどの頭脳の持ち主で先生たちからの人望も厚く、誰にでも隔たりなく接する性格ということもあって、入学式の翌日にはファンクラブが出来るほどに女生徒からの熱狂的な支持を得ていた。

 「この筆箱、もうぼろぼろじゃないか。いい加減買い替えたらどうだ。小学校から使っているやつだろう?」

 「ほっといてくれよ、気に入ってるんだから……って、問題はそこじゃねえ!」

 隣で見ていた茉莉が二人の間に割って入ると口を開いた。

 「石田くん、パセリを送るってどういう意味? 塩を送るならわかるんだけど」

 「ああ、祐陽が言ったんだね。久しぶりだな祐陽がパセリを持ち出すなんて」

 「だから、問題はそこじゃねぇんだよ! パセリの話は別にどうだっていい、朝来たら入れられていたこの紙が問題なんだ!」

 「ヤリマンビッチ死ねか。文面からして女に向けた悪口だろうし、人違いか何かだろう?」

 「それがなんで俺の筆箱に入ってんだよ……」

 「もしかして、あたしの机に入れるつもりだったのかな……崎枝くんの隣の席だし。どうしよう、誰かに恨まれていたら」

 「……お前、ヤリマンなの?」

 祐陽の言葉に茉莉は「違うわよ! バカ! 死ね!」と怒鳴る。呆けた顔の祐陽を見て、直彦は顔に手を当て頭を横に振った。

 「冗談だよ、沸点低すぎるだろお前。少し大人になれよ」

 「崎枝くんにだけは言われたくない言葉です! あたしの家お金持ちだから……誰かに妬まれているんじゃないかって、そういう意味で言ったの!」

 「……自分で自分のことを金持ちと言う奴もどうかと思うが、その金持ちがなんでまた庶民の高校に来ちまったんだ? お金持ち御用達の学校なんてこの辺りには腐るほどあっただろう」

 「何言ってるの、ここがそのお金持ち御用達の学校だよ。四年前のリラックスショックでこの辺りの私立高校はほとんど潰れちゃって、唯一残ったこの学校に統合されちゃったんだから」

 茉莉の言葉に、黙って筆箱を眺めていた直彦が「僕の調べた限りだと、経営母体が変わっているから以前のお金持ち学校ではなくなってしまったようだけどね」と言い添える。

 「そりゃそうだろうな、でなきゃ俺らなんか入れるわけがねえ」

 「あーあ、給食はしょぼいし廊下は省エネだかなんだかで暗いし……貧乏くさいのよね。庶民って感じがして」

 「元から庶民の俺に喧嘩売ってんのかよ……経費削減というやつだろ? 仕方ないんじゃねえか、確かにリラックスショックは酷かったからな。俺んちも花屋やってんだけど潰れかけたしよ」

 「え! 崎枝くんの家ってお花屋さんだったの!? すごい違和感! 石田くんのお家が花屋さんというのならわかるけど」

 茉莉がにっこりと笑って見せると、直彦も合わせるように笑顔を作る。微笑み合う美男美女の姿に、クラスのあちこちから感嘆にも似たため息が聞こえてくる。

 茉莉ちゃん可愛いよ、石田くんも素敵。二人ともいいよなルックスに恵まれて。その様子を見て祐陽は短く嘆息すると二人に向かって手を振った。

 「お前らいちゃつくのはむこうでやれよ、目の前でやられたところで何一つ嬉しくねえ」

 「別にいちゃついてなんかいません! 石田くん誤解だよね!」

 「そうだよ祐陽、茉莉ちゃんが好きなのは僕なんかじゃなくて、」

 言葉の途中、茉莉が慌てて直彦の口を手で塞いで顔を真赤にしながら怒ったような目つきで睨んでいる。

 「やっぱりいちゃついてんじゃねえか」

 祐陽は紙片を丸めてポケットに突っ込むと、あちこち凹んで傷だらけの筆箱を眺めた。

 リラックスショック――世界恐慌の引き金となった歴史的大事件が起きたその年、小学生だった祐陽と直彦にとって忘れられない出来事があった。

 吸血鬼、ヤクザ、ブレイメン、ひとりの少女との出逢いと別れ――。

 一つの単語から単語へと連鎖して、あの日の事が次々と脳裏に蘇る。

 「なぁ、直彦。あいつは……千緋色は、向こうで楽しくやってんのかね」

 「……だと、いいね――いや、きっと楽しくやってるさ」

 「え、な、な、何? 誰!? 女の子? 友達?」 

 いつもと違う二人の様子に茉莉が首を突っ込む。

 直彦は「千緋色ちゃんのこと? 祐陽の初恋の相手だよ」と言って笑った。

 「お前なぁ……千緋色はそんなんじゃねえ。あいつは……ラスボスなんだよ」

 軽いノリで答える直彦を一瞥して、祐陽は呟くように言った。

 視線を移すと窓の外に見える景色は灰色がかっているようだった。空から落ちる雨粒は地面にあたってノイズ音を発している。

 ――梅雨の湿った重たい空気のせいだろうか……。

 祐陽は心の中に暗くて厚い雲が広がっていく気がした。

 「えっと……わ、私も会ってみたいなぁーなんて……ほら、友達の友達としてさ! 友達は沢山作りたいじゃない!?」

 「心配しなくて大丈夫だよ、茉莉ちゃん」

 「何で!? ていうか何が!?」

 落ち着きなく騒ぎ立てる茉莉の様子に、祐陽がため息をつく。

 「……死んでんだよもう。四年前に」

 祐陽の一言に、茉莉はしばらく固まって、大人しく席に座った。


 ――四年前。

 小学校の帰り道、祐陽は住宅街の中に建つ一軒の古い家を指さした。

 「あそこの家、吸血鬼が住んでいるんだぜ。顔も髪も白くて眼は朱いんだ……最近では一番熱い話題さ、聞いたことくらいあるだろ?」

 「見たこと無いし聞いたこともない……というかまたうわさ話? そんな話いつもどこから仕入れてくるんだよ」

 隣を歩く直彦は目を輝かせる祐陽の姿を見て呆れた表情を浮かべる。

 「それに、どうして吸血鬼の話で元気になるんだキミは。授業中でも居眠りしていただろ、先生にバレるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたんだぞ」

 「いやー実は昨日の夜、モンスタークエストのレベルあげしてたら途中でセーブ出来なくってさぁ……それに、吸血鬼は別腹だろ!? だって吸血鬼だぜ? わくわくするぜ!?」

 「クリアしたのにレベルあげするほど好きなのは分かるけど、吸血鬼なんて架空の存在じゃないか。ここはモンスタークエストの世界じゃないんだぞ」

 「ああそうかい。でもな……直彦、いいもの見せてやる。これを見てもまだ吸血鬼はいないと言えるか?」

 興味無さげな直彦をよそに、祐陽はポケットから携帯電話を取り出して一枚の写真を表示させた。

 「見ろ! このあいだ通りかかった時に撮ったんだ。二階の窓の所に写ってるだろ!?」

 「ああ写ってるね、人が」

 「だから人じゃねぇって! ……まぁ、吸血鬼は人間の姿しているから見間違うのも仕方ねぇけどさ、髪だって黒くない!」

 「僕の家のおばあちゃんも髪は黒くないよ」

 「屁理屈ばっか言ってんなよ。それじゃあこの朱い眼はどう説明するんだよ」

 祐陽が指をさしたその写真の先は、小さすぎて眼が写っているかどうかも怪しいくらいに荒い画像だった。直彦はつまらなさそうに「たぶん結膜炎だ」と言っていつものように軽くあしらった。

 この頃、祐陽たちの通う小学校では非科学的で不思議な話は都市伝説と言われてすぐに話題に上った。人伝てに学校中はもとより違う学区の子供まで広まることも珍しくない。ことさら祐陽は不思議なものに好奇心が強く、どこからか話を探してきては直彦の耳に入れた。

 「なんだよお前、全然信じてねぇだろ……昔はあんなに喜んで聞いていたくせによぉ。夢っつーもんがねぇのかよ」

 「祐陽、キミの持ってきた話で一つでも本当だったものがあったかい? 手のりおじさんだっていなかったし、おじさんの顔をした猫だっていなかったじゃないか。一年の頃から付き合わされているんだ、もういい加減信じろっていうのが無理だよ。それに僕たち来年には中学生なんだよ。ゲームやくだらないうわさ話にのめり込むのも程々にしておかないと。夢を追いかけるのと現実逃避は違うんだ、しっかり勉強しなきゃ花屋の跡継ぎだってそんなに楽なはずないんだから」

 「ちょっと待てよ、おじさんの顔したおばさんは見つけたろ!」

 「そりゃ見つかるよ! 町中にうようよいるんだから! でも彼らはゲームに出てくるモンスター? 都市伝説!? 失礼じゃないか、彼らをそんなものと同列に……」

 直彦は急に喋るのをやめると、固まったように祐陽の顔を見つめてくる。

 「なんだよ急に黙りやがって」

 「……彼? 彼女? どっちなんだろうと思って……」

 本気で悩んでいる直彦の姿を見て、祐陽は「失礼なのはお前の方だ」と言い返す。

 「でもまぁ、お前の言うとおり来年にはもう中学生だもんなぁ。うちの父ちゃんと母ちゃんは華道部で有名な私立の中学校に行って欲しいなんて言ってるし。そうなったらもうお前に都市伝説を聞かせてやれねえな」

 「祐陽は私立に行くの?」 

 「わからねえ。花は嫌いじゃねぇけどよ、華道とかってなんか性に合わなくてさ……それに本当は花屋じゃなくて勇者になりたいんだ」

 真顔で呟く祐陽の見て、直彦が思わず吹き出す。

 「祐陽はゲームのやりすぎだね。運動が得意なのはいいとしてもテストの成績は悪いし、頭の悪い勇者ってどうかと思うよ。そもそも勇者って何か分かってるの? 何の仕事するの? ゲームの世界の勇者はモンスターのいないこの世界では食べていけないよ」

 「うるせーなぁ……そう言うお前はどうなんだよ直彦、なりたいものとかあんのか?」

 「僕は警察官になりたいと思っているんだ。みんなのために体を張って、悪者に立ち向かっていく……格好いいだろ!?」

 「頭はいいかもしれないけど、運動音痴のくせに本当になれんのか?」

 「僕はいつ悪者が飛びかかってきてもいいようにイメージトレーニングしているからね」

 右舷から来たら左舷、左舷から来たら右舷……力に逆らわず流れるように受け流す! 直彦はぶつぶつと何やら呪文のようなものをつぶやきながらステップを踏んでみせる。本人は華麗な身のこなしだと思っているらしく得意満面の笑みを浮かべてこちらの反応を伺っているようだった。

 「お前こそ漫画の読み過ぎだ……いつもそんな事考えながら歩いているのかよ。ジンジャーだぞ。本当に悪者が来てみろ、地団駄なんか踏んでいる暇ねぇよ」

 「地団駄じゃない! ステップ! 備えあれば憂いなしって言うじゃないか。それにジンジャーって何のこと?」

 「ジンジャーは花の名前さ。花縮砂とも言うな。花言葉は《無駄なこと》」

 祐陽の言葉に直彦の華麗なステップが止まる。

 「そうやって人のこと馬鹿にするけど、祐陽だって同じレベルじゃないか。うわさを信じて存在しないものをずっと探しまわってさ、挙句に勇者になりたいだなんて……」

 「何言ってんだ、さっき証拠見せたろ!?」

 「あの吸血鬼の写真? あんなの証拠になるわけないじゃないか。髪を染めてるのかもしれないし光の加減かもしれない。そもそも小さすぎて眼の色なんて分からない! 本当にいるならもっとしっかりとした写真が撮れるはずだろ!? そうやって面白半分に話をするけど、その程度の写真で満足しているということはキミだって本当は吸血鬼なんて存在しないと思っているんじゃないのか?」

 祐陽の口元がへの字に曲がった。本当は信じていないんだろうと言われて引き下がる訳にはいかない。携帯電話を握る手にちからが入る。

 「そこまで言うならとってきてやろうじゃないか。ぐうの音も出ないくらいにばっちりはっきりとした写真を! そしたらジュースおごれよな!」

 祐陽は身体を翻すと今来た道を戻って吸血鬼がいるという家の玄関前で止まった。周りの家の三倍はあろうかという大きな門扉には《黒本》という表札が掲げられている。

 玄関横のインターホンに手を伸ばすと、少し離れたところで直彦が慌てるのが見えた。だがここまできてやめる訳にはいかない。吸血鬼がいるのかいないのか、証明するには本人に直接聞くのが手っ取り早いだろう。そもそも証明しろと言ったのは直彦、お前だ。今さら何を慌てるというのか。

 「ボクたち、なんの用だい?」

 ボタンを押して数秒もしないうちに、インターホンから野太い男の声で返事があった。カメラ越しにこちらの様子も見えているようだ。

 「あのー俺、崎枝祐陽っていうんだけど……こっちは友達の直彦。ここの家に吸血……」

 「うわあああああああああ!」

 祐陽は直彦に無理やり引きずられて黒本邸から死角となる場所へと連れて来られた。

 「なんだ、吸血鬼が実在すると証明されるのがそんなに怖くなったのか!?」

 「ちがうよ! まさか本人宅へ突撃するなんて普通思わないだろ!?」

 肩で息をしながら直彦が続けた。

 「あそこの家はずっと前からヤクザとの黒いうわさが立っているんだ! どうしてそんなことまで知らないんだよ!」

 「んなこと言ったって……それこそうわさだろ? 本当かどうかわかんねーしさぁ……それにお前、警察になりたいって言ってたじゃねえか。ヤクザ相手に逃げんの?」

 あっけらかんと答える祐陽に直彦は眉間にシワを寄せた。

 「キミは万が一って考えたことある!? 警察官になりたいとは言ったけど今はまだ小学生なんだよ! どう考えたって敵うはずないだろ!? もう吸血鬼のいる証拠なんていらない。僕は帰る!」

 後ろを気にするように振り向きながら、直彦は祐陽をその場に置いて歩き出す。

 「さっきの軽やかな地団駄はなんだったのかねまったく。吸血鬼よりヤクザのほうが怖いってか」


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