現在 崎枝祐陽
職員室のドアが開くと、今にも死にそうな顔の祐陽が出てきた。
「分かったな、もう定時制のクラスに紛れ込んだりするんじゃないぞ!」
祐陽はダルそうに「へーい」と言って伸びをする。
あーあ……ったく、こんなつまんねーことで二時間も説教たれやがって……。
時計を見ると十七時を過ぎている。廊下の窓から見える空は薄暗くて、部活動をしている生徒はちらほら見えるものの登下校中の生徒はいない。
もうすぐ定時クラスの授業が始まる頃だ。千緋色は約束通り学校へ来ているだろうか。
定時制の生徒が行き交う廊下を一年五組の教室に向かって歩いた。
祐陽は定時クラスに顔を出すなと説教されたところだった。しかし、そんなことを気にしていては何も出来ない。俺には俺のやりたいことがあるし、俺には俺のやり方がある。悪いことはしている訳ではないのだから文句を言われる筋合いなど無いのだ。
そうは思ってはいるものの、教師相手に突っかかるわけにもいかない。校則で決まっていると言われればそれまでだ。あまり目立たず大人しくやっていくしかない。
面倒くせえ話だぜ。千緋色に言ってなんとかしてもらおうか――。
「祐陽」
階段の陰から知っている顔が見える。
「よぉ直彦……やっと来たか。忙しいのは終わったのか?」
「ああ、もう千緋色ちゃんが生きていることがわかったからね」
嬉しそうに言う直彦へ向かって、祐陽が「あいつ今日来てんのかなぁ」と言った。
「俺もまだクラスに顔出してねぇんだ。先生に怒られちまって……女物のカツラ被って紛れ込んだのが決定打になったみたいでよ」
「いつもそんなことをしているの!? そりゃあ怒られるよ。ここは千緋色ちゃんの学校だってこと忘れないでくれよ。あまり無茶すると千緋色ちゃんが困るんだぞ」
「んなこと言われても……あの時はまだそうとは知らなかったし、それに誰にも迷惑かけてねぇよ。みんな笑ってたし」
祐陽の言葉に、直彦は困ったように嘆息する。
「……先生が困るんじゃないか」
「確かに、先生より俺のほうが注目度高いからな。そういう意味で先生は困るだろうよ」
直彦はうーんと唸って、続けて言った。
「それはそうと、昨日あれから紅耶ちゃんとメールのやりとりしてさ、今度の休みの日に僕の家で勉強することになったよ。祐陽も来るかい?」
「あん? 誰だよベニヤって。メールってもしかして仲吉のことか? 昨日会ったばかりなのに変なアダ名付けてやんなよな。千緋色じゃあるまいし……」
「アダ名じゃない。本名だよ。メールに仲吉紅耶ってちゃんと書いてあったぞ。……もしかして祐陽、彼女の下の名前知らなかったの?」
「なに!? ……俺が聞いた時にはヘイヤーって言ってたはずだけどな。ヘイヤー仲吉だって」
「ヘイヤーってどこの国の人だよ。彼女は日本人だろう」
「確かに俺はそう聞いたんだ。これは本人に直接確かめるしかねぇな」
程なくして教室の前に着く。ドアは開いていて、どうやら先生は来ていない。
「おーい、仲吉……って、あれ? 仲吉がいねえ」
教室の中は半分以上の席が埋まっている。もうすぐ授業が始まるから、今来ていないということは休みなのだろうか。
「千緋色もいねえじゃねぇか。たく、あいつまたサボりかよ。これは後で家に凸るしかねえぜ」
ふと目線を感じて顔を向けると御坊山と目が合った。御坊山は祐陽と目が合うと、慌てて顔をそらした。
「よぉゴボウ。昨日は悪かったな驚かせちまって。本気で殴ろうとしたわけじゃないから許せよな」
祐陽の後を追って直彦が教室へ入ると、女子たちの視線が釘付けとなる。突然やってきた美少年の姿に、ところどころで小さな歓声が上がった。
「そうだ、直彦……紹介するぜ。何を隠そうこのゴボウアライが俺の筆箱に入っていた紙くずを作った張本人様だ」
祐陽に促されて御坊山の前に立つと、直彦は「はじめまして、石田直彦です」と言った。
「馬鹿、なに律儀に自己紹介してんだ。いじめっこなんだぞこいつ」
「紹介するって言ったの祐陽じゃないか。それに、この状況だとキミの方がいじめっこに見えるよ」
「俺がいじめなんてするわけねぇだろ。なんたって、勇者になるんだからな」
祐陽は直彦にそう返すと、御坊山に向かって「昨日のことはお互い水に流して、仲良くやろうぜ」と言った。
「同じクラスメイトなんだしよ」
「もう……遅いわよ」
ずっと黙っていた御坊山が静かに口を開く。だが、周りの喧騒に埋もれてしまい祐陽の耳には届かない。
「え? なんだって?」
御坊山は何だかそわそわとして落ち着かない様子で視線を絶え間なく移したりしている。そのうえ昼白色の蛍光灯に照らされた御坊山の顔は血の気が引いて青ざめて見えた。
「どうしたんだよ……お前、顔色悪いぞ、何かあったのか?」
祐陽の言葉を無視するかのように何も言わず御坊山が席を立つ。
「ちょっと待てって」
うつろな目で教室を出て行こうとする御坊山の手を掴んで止めた。細くて冷たい手は震えていて、何かに怯えているように感じた。
「……離して」
「落ち着けよお前、何かあったんだろ!? 具合でも悪いのか? 保健室行くか」
手を掴まれた御坊山は黙ったまま動かなかった。
ずっと怖がったようにそわそわしているし、何か様子がおかしい。昨日脅かせたのがそんなに怖かったのだろうか。
「……ごめんなさい」
御坊山の目から一筋の光が流れた。
「……脅すだけのつもりだったのよ。ごめんなさい」
「おい、何の話だ!」
祐陽の問いかけに御坊山は口を閉じたまま喋らない。
――なんなんだよ一体、何が起きていやがる……。
「うわあっ!」
突然、教室の隅で短い叫び声が聞こえた。
「祐陽!」
叫び声の元を見に行った直彦が、血相を変えて呼んだ。顔を覆って震える御坊山をその場に残し、祐陽は呼ばれた方向へ急ぐ。
なんだどうしたと教室内が騒がしくなる。周りで様子を伺っている生徒に混じり、祐陽は直彦が指さした方向に目を向けた。
「ゴミ箱が、どうかしたのか?」
「そうじゃなくて!」
直彦がゴミ箱に手を突っ込むと、中から黒い糸が絡んだ青っぽいリボンを取り出した。
「見覚え無いか、これ」
パステルカラーの薄くて明度の低い青いリボンには、ところどころに赤茶けた錆のような模様が付いている。
「こんなもん見た覚えなんて……」
祐陽の脳裏に最悪の想像が過る。
――模様じゃない、血だ。
全身の血が逆流するのを感じた。
おかしな御坊山の様子、教室にいない千緋色と紅耶、そしてゴミ箱に捨てられた血と大量の髪の毛にまみれた青いリボン……。
「このリボンは昨日、紅耶ちゃんが……」
直彦の言う言葉は最後まで聞こえなかった。祐陽は今にも爆発してしまいそうな感情をこらえながら御坊山に詰め寄る。
「……何したんだお前! 仲吉はどこ行った!」
御坊山は相変わらず震える手で顔を隠し、涙声で「知らない」と言って首を振る。
「総輔が連れていったの、早く見つけて……」
これ話しても埒が明かないと悟り、祐陽は「直彦! 手分けして探すんだ!」と言った。
「わかった! 僕は体育館裏や校庭の隅、周辺を探すから祐陽はこの校舎内を頼んだ」
何事かわからず教室内が騒然とするなか、二人は急いで教室を飛び出した。