現在 黒銀千緋色
千緋色はシャワーを終えると、着替えて一階へ続く階段を降りた。
ずっと考えていたものの、よい謝り方が見つからない。
何故死んだはずの自分が生きているのかと問われれば千里眼の話をしないわけにはいかない。だが、今は封印されて手元にないとはいえ、扱い方を少し間違えれば世界を滅ぼす爆弾なのには変わりはない。祐陽たちに話して、どこかで総也が聞いていないとも限らないのだ。
やはり、全部を話すのは危険すぎるか……。
複雑な思いのまま、まだ赤い鼻をさすって席につく。
「なぁ、千緋色……」
祐陽の一言に、千緋色はいよいよきたかと思って覚悟を決める。
どんな文句を言われるのかわからない。それに、どう謝ればいいのかわからない。だがもう会ってしまったのだ、自分の家の中にあげてしまっているのだ。逃げるわけにもいかなかった。
――出来れば、言われる前に謝りたかったな。
祐陽は立ち上がって千緋色に近づくと、ゆっくり口を開く。
「お前もしかして……身長、変わってなくね?」
「は……?」
祐陽の口から出た意外な言葉に、千緋色は素っ頓狂な声を上げた。
「すすす座っているからに決まっておるじゃろう! こう見えても少しは大きくなったんじゃからな!」
「少しはって……どもるあたりが怪しいぜ。ちょっと立ってみろよ」
千緋色はむっとして口を閉じたまま立ち上がると、祐陽の隣に並ぶ。
「おま……むしろ縮んでんじゃねぇか!?」
「縮むわけ無かろう! おぬしがでかくなりすぎたんじゃ!」
「ふん」と鼻息あらく椅子に座ると、千緋色は「家に押し入ってまで言いたかったこととは、このことなのか?」と言った。
四年も前から知ってはいたものの、なんという無礼なことを言うやつだ。見た目だけ成長して中身はまったく成長していないではないか。
千緋色はつんとした表情でそっぽを向く。
間をおいて祐陽が咳払いをすると、ゆっくりと口を開いた。
「千緋色……悪かったな」
「ふん、今更じゃな。乙女の心が傷ついたぞ、どうしてくれるのじゃ」
「済まねぇ、ただ謝るだけじゃ許してもらえないかもしれないけどよ……今の俺にはこうすることしか出来ねえんだ」
続いて直彦が立ち上がり「千緋色ちゃんごめん、僕からも謝るよ」と言って頭を下げている。
「僕が祐陽を焚き付けたのが原因なんだ」
「直彦、おぬしまでわらわの身長が伸びてないことを笑いに来たのか!? ひ、酷いぞ!」
千緋色の言葉に直彦は驚いた表情で「いや、それは誤解……」と言った。
「お前、何言ってんだ。謝っているのは身長の話じゃねぇよ。身長が伸びていないのは本当のことじゃねぇか。謝る筋合いは無ぇ」
「んな……このっ!」
人が気にしていることをずけずけと言ってのける祐陽は腹立たしいが、確かに身長はほとんど伸びてはいない。千緋色は言い返す言葉が見つからなかった。
「ならば何のことを謝っておるんじゃ……話が読めんのじゃが」
「そりゃ……四年前のことだよ。忘れられるようなことじゃねえだろ」
一体何のことなのか分からなかった。四年前のことなら自分が謝らなければいけない立場だ。謝られる心当たりは無い。
いや、あるにはある。しかし……そんな事を? どうして今頃?
「……指を、入れられたことくらいしか思い当たる節が無いのじゃが」
「ちげえよ!」
千緋色の言葉を聞いて、紅耶が盛大に紅茶を吐き出す。
「いや、まぁそれはそれで悪かったかもしれねぇけど、そのことじゃねえ」
千緋色は紅耶に向かって「こやつ、二度も入れたのじゃぞ。それも知り合ってすぐにじゃ。常識はずれも甚だしいであろう!?」と言った。
紅耶は涙目になって慌てふためいて、その様子を見た直彦は引きつった笑いを浮かべた。
「なんで仲吉に同意を求めようとするんだよ!」
「ふふん、いいではないか。本当のこと……ん?」
ふと見ると鉄斎の様子がおかしい。魂が抜けてしまっている。口を半分開いたままちからなく椅子にもたれかかり、天井を見つめる目は焦点が合っていない。
千緋色は慌てて「口にじゃぞ」というと、息を吹き返すように体を起こした。
「肝を冷やしました」
「それはこっちのセリフじゃ……いい加減もう冗談では済まぬ歳だと自覚してくれぬか」
鉄斎は台布巾を取ってくると、こぼれた紅茶を片付け始める。しきりに謝る紅耶に「まったく、おひいちゃんは言葉足らずなんだから……仕方ないよ」と言って慰めている。
「確かにあの時は呆れてものも言えなかったが……そのことはもうよい、それに、謝らなければいけないのはわらわの方じゃ」
千緋色は、己の心の中を明かした。花屋を壊してしまったのが自分のちからによるということ、生きていたにもかかわらず本当のことを知らせなかったこと、同じ学校に通っているのを知っていたにも関わらず、それらのことが心に引っ掛かって、学校へ行くのを避けていたこと――。
「それでサボってたんだ……もぉ、先生から連絡来たときは驚いて心臓が止まったんだからね!」
「変な心配はかけまいと思って黙っていたんじゃが、裏目に出てしまった」
千緋色は仲吉を見て「おぬしも心配させたかもしれぬ、突然出て行ったきりで済まなかったな」と言った。
「いえ……私も悪かったから……」
隣りで黙って聞いていた祐陽が、突然口を開いた。
「そういえば、千緋色! お前なんで俺の筆箱にゴボウアライの紙くずを入れたんだよ!」
「なんじゃゴボウアライとは。ヤリマンビッチと書かれた紙のことか? あれは、あの時少し気が動転してしまってつい……て、それは元はといえばおぬしが筆箱のおっさんにわらわの名前など彫るからであろう!」
「おまっ!? あの文字を見つけたのかよ! 誰にも分からないよう米粒よりも小さく彫ったつもりだったのに、なんて地獄眼なんだ……恐ろしいやつめ」
「くっくっく。この眼をなめてもらっては困る」
慄く祐陽を見て、千緋色は自身の眼を指さしニヤリと笑う。
「じゃが……さっき言うた通り、この眼がリラックスショックの元凶なんじゃ。黒銀の家が無くなって多くの者が職を失い路頭に迷ったと聞いた。あるものは賭博にはしり、あるものは犯罪にまで手を染めたのだと」
さっきとは打って変わって暗い表情を浮かべながら千緋色は続けた。
「どれもこれもわらわの仕業じゃ、被害を止めようと思うて新しく受け皿になる会社を作ってはみたんじゃが……黒銀家の資産は全てリラックスと共に消えたか、扶月グループに移されておって大した会社は作れなくてのぉ……足掻いては見たがあまり意味は無かったのかもしれん」
「そんなことはないと思うよ、少なくとも千緋色ちゃんのお陰で、このあたりの私立高校は最悪の事態を免れたわけだしね」
直彦の言葉に、千緋色は「そう言うてもらえれば、少しは生きている意味もあったかと思うのじゃが」と言って少し表情が柔らかくなる。
「でも結局……なんで葬式まであげてんのに死なずに生きているのか……それは秘密だってのか?」
「……済まぬが、それはまだ言えんのじゃ……どこで誰が聞いているのか分からんからのぉ」
千緋色の頑なな表情に、直彦は「もしかして、偽名を名乗っているのもそのため?」と言った。
「……鋭いやつじゃな。まぁそういうことになる。これ以上の詮索は無しであるぞ」
困った千緋色の顔を見て、直彦は「千緋色ちゃんがそう言うならこれ以上は聞かない。でもいつか話せる時が来たら教えてよ、その手品のたね」と言って笑った。
「とにかくだ、お前の胸の内は分かったけど、お前んちが無くなったことは俺も責任を感じているんだ。俺が連れださなきゃ、こんなことにはならなかったんじゃないかってよ。だから、お前一人で抱え込んだりするなよな」
「ふふ……そうじゃ、元をたどればおぬしが原因なのは間違いない」
笑った顔で祐陽を見ると、本気で申し訳なさそうな顔をしている。千緋色は慌てて「冗談じゃ」と言うと「千里眼を持つ者の責任に変わりはない。おぬしのせいではないよ」と続けた。
「じゃがもし、責任を感じてちからを貸してくれるのであればお願いしたいことがある。あの学校にはリラックスの影響を受けた生徒が沢山いるはずなんじゃ。そやつらのことをそっと見守ってくれぬか」
千緋色は続けて「特にほれ、仲吉のいる夜間などは多いハズじゃぞ、かなり条件を緩くしておるからな」と言った。
「見守るだけかよ、そんな簡単なこと……むしろ首を突っ込んでお節介焼いてもいいくらいだぜ」
「そんなことされて嬉しく思う者などそうはおらん。小さな親切大きな迷惑というやつじゃ。それに、おぬしらだってリラックスショックの影響が無かったわけではないのであろう? お互いに見守るくらいが丁度良いのじゃ」
「無いとは言わねぇけど……」
祐陽の言葉に直彦は「そうだね」と小さく呟く。みんな表情が暗い。
仲吉はぎこちなく「あの学校、千緋色さんが経営しているんですよね……すごい」とうつむいて言った。
「どうした……まだわらわが怖いのか?」
「う、ううん、違うよ……人前で話すの、苦手で……」
「俺と二人の時はちゃんと喋れたじゃねぇか、大丈夫だって仲吉、こいつら気を使うような奴じゃないんだからよ」
祐陽の一言に千緋色は「失礼な奴じゃが、その通りじゃな」と言った。
「いちいち気を使う必要など無い。そこにいるブレイメンの図々しさを少し分けてもらって丁度いいくらいじゃ」
「悪かったなブレイメンで……お前はブレイオンナだけどな!」
むっとする千緋色に向かって祐陽が笑ってみせると「こいつはジンジャーって言うんだぜ」と言って直彦を指さした。
千緋色と紅耶は頭の上にはてなマークを浮かべて祐陽を見た。
「花言葉で《無駄なこと》っていう意味さ。地団駄なんか踏んで悪いやつを蹴散らすんだと言って、小学校の頃は妄想にふけっていたからな」
困ったように眉間を指で押さたまま、直彦は「もうやめたよ、体力で勝とうなんて僕には無理だったんだ」と言った。
「そうそう、それでこいつ警察になるの諦めてよ……ああ! そうだ直彦、ここにいる仲吉は弁護士になりたいらしいんだ、お前もそうだろ? 頭いいんだから勉強見てやれよ」
「ひあああ!」
突然、紅耶が素っ頓狂な声を上げる。みるみる顔が赤くなるとテーブルに顔を埋めた。
「……おい、どうしたんだ?」
千緋色は「他人の身の上のことをおいそれと言うでない。まったく……本当に中身は成長しておらんのじゃから……」と言って嘆息する。
「それに祐陽、僕がなりたいのは弁護士じゃなくて裁判官だよ。まぁ司法試験組という意味では同じだから僕なんかで良ければ教えてあげられるけど……」
直彦の言葉を聞いて、紅耶は突っ伏したまま蚊の鳴くような声で「うん」と言った。
ふと時計を見ると二十二時前になっていた。仲吉もいることだ、あまり遅くなってしまっては危険だ。
千緋色は男どもを玄関へと追いやると突っ伏したままの紅耶に声をかけた。
「もうみんな行ってしまったぞ」
「は……はい」
ゆっくりと顔を上げる紅耶の目は、少し潤んでいるように見えた。
ヤリマンビッチ死ね……祐陽の筆箱へ詰めたあの紙片は仲吉を狙ったものだったのだろう。ぶつけてきた女子生徒と仲吉の間になにがあったのかはわからないが、あのような紙片に書いて他人に送る言葉ではない。
紅耶は立ち上がって「失礼しました」と頭を下げると、玄関へ向かおうと身体を翻す。
それに……仲吉は引っ込み思案ではあるが、そのような仕打ちを受けてもなお弁護士になりたいという。
一見頼りなさそうに見えていても、心のなかには強い想いがあるのだ。軽い気持ちではないのだなと思った。もしかして自分と同じように、呪いから逃れようと必死なのではないかと。
「仲吉、応援しているぞ」
玄関に向かう途中、千緋色は紅耶の手をそっと握った。