現在 井山鉄斎
鉄斎は千緋色の部屋で掃除機を滑らせながら、床に落ちている服を拾い上げた。
「んもぉ、おひいちゃんったら、いっつもお洋服脱ぎっぱなしなんだから……」
相変わらずの可愛い口調で独り言を呟く。
もとはと言えば千緋色のために喋り方を変えた。それがだんだんと板についてきてしまって、今では千緋色が留守の時でさえ無意識に出てくるのは可愛い妹爺さんのほうになっていた。
「埃アレルギーのくせに掃除一つ満足に出来ないんだから、こんなんじゃお嫁に行けないんだからね」
家ではいつも寝ているか本を読んでいるかして、家事は鉄斎任せである。昼間、鉄斎は千緋色を気遣って掃除する事が出来ないため、学校へ行っているこの時間帯に部屋を片付けることにしている。
――それでも無事、大きくなってくれたものぢゃ。
ある時は先生役として、ある時は親の代わりとして、執事として、友達として、ボディガードとして……そして、千里眼の語り部として黒銀家、千緋色に仕えてきた。そんな鉄斎にとって千緋色の成長は孫娘のようで感慨一入だった。
鉄斎は千緋色の母親である先代当主、千草の頃から仕えてきた黒銀家の執事である。黒銀の事なら誰よりも知っている。黒銀の歴史や当主に課せられた重い宿命、千里眼の正体についても……。
その知識と立ち位置からしてもはやただの執事ではなく、宰相と言っても過言ではない。
洗濯物片手に一階へ降りると鍋が吹き溢れている。慌てて手に持っていたものを宙に投げ捨ると「ふえぇ、やっちゃったよぉ」と口走りながら一足飛びでコンロの火を止めた。
額の汗を拭って、恐る恐るフタを開けた……麺を一本救い上げてみたところ、しっかり茹で上がっている様子。今夜の夕食はなんとか無事だ。
用意した笊に鍋の中身をひっくり返して水道の水を勢い良くかけながらもみ洗いをする。ぬめりが取れたところで事前に用意してあったボウルに浸と、氷の浮かぶ冷たい水が柳色した茶蕎麦を締める。
千緋色は学校で夕食が出る。そのため、夕食は一人で食べるようになった。どうせ一人なのだからと手の込んだ物は作らない。蕎麦は好物なうえ作るのも片付けるのも簡単ということもあって、ここのところはずっと蕎麦である。
この歳になって一人の夕食は少々寂しくもある。しかしこれも孫が大人になっていく過程なのだと思うと我慢しなければならない。そのうち孫離れしなければいけない時が来る。
鉄斎はそう自分を納得させて、冷えた蕎麦を笊の上にあげた。