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現在 仲吉紅耶

 ――きっと死ぬまで消えないんだよね。この呪いは……。

 コン、とドアを叩く音がした。

 「紅耶お嬢さん……起きてます? ご飯の用意ができましたよ」

 強面の男がドアから顔を出して言った。

 紅耶はベッドから飛び起きると、小さく頷いてパソコンの電源を落とす。

 一階に降りるとテーブルにはハンバーグとパンがお皿に盛られている。芳ばしい香りは食欲をそそるが、ハンバーグは黒く焦げているようだ。

 「すみません……どうも料理は苦手でして」

 強面の顔がすまなそうに笑って言った。

 「料理も出来るからといって親父さんに雇ってもらったのに、面目ねぇです」

 「いいの、ありがとうヤスさん。このパンも手作りなんでしょう? 私、このパン好きですよ」

 そう言って紅耶はパンを少しちぎって口に入れた。

 「へぇ……パンやお菓子は得意なんですが……今度は料理も勉強しておきます」

 「お菓子作りが得意なヤクザさんて初めて聞きました」

 笑顔の紅耶にヤスは「いやぁ実は理由がありましてね」と言って頭を掻いた。

 「前にいたところでの事なんですが、外に出られず学校にも行かせてもらえない女の子がいたんですよ。当然友達もいやしませんし……まぁ大変な運命を背負った子でした。たしかお嬢さんと同じ年ですから当時は十歳そこらだったと思います。本人は気丈に振舞っていましたが、それがなんだか不憫に思えてきましてね、その子のために練習したんです」

 「きっとその子、喜んだでしょう?」

 「そりゃあもう……いつもは歳に似合わず難しい顔をしている事が多かったんですが、お菓子を食べるときだけは子供の顔をしていましたよ」

 嬉しそうに話すヤスは、パンに挟んだハンバーグを一口噛じり、目を伏せた。

 「……もう、死んでしまいましたけどね」

 驚いた顔の紅耶に気づき「ああ、すみません! ご飯中に暗い話しを……」と言うと慌ててテレビを付ける。画面からはリラックスショックを検証する番組が映しだされた。

 「もうあれから三年も経つんですねえ。早く景気よくなって欲しいもんですよ。そうすりゃ親父さんもこんな大変な思いしなくていいですしね。最近やたらと妨害がはいるし……」

 そういえば三年前からだ。お父さんの事務所の雲行きが怪しくなったのは。家計が厳しくなっただけじゃない、変な妨害で警察沙汰が多くなったのもあの時からだ。

 たまに見る父親は、随分と頬が痩けていたような気がする。もっとも、ここ最近はずっと家には寄らずお店にばかり顔を出しているからうろ覚えだ。

 世の中を見渡せば幸せそうな父娘は沢山いるのに、法律ギリギリの危ない仕事をしては冤罪で逮捕される……どうして私やお父さんがこんな目に合わなければならないんだろうと思った。

 勉強して、弁護士になってお父さんを守ってあげたい。ちからになってあげたい……。そのためにはやはり高校へは行かなければいけないのだろう。

 「ねぇヤスさん、私の……人まえで喋れないのって治るかな」

 「お嬢さん、自分だってこうは見えても人間ですよ! 人相は確かに悪いかもしれませんが……」

 紅耶は笑って「ごめんね、そういう意味じゃなくて」と言うと「怖い顔の人は小さい頃から慣れているから平気なの」と続けた。

 ――そう、本当に怖いのは、何食わぬ顔をして心の中では何を考えているか解らない、他人の目なんだ。

 味の濃い焦げたハンバーグは、ヤスの作ったパンとよく合っていた。

 

 衝撃的な祐陽との邂逅から数日が経っていた。

 祐陽は毎日のように定時制クラスに顔を出してはみんなを笑わせ、先生が来る前に帰っていくの繰り返しだった。

 ある時は岩先のものまねをしてみたり、またある時はクラスで腕相撲大会を開いては優勝してみたり。極めつけは、どこから持ってきたのか知れないカツラを被ってそのまま授業を受けた事もあった。結局、誰かの笑い声でバレてしまい岩先にこっぴどく怒られたものの、祐陽の勇敢な行動に誰もが心のなかで拍手を送ったに違いない。

 紅耶もその一人だ。隣の席で女性用カツラをかぶり真面目な顔で授業を受けられてはたまったものではない。とにかく笑い出すのを堪えるのに必至で、涙を流して耐えぬいた。後ろに御坊山がいる事も忘れてあっという間に時が経ったのを覚えている。

 それからというもの、始業前の二人きりの時間が待ち遠しくなっていた。これといった会話を交わすわけでもないのだが、一方的に話す祐陽の言葉に頷くだけでも楽しかった。花の話、全日制での話、吸血鬼の話……とにかくダイナミックに話す祐陽の姿を見ているのが嬉しくて、学校が楽しい所だと初めて感じた。

 「――え? 弁護士?」

 ある日、自分のことを楽しそうに喋る祐陽に、つい自分の事を話してしまった。案の定、驚いた表情の祐陽を見て、口走ってしまった事を少しだけ後悔する。

 「おかしい……ですよね」

 祐陽は明後日の方向を見つめながら「いや、そうじゃねえ」と言った。

 「弁護士だったかな……俺の友達もよ、なりたいって言ってたから一緒だなって思って。おかしいなんてことねぇよ」

 「本当?」

 「当たり前だろ」

 飛び上がるほど嬉しかった。紅耶はこれまで弁護士になりたいという夢を口外したことはない。ネット上の友達には言ったことはあるものの、それはネット特有の《顔も知らない誰かの独り言》として軽く聞き流してもらえるからだ。初めて顔見知りに夢を話せたこと、そしてそれを変じゃないと言ってもらえたこと、全てが嬉しかった。聞いてもらったことで夢が本当に現実になるんじゃないかと錯覚してしまうほどに。

 「前に話したことあっただろ? ほら、直彦ってやつ。小学校からの友達なんだけどよ、スゲー頭いいんだぜ」

 「うん。いいなぁ……私、頭悪くて……」

 「弁護士っていったら難しいらしいな。かなり勉強しなきゃいけないんだろうけど……そうだ、今度あいつに教えてもらえよ。今度はお前が昼間に来ればいいんだ。俺みたいにしてよ」

 祐陽の奇想天外な提案に、紅耶は一瞬言葉を失った。

 「む、無理だよそんなの……」

 勉強を教えてもらえるというのは有難いことだし、同じ目標を持っている人と会ってみたい気持ちもある。だけど、全日制ほど生徒同士の付き合いが無いと聞いて夜間を選んだのだ。それをいきなり全日制に来いだなんていくらなんでもハードルが高すぎる。

 「制服だって持って無いし……みんな、祐陽くんのようには出来ないよ……」

 「んーそうか、ならお前んちは?」

 私の家? ヤクザの組事務所だよ?

 もちろん言葉に出して言えるわけもなく、紅耶は心のなかでそう呟くと「おうち遠いから」と無難な言い訳で断った。

 「なかなか難しいな。放課後って言ったってお前は授業があるし、直彦は最近忙しいらしくてよ……いつも誘っているんだけど来ねえんだよな」

 紅耶は「ありがとう、気持ちだけでも嬉しい」と言うとそれっきり口を閉ざした。

 学校に来るのが楽しくなっただけで満足だ。無理をして全日制クラスに顔を出したりしてボロが出てしまってはいけない。ましてやお家なんか絶対に呼べない。家のことは……父親の仕事は、絶対に知られてはいけないんだ。知られてしまったら宝物のようなこの時間も終わってしまうのだから。

 「じゃあ、メールアドレス持ってる? 直彦から送るよう言っといてやるから勉強で分からないところあったらメールで聞けよ」

 「いいの……かな」

 無理矢理メモ用紙に書かされると、祐陽はそれをポケットに突っ込んで「任せておけ」と言った。

 「これくらいは別にどうってことねぇよ。ま、俺が言うセリフじゃないけどな。直彦はいいやつだからきっと喜んで教えてくれるぜ」

 「うんん、凄く嬉しいよ。ありがとう!」

 祐陽は「おう」と笑顔で言うと、続けて「やっとはっきり喋れるようになってきたじゃねえか」と言った。

 紅耶は驚いて口に手を当てた。言われてみれば全然緊張していない。事務所のヤスと話すように、ネットで他愛もない話をするように、自然に口から言葉が出てくる。

 「お前ムスッとしてないでそうやって笑っていたほうがいいぞ。可愛いんだからよ」

 爆発した。

 祐陽の一言でつかの間の会話は幕を降ろし、紅耶は手で顔を覆って祐陽から背ける。

 決して嫌だからじゃない。真っ赤になっているであろう顔を見られるのが恥ずかしいという訳でもない。

 眩しすぎて直視できないよ……。

 私とは違いすぎる。お日様のように明るくて、人気者で優しくてお人好しで……そんなのまるで、物語に出てくる勇者様みたいだよ。


 「……彼氏?」


 開いたドアから声の主が入ってきた。手で顔を覆っていても、後ろを向いていてもわかる……御坊山だ。

 「最近楽しそうだと思ったら、デートしていたんだ」

 最悪だ。よりによって二人きりで話しているところを見られてしまった。何を言われるか分からない。せっかく……せっかく学校が楽しくなってきたところなのに。

 何も答えない紅耶を尻目に、御坊山は胸まで伸びた茶色の巻髪を弄りながら祐陽に近づくと口を開いた。

 「なんだ? お前の友達か?」

 「そう、その子のクラスメイト。斜め後ろの席に座っているの気付かなかったかしら? 御坊山礼ごぼうやまれいよ。崎枝くんよね、よろしく」

 嫌な予感がした。御坊山が積極的に話しかけてくる時は決まって何か企んでいる時だ。絡まれて良いことがあった試しがない。

 「そっか悪いな、気付かなくて。後ろには目が付いてねぇからさ」

 笑いながら言う祐陽に、御坊山は「そうね」と言って笑顔を作ると「クラスメイトとして忠告しておこうと思って」と続けた。

 「俺にか? 俺、夜間クラスじゃねぇよ?」

 「あれだけ人気者なんですもの、クラスメイトと言っても差し支えないわ。それに、クラスの人気者がヤクザと関わりがあるなんてことになったらみんながっかりするでしょ?」

 心臓を握り鷲づかみにされた気がした。振り向くと御坊山が意地の悪そうな顔でこっちを見ている。

 ――やめて……やめて!

 心の中でどんなに叫んでも声にならない。口から言葉が出てこない。紅耶は、今にも死にそうな顔のまま祈ることしかできないでいた。

 「……ヤクザ?」

 きょとんとする祐陽に向かって御坊山が続ける。

 「そうね、例えばの話だけど……このクラスの生徒にヤクザとつながりがあって、誰とでも寝るようなヤリマンがいたとしたら……あなたどう思う?」

 「もうやめてっ!」

 やっとの思いで絞り出した言葉は、自分でも思ってもみないほどの大きな声となって口を突いた。怒りや悲しみ、そして恐怖が手が震わせる。

 「お願いだから……もうやめて」

 「あら、私は別に貴女のことだなんて言っていないわよ? もしかして仲吉さんがそうなのかしら、風俗でアルバイトしているってうわさの生徒って」

 口角を上げてこちらを見据える御坊山が悪魔に見えた。せっかく見つけた宝物を、あの妙に真っ白な歯であっけなく噛み砕かれた気分だった。

 なんで、どうして意地悪をするの?

 祐陽を見ると、腕を組んで「ヤリマン……」と呟き紅耶を見ている。

 もう終わりだ。何もかも。夢を叶えるまで負けないと誓ったのに、大切な人を守りたいと思ったのに……こんな理不尽なことであっけなく壊されてしまうんだ。やっぱり私には無理だったんだ。呪いはやっぱり死ぬまで解けないんだ――。

 溢れ出そうになる涙を堪えて外に出ようとした時、祐陽に腕を掴まれる。

 「ちょっと待て、仲吉」

 腕を掴まれて動けない紅耶はどうすることも出来ず、自由な方の手で目元を拭った。そして紅耶を捕まえたまましばらく黙っていた祐陽は、御坊山を見据えてゆっくりと口を開いた。

 「犯人はお前か……」

 「は? 何のこと? 私はただ、」

 「しらばっくれんなよ。これだよ」

 御坊山の言葉を遮って、祐陽はポケットから出した紙くずを取り出す。

 「ヤリマンビッチ死ね……お前だよな? これ書いたの」

 いつになく真面目な顔の祐陽に、御坊山は「……だとしたら何だって言うの? 本当のことじゃない」と言うと紅耶を見やる。

 「その子の親、ヤクザなのよ? 風俗の店をやっているのよ? 汚らわしいったらありゃしない……どうしてそんなところの子供と同じ高校に通わないといけないのよ……天下の国千院高校も地に落ちたわよね」

 「関係無ぇ」

 祐陽の言葉に、御坊山は不機嫌そうに眉をひそめた。

 「あなた、まさか親のやっていることなんだから子供は何も関係ないなんてキレイ事言うんじゃないわよね?」

 「そうじゃねえ……俺は、俺の筆箱にこの紙くずを入れた奴を探しているだけだ。それと仲吉の親は、今関係無ぇだろ!」

 まさかの回答に、紅耶は「へえ!?」と気の抜けた声を上げた。

 高笑いする御坊山は「バカじゃないの。見てご覧なさい、その子も呆れているじゃない」と言ってお腹を抱えている。

 「俺は大真面目に聞いているんだぜ」

 「そう、そうね。確かにそれを書いたのは私よ。でも入れたのは違う……確か、貴方の席に座っていた千緋色という子よ。なんだか異様に真っ白で不気味な子だった。来なくなって良かったわ」

 言い終えるか否か、祐陽の右の拳が空を切って御坊山の目前で停止した。あと数ミリで自慢の高い鼻は粉々になっているところだ。

 拳の風圧に御坊山の前髪がそよいだ。祐陽は野獣のような目つきで「言っておくが、俺は女だからって容赦しねえ。あいつをバカにする奴は特にだ」と言うと、突き出した拳を引っ込める。

 「ついでに……仲吉を泣かすやつもだ。忘れんな、妖怪ゴボウアライ」

 祐陽は捨て台詞を吐くと紅耶の腕を引っ張ってそのまま教室を出て行った。

 暫くしてようやく我に返った御坊山は、鬼の形相で二人の出て行った入り口を睨み続け、入ってくる生徒たちを恐怖のどん底に突き落とした。


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