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古き稲荷との出会い

「いかがなさいました」

 寄り添う茂野が、安堵を体中に満たしてくれる。

 他山へ行幸してみて鬼の茂野が、どれほど心強い鬼であったのかを、しみじみと感じていた。

「『孝橋山』なにか祥香様が失礼を」

「どうもせんよ茂野。私は冗談を言ったのではないからな」

 『孝橋山』は茂野の肩を軽く叩いて、労い笑う。

「分社身分ながらに、懸命に役目を全うせんとしておった。先代をはじめ、『大江山』に至るまで、茂野よ、そなたはまことによき姫君を育てるに長けた侍従であることだ」

 『孝橋山』はそれだけ告げると、ひらりと手を振り庭を抜ける。

 先に石庭を堪能する他兄姉へ目標を移すと、次々と会話を弾ませていた。

「茂野。私は大丈夫です。お兄様が冗談を仰ったものだから」

 火照った両頬を冷えた手で押さえて冷やす。

 緊張すると、どうしても顔が熱くなって仕方ない。

「茶の席はいかがで御座いましたか」

「目立つ粗相はしませんでした」

 茂野が嬉しそうに笑うと、豊齢線が優しい頬の丘を作る。

「『孝橋山』は祥香様をお気に召してくださったようですね」

「まだ分社だからと、優しくして下さったのね。分社なんてもうやめたいと思ったけれど、今日だけはよかったと思ったわ」

「『孝橋山』は思慮深く、対極を見渡す心広き御方です」

「聞いたわ。茂野は昔から菓子作りが得意だったのね。お前は一体いつから……」

「私は『豊山』神楽殿守の警護役を経て『葵清祥咲夜姫』侍従、今こうして、『大江山』侍従を勤めております。特に『葵山』勤めは長くございました」

 改めて聞くと茂野の経歴は、それはそれは見事なものだ。

 そういえば銀朱が茂野に躾を任せたのは、茂野が栄華を極めた『豊山』の作法を祥香や朱善に教えるためだったと言っていた。

 銀朱は作法に疎く、若い頃にとても苦労したのだと苦笑いしていたことを思い出す。

「『孝橋山』のお兄様は先代のことは知らなくてもいいと仰ったけれど、私、茂野が長くお仕えした先代『葵山』に似ているのでしょう? ──どうなの? 似ています?」

 無邪気な祥香の問いに、茂野は頬の皺数を増やしほのかに笑んだ。

「先代『葵山』と祥香様はたしかに似ておられますが、それでも面差しだけでございます。あの御方は料理は嗜みませんでした。むしろ火気厳禁でございましたよ」

「あら、お料理はされなかったのね。まぁ、普通はしないものよね」

「ご存じの通り、私は料理を嗜みます。それは先代『葵山』が料理だけは大変不器用でいたこと以上に、洋菓子を焼いてお口に運ばれる時だけは、いつも──笑顔でおられたからです」

「まぁいつもは、仏頂面でいらっしゃったの?」

「悩みの多い御方でした。複雑に絡まった運命に捕らわれ、自らでそれを断ち切ることもできなかった。真のご自身を隠し閉じ込めて生きて行くことしか選べなかった。私の最初の姫君です。それをお救い下さったのが、あなたのお母上である『大江山』銀朱姫です」

 茂野は遠い『葵山』の方角を見つめた。

 いまそこに、茂野の主である銀朱がいる。

「わたくしの姫君」

 ゆっくりと一言一言を噛みしめるように、茂野は銀朱へ思いを寄せた。

 年輪を描いたたゆむ瞼の下、青い目が光を受け、遠くを見つめる。

 一言も言葉を発さずともそこに深い思いがあるのが分かる。

「茂野……私もいつか、茂野みたいに、遠くにいても信頼を欠かさず深い愛情を持って私の姫君と言ってくれる侍従を伴って、山を持てるかしら」

「貴方様が、ご自身の真を見つけ進むならば必ず」

 そのための経験になるようにと、今祥香はここにいるのだ。

 ──うん、そうね。

 祥香は声に出さずに、一度頷いて顔を上げた。

 こんな庭の隅におらずに『孝橋山』に招待された兄姉たちに声をかけよう。

 いろんな山の話を聞いて、自分の預かる未来の山へ思いを寄せよう。

 勇んで袖を振り庭の中央に出ようとしたところで、さっと茂野が祥香の前に進み出て道行きを遮った。

「『大豊山』です」

 茂野の唇から漏れた囁きに、祥香はまさかと驚き視線を追った。

 欠席かと思えば、遅れてやってきたのだろう。

 本来は許されないが三朱とまでなれば、非礼もうやむやである。

 『孝橋山』も驚いた様子で『豊山』の元まで足早に駆け寄っていた。

「『大豊山』、『豊山二ノ輪麓』まで、まさかお越し頂けるとは」

「遅うなって申し訳ない。まっこと多忙ではあるが『孝橋山』主催となれば、顔を出すくらいはせねばなるまいよ。『大豊山』もそう仰せでな」

 歓談に対応するのは久照である。

 見事な体躯に反比例し、その横に童子のような小さな体をした稲荷神が立っていた。

 会話をすべて久照に投げ、気怠げに視線を庭へと投げ、退屈そうな気配が漂う。

 祥香は『豊山』の名と姿を、錦絵や文書で目が潰れるほど見てきた。

 『大江山』のみならず『葵山』所蔵の文庫に登場し『紅葉山』と並び賞され語られた、この国の稲荷の生きた伝説の一柱。

 実質一位の権威をもつ兄である。

 秋の稲穂を思わせる陽光を浴びた美しい金の短髪に、どこかけだるさのある血潮の色をした赤い目。

 紺の袴は一見とても質素であったが、手を取り合う距離になれば小さな染め抜きのされた逸品であることがよく分かるだろう。

 稲荷の伝説が目の前に存在しているのだということに、感動と共に鼓動が早まる。

 だが陽光の下にあるのに、一寸先も把握できないような、そんな広く広く、底知れない気配は何だろう……

 分社の祥香には、瞬時にその器の底を見定めることができない。

 それを畏怖と感じるのは、当然のことだった。

 先ほどまでは山の美景に頬を緩めていた兄姉達も、緊張した面持ちへ変化していた。

 祥香は茂野の着物の袖を引き、無意識に握り締めてた。

 惑う祥香を置いて『豊山』は接待する『孝橋山』からぐるりと庭にいる弟妹をねめ回す。

「歓談続けるがいい。遅れた私が悪いのだからな」

 『豊山』の采配に、場にいた姉兄は安堵のため息と共に、揃って顔を下げた。

 祥香もそれに合わせたかったのだが、頭ひとつ出た釘のように場に浮いてしまった。

 慌てて頭を下げようとしたが、予想外の制止がかかった。

 手、だった。

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