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それぞれに手を引かれ

 『孝橋(たかはし)山』は母に先代『葵山』、十色『笠眞(かさま)山』を持つ名山である。

 『大江山』とは直接縁はないのだが、祥香には少なからず縁がある。

山の造型は見事なもので、水墨画の世界をそのまま切り出したような美しく巨大な庭園を持っていた。

 ちりばめられた信仰の光が影を消し、本殿だけでなく拝殿から神楽殿の隅々まで輝かせている。

 どの派閥にも属さないの独立した威厳を感じさせられる。

 今回の『孝橋山』の茶会は、この庭を自慢するために催されたものらしい。

 というのも駆け引きの行われるような相手が、揃わなかったためにそうなったと言える。

 一番に重要視されるであろう『豊山』は、やはり茶席にやってこなかった。

 となれば、兄弟の談話の会となり、場は和やかなものだった。

 見知らぬ姉、兄ばかりだがそれでも過剰な緊張をしないで済むのはありがたいこと。

 茶の席が終わると、祥香は手に下げていた小さな巾着を開き、中から焼き菓子を出した。

 『孝橋山』に入る時に『大江山』として銘菓を差し出したが、愛らしい小梅柄の巾着から出てきたのは銘菓『大江山まどれぇぬ』ではなく『かとるかーる』という名の焼き菓子だった。

 型をとる『大江山まどれぇぬ』とは違い、祥香の『かとるかーる』は使う材料は似ても平たく、牛酪をたっぷりと使った柔らかな焼き菓子になる。

 素朴な見た目を少しでも華やげようと、祥香は山の果実を摘んで入れ込んだ。

 主催たる『孝橋山』へ手渡すものは、大江山の手漉き和紙で包んだ特別な包装をしてきた。

「お兄様のお口に合うかわかりませんが」

「そなたが手ずから、こしらえたのか」

「はい『孝橋山』の美しさを想像しながら」

 和紙に包まれた洋菓子を受け取り『孝橋山』は祥香の満面の笑みに応え開封する。

 ふんわりとした揚げ菓子にも似た色の生地と、西洋菓子の香りに頬をほころばせた。

「なんとも懐かしい」

「懐かしい……のですか、『孝橋山』のお兄様はこの洋菓子をご存じで?」

「姫と同じように、私にも分社時代があった。遠い遠い昔の事だ。子細まで覚えているわけではないがな。私は『葵山』分社であるから、先代の美しき『葵山』の膝に抱かれて、侍従の茂野や松緒の焼く菓子を頬張った。先代はなぁ……西洋菓子がお好きで」

 それはそれは懐かしそうに『孝橋山』は語りながら、庭の石に腰掛けて祥香の『かとるかーる』を自らの手で半分にすると、従者に毒味もさせずにそのまま口に運んだ。

「うむ、美味い」

「よかった」

「分社身分で山の代行をするというのは心の負担も多かろうが、そなたは立派に社交した」

 茶席に茂野は同席しない。

 緊張で胃が千切れてしまいそうだった。

 茶器を持つ手が震え、抹茶が水紋を描いていた。

 隣の姉に忍び笑いをされ、生きた心地がしなかった。だが兄に任せるよりかはずっとよかったと思うことにしている。

「菓子が好きか?」

「はい、守る山がまだない身の上では、他に楽しむこともありません」

 冗談たっぷりと祥香が笑うと、『孝橋山』もつられて笑んだ。

「意外性たるや気概は『大江山』に似ているが、その面差しは先代『葵山』に似ておるな。そのように西洋菓子を持ってにこにことしておると、まことに被ってみえるものだ」

 隣に茂野がおるとなおさら、と『孝橋山』は茶席の先、石庭に続く門下で待つ茂野へ視線をやった。

 『孝橋山』にとって茂野は旧知の仲である。

 祥香が茶庭から帰ってくるのを、淡々と待っている茂野の横顔が見える。

 亭主が茶室から出たところで祥香を引き留めているので、何かしでかしたのではないかと考えて、心中穏やかではないに違いない。

 茂野はそういう侍従だと『孝橋山』はよく知っている。

「お兄様、私は先代『葵山』には拝謁したことがありません。よくよく知っておくべきでしょうか」

「知らずともよい。すでに先代は安穏と共におられる。今邁進されておる『葵山』のことを把握する方が新しき稲荷として有益であろうよ」

「『葵山』時雨お兄様ですか?」

「そうだ。そなたには縁深き兄であろうが、敵に回してはならぬぞ」

「『葵山』のお兄様はお優しい御方です」

「おなごにはな」

 庭先で立ち食いをしては己の侍従にも怒られると『孝橋山』は半分を和紙に包むと、隠すように懐に押し込み、祥香を伴い歩き出した。

  木漏れ日の中、線を意識させられる笹や竹、そして自由無限に広がる苔の庭を行く。

「趣味の工芸蒐集を通じて、『大紅葉山』とは幾ばくか交流もある。『葵山』とは母を同じくする兄弟である。私とそなたには縁がある。そなたの初公務が、こうして私の山であることも総本山の導きであろう」

「はい。生涯忘れぬ大事な思い出に致します」

「何でも最初のものことは、思い出深くあるものだ。祥香姫」

「はいお兄様」

「山を預かることになったら、必ず私に知らせよ」

「それはもちろん。山を預かりましたら、お兄様のように茶席を設け、お招きしたく思います」

「山海辺土とはいえ、要所と名高き岩の稲荷神『孝橋山』義本親員よしもとちかかずが、そなたを嫁にもらいに行こう。最初の相手は、こと思い出深く縁ある相手であるというからな」

 祥香は『孝橋山』の言葉に、最初どう反応していいか分からずにいた。

 それも十分に見越していたのだろう。

 『孝橋山』は海松(みる)色の染め抜きから伸びた手を伸ばすと、祥香の手を掴み引き寄せた。ふれあう距離になると互いの衣装にたきしめた香のかおりが一層深まる。

「その時は、私の嫁に参れ」

「わ、わた、私が?」

 決して、からかった訳ではないのだが、『孝橋山』はその反応が愛らしくて思わず腹から笑ってしまった。

「預かる山を定める前から嫁入りを請われるとなれば、まこと先代『葵山』似であると言わざる得ないのぅ、はっはっは」

 どう返答していいか迷っていると、丁度茶庭を抜けた。

 いまかいまかと主の帰りを待っていた茂野が、慌てた様子の祥香へ寄り添った。


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