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代行の意地

 大江山は、梅がほころび出していた。

 冷え固まっていた空気も、花の咲き様に心暖めたのか、春を伴いはじめている。

 桜の名所たる『葵山』は、これから桜が美しいことだろう。

 祥香はいつものように茂野を伴い役目を果たしながら、開いた時間に丁寧に几帳をしていた。

 齢五ほどの幼子の願い聞き届け計らい成就。

 里の老婆の願いを配慮し経過観察中。

 ひとつひとつ代行としての成果を記録しているのだが、これは銀朱が帰ってきた際に引き継ぎし、褒めてもらうため以外にも、預かりの際の成果を総本山が見て、早々に山を預けてくれることを目論んでのことだ。

 だが、こうして筆に墨を吸わせながらも顔色は優れない。

 桃の頬を膨らませ、どこか不満げであった。

「もう、本当にひとの子って自分勝手な願いを投げてくるものね。身の丈にあわない欲深きものに、恩恵が下ると思っているのかしら」

 祥香は代行前から、ひとの子に対して厳しい目を持っていたが、今回その思いを確固たるものになっていた。

 必要以上に固執しひとの子と干渉するのは稲荷神の規律に反するため、在り方としては正しいが毛嫌いしては意味がない。

 付かず離れず、愛さず嫌わず、与え時に奪う関係。

 それを維持しなければならないと決められたことだ。

 大体その関係を壊すことに、稲荷神側も、ひとの子側にも利点はない。

 それぞれ笑い方も泣き方も、違う存在同士なのだから。

「どうして兄様たちは、ひとの子とあんなに接触されるのかしら」

 祥香が世に具現化して幾星霜。

 最初に物理的な痛みを与えられたのは、兄からだった。

 銀朱も茂野も厳しいが、祥香の頬を叩くようなことは一度もなかった。

 出来のよい祥香が、そのような粗末を働くことはなかったと言っていい。

 祥香は叩かれた左頬の、帯電でもしたかのような熱い痛みの感覚を、今でもさまざまと思いだせる。

 その平手打ちの理由は、兄朱善が固執するひとの子を、祥香が罵倒したためだ。

 とはいえ、暴力的な一撃は今でも祥香の中で納得など出来ていない。

 あの時から、兄への確執が深まったと言ってもいいだろう。

 『紅葉山一ノ宮麓』朱善は、ひとの子に長く接触し『愛した』結果、近しい妹である祥香にあのような乱暴を働いたのだと思っている。

 ──信じられない、本当に信じられない。ひとの子に干渉しすぎるからあんなことに。

 悪い手本であったと思い切れればいいが、その悪い手本が、稲荷兄妹最高峰たる三朱の一ノ侍従に収まっているのだから腑に落ちない。

「あ-! もう!! だめだめ兄様のことは考えない! 考えない!」

 執務に集中できないと大声を上げると、控えていた茂野がゆらりと立ち上がった。

 ──しまった。

 祥香は茂野がいることをすっかり忘れていた。

「祥香様、ここは本殿でございますよ。背丈が茂野の膝にも及ばぬ頃よりここで無駄な騒ぎをするはならぬと躾して参りましたが」

「あ、ああ、今のは……。今のは……咳です!そう咳!」

「左様でございますか。では僭越ながら背をさすって差し上げましょう」

 茂野は笑顔で祥香の背を軽く一撃。

「ぶはっ……今のをさすると言いますか、茂野」

「祥香様の咳があのようであれば、このようにもなりましょう」

 茂野は本殿を出ていくと、茶と洋菓子を添えて戻ってきた。

 休憩が必要だと判断されたのは結構なことだ。ここは意地を張らずに祥香は菓子を受ける。

 茂野は休憩する祥香の横で、以降の予定を読み上げた。

「『孝橋山』主催の茶席の出席ですが……」

「えぇ、もちろん行くわ。楽しみにしているのよ。お菓子を焼いて持参しようと思って」

「その件ですが『紅葉山一ノ輪麓』が『紅葉山』を代表して代行をすると仰せでした」

「……え? なぜ! そんな話聞いていません。『大江山』が『紅葉山』を代表して『孝橋山』のお兄様他、ご臨席のお兄様お姉様にご挨拶するという話だったでしょう」

「当初その予定ではおりましたが」

「代行の『大江山』祥香では、お役目が果たせないと言いたいのかしら朱善兄様は! 山を離れても八雲や敷島がいるからここは問題ないし、私だってお茶の作法はしっかり得ています」

 せっかくの美味しい洋菓子を乱暴に皿に戻すと、祥香は茂野へ詰め寄り続けた。

「むしろ兄様より私の方が茶道は優れていたはずです。お兄様が突然代行をされる意図が私には理解できません」

「祥香様が山号を得ておられないからであるとか、作法の優劣であったりという問題ではありません。銀朱様が嫁入りされる日に、朱善様よりお話伺ったところ『孝橋山』の茶席に『大豊山』ご出席の兆しがあるということなのです」

「『大豊山』……?」

「ここ数百年全く行幸の様子なく、豊山内においてもお姿を見る回数が減っておられた御方が動かれるということは、何か意味があってのことです。『孝橋山』は『葵山』系の派閥に属さない十五名勝です。『葵山』躍進と共に、ここ数百年で力を付けておられることを考えるに──(まつりごと)としての茶席以上の意味が付随することも考えられます。雲行き怪しく、危険です」

「だとしても、『大江山』が行くと言っているのに『紅葉山一ノ宮麓』が行くなんて。『大江山』の立場はどうなるのです」

「本来の主たる銀朱様が嫁入りに向かわれたばかりで、身辺慌ただしいので代行をたてたと伝えてもらえば折衝は起きないでしょう。代理が『紅葉山一ノ宮麓』であるなら『孝橋山』も不服ありますまい」

「いくら我らが『紅葉山』派だからと言って、なんでも『紅葉山』任せにするのはどうかと思うわ。派閥云々の前に、私たちは『大江山』です。天下最強の『大江山』が代行となったからと言って、外遊に物怖じしては恥ずかしい。どのように布陣が差し替わろうと『大江山』はかくあるべきと、無派閥のお兄様お姉様に示してやるのが道理でしょう」

 祥香の言い分は山の主としては相応しく正しいものである。

 茂野はその凛とした発言に、心中は深く感じ入るものがあったが、それでも銀朱から祥香の安全を託されている。

 祥香は身も心もひとつの山を預かるに劣る稲荷神ではないが、それでも圧倒的に足りない経験がある。

 十年、百年、千年の差がどれだけの影響を及ぼすかを、理解できていない。

「この事はお姉様の指示ではないのでしょう?」

「銀朱様は葵山におられます。外界の些細な政の行き違いなどは『葵山』が耳に入れないことでしょう」

「ということはお姉様は私が『孝橋山』へ行幸するという前提で、私を代理に置かれたのだから、私はその期待に応えなければならないということです。代理を立てるなど、とんでもありません!」

「ですが御身に何かあれば」

「茂野が言いたい事も分からなくはない。お前の口から兄様にお断りはできないでしょう。私が直接言ってやります。『大江山』を『紅葉山』の山の裾かのような扱いは止めてもらいます。いかに『大紅葉山』を大父と呼ぶ立場であったとしても、この大江山は、『大江山』のものです」

 さっと裾を返し祥香は滑るようにして本殿を出て行く。

 茂野が慌てて側小姓を付けさせるが、さっと舞い上がると小姓が追うのも振り返る様子なく紅葉山の方角へ姿は消えてしまった。

 この傍若無人ぶりは、紛うことなく『大江山』銀朱の属性である。

 どこかほほえましくも思えるのだが『紅葉山』の方々には説得が行き届かずに申し訳ないと頭を下げるほかないだろう。

 ──まぁなに、気にすることはない。

 そんな風に『紅葉山』は言うのだろうと思いつつも、茂野は大きくため息をした。

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