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豊山の侍従たち

 季節外れの桜が散っている。

 桜は『豊山』奥の院の一室に生けられている。

 季節外れの桜の趣向を贅沢三昧で楽しんでいるはずの山の主『豊山』正宗朱路(まさむねしゅろ)は、その桜の前で気怠そうに身を脇息に休め、視線定まらぬ様子で桜を見つめていた。

 贅沢に供物を口に運ぶわけでもなく、書物を読む訳でもなく、ここ数百年あまり、彼はこうしてこの一室に籠もった。

 散っていく桜の花を愛でる、それだけ の為に。

 この部屋へ入ると、他のことは一切手をつけない。

 睡眠や食事、その他多くの彼にとって必要な行いが為されない。

 その様を見て彼を想うものが、心配しないわけがない。

 薬師『豊山二ノ輪麓』久照が薬を煎じて飲ませたが、それを受け入れたのも最初の数十年で、ここのところ薬を口にすることもない。

 『豊山』に覚えの確かな兄妹達は、こぞって見舞いの品を置き、兄の気を惹こうとしてきた。見舞いの品に見向きをしない『豊山』が唯一反応するのが桜の花だと知るや、皆ここぞと、こうして己の山に咲く自慢の桜を持ってくる。

 遠く高地に咲くもの、狂い咲き、奇品まで。

 『豊山』が座敷に籠もったままになると、侍従達が断ろうとしても、彼らに押し切る力はなかった。

 何とも関わりたがらない主の心の内を、豊山の二柱の侍従たちは、理解しているつもりだった。

 『豊山』は寵姫の『葵山』清祥咲夜を失い、その分社であった当時の『呉山』、現『葵山』の時雨を手放した。

 そして念押しとばかりに『八重垣山』八雲の離反、命を狙われ『豊山三ノ輪麓』もその一件で消失した。

 失うものが多く──彼は平然さを装いながらも傷は深かった。

 これまでの限界が来ていたことに守夏が気づいたのはほぼ同時。

 気づいた時はもう遅かった。

 腹心である守夏が声をかけても、熱のある返答がなくなりひとり花を愛でる日々を送るようになってしまった。

「これが、正宗様の弱さなら……涙であるのなら、私はそれを受け入れて守らねばならない」

 百年長たる『豊山』の代行を勤め、役目以外の時間は奥の院の薄い障子の外、廊下で膝を揃えじっと部屋から出るのを待った。

 雨が降り注いできても、雪が頬を打っても、時間許す限りその場から動くことはなかった。

「私はここにおります。あなたの『豊山一ノ輪麓』はここにおります。決しておそばを離れはしません」

 しかしそれも百年を越え累乗していく訳にはいかない。

 『豊山』に必要なのは休息なのは間違いないが、田舎稲荷ならまだしも、本来彼は多忙である。

 補佐する侍従二柱が奔走しても、手に余るのだ。

 このままでは弟妹たちの不安を煽り、『豊山』派が縮小してしまう。

 どうにかして、彼に立ち直ってもらい『豊山』を再生しなければならない。

 侍従として守夏に架せられた使命は多かった。

「守夏、お前聞いているのですか」

 厳しい声に、守夏は表を上げた。

 冷えた廊下で守夏を見下ろす赤い目。

 本来このような通り廊下で会話をすることは許されない『豊山』分社『極楽山』瑠璃である。

「ですからお父様のこの気落ちは、時雨様が『豊山』派におられないからです。時雨様を取り戻すのです」

 空気をたっぷりと含んで膨らませたような金色の髪、きらびやかな着物にあどけなさの残る紅の頬。

 『豊山』の愛した『葵山』が亡き今、もっとも『豊山』派女稲荷で権威を持つ姫君である。

「『大豊山』の為にも、妾の為にも『豊山一ノ輪麓』として働きなさい」

「『極楽山』の仰る方法は『紅葉山』派を怒らせることになるでしょう」

「やられたことをやり返すだけではなくって? そもそも時雨様は『豊山』派です。あの田舎稲荷の『大江山』が容姿で、時雨様を一時的に惑わせているだけのことでしょう」

 瑠璃は手の中の扇を閉じたり開いたりしながら、視線を障子の奥へ投げた。

 今もこの障子の向こうに、ひとりで桜を愛でる『豊山』がいる。

 声をかけても返事はない。

 瑠璃は心を痛める父の姿を、もうこれ以上見ていたくはなかった。

「お前はお父様のもっとも近しい侍従でありながら、あのようなお姿を見て心傷まないの。先代『葵山』を偲び苦しむお父様に、自らを貶めてでも尽くそうとは思わぬのですか」

「今の『大豊山』はたしかに心身創痍でおられます。であれば明確な導べが見いだせるまで、このままにして差し上げるのが侍従の勤めです」

「お前は『豊山』派最強の侍従。その武勇を生かし時雨様を連れてくることくらい、簡単でしょう! それもできぬで最強を名乗るのであれば、誰でも名乗れようものです!」

 瑠璃は顔を真っ赤にして地団駄を踏んでみせるが、守夏は視線を障子の向こうに投げたまま瑠璃には投げてよこさない。

 もう話すことなどないのだが、瑠璃の侍従が彼女を落ち着かせる様子がないので、守夏は懐の刃に手を置いて瑠璃を睨み付けた。

 瞳の奥に燃える強い意志が、瑠璃へ叩きつけられた。

「ここは正宗様が唯一心休まれる場所。これ以上静寂を乱されるのであれば、『極楽山』もお墨付きのこの力を持って、御退場を願うことになります」

「わ、妾に刃を向けるというのですか。私は今や『豊山』派稲荷序列二位ですよ。お父様のお気に入りの妹だと知って、そのような事をすると! 正気ですか」

「私の主は──『大豊山』であり、『極楽山』ではない」

 守夏の極めつけの一言に、瑠璃は下唇を噛み戦慄くと、それから怒りをぎゅっと両手に押し込めてから息を吐いた。

「いいでしょう。お前の力は借りません。全く使えない侍従達ですこと。お父様が気を病む理由がここにも有ったということですね。あぁ嫌だわ。嫌」

 瑠璃が背を向けて廊下を渡っていく姿を、守夏は黙って見送ると入れ違いで大きな影がこちらへやってきた。

 『豊山二ノ輪麓』久照である。

 見事な体躯は守夏の肩幅を超え、身をかがめて欄間を潜り、もみあげから連なる髭を太い指で擦り笑う。着崩した着物の懐には、いつも書物が収められている。

「儂の見立てだが、守夏様はこの後千年は瑠璃姫に執拗な嫌がらせを受けることになろうな」

 抜きかけていた白刃を鞘に収めながら、守夏は深く息を吐いた。

 どうだっていいという示唆である。

「少し休まれよ。食事をとってはいかがかな」

 久照は守夏の隣、廊下に座すと、手にしていた二段の重箱を守夏に手渡した。

「どうせ久照も瑠璃姫を追い払ったのだろう」

「守夏様と違って、儂は当たり障りなく拒絶をしたぞ。『葵山』時雨様とは、縁もあるが話術で言いくるめて『豊山』派にお帰り頂くほど頭脳派ではないし、武芸に長けた侍従でもない。あくまで薬や術に熱心なだけの、阿呆であるのだから、その手のご命令はお許し願いたい──と」

「ただでさえ山がこの状態なのに、『極楽山』まで面倒を見る余裕はない。まことにやっかいな姫君だな」

「重箱は先ほど奥方にお会いして、渡すように頼まれた。美智花殿の為にもあまり無理はなさらない方がよろしいぞ」

 守夏は重箱を受け取るとその場で広げた。

 食事作法としてはなっていないが、この場を離れたくはなかった。

「『豊山三ノ輪麓』が空位の今、仕事が増えるのは当然のこと。美智花は茂野の妹。侍従の勤めというものは分かって居る」

「だがそれで『大豊山』だけでなく、今『豊山』を支える守夏様がお倒れになっても困る。そうなると儂が単身で山を仕切らねばならない。それは無理さなぁ、儂には統治能力はない」

「謙遜することはない」

 ぎっしりと手料理が詰め込まれた重箱を覗き、守夏はほのかに頬を緩めた。

 美智花は最近守夏にできることが少ないからと、料理の腕を磨くと言っていた。

 影ながら支えてくれる嫁の姿を思うと、心が安まる。

 美智花は守夏の半分も生きていない若さだったが、誰よりも守夏を信じてくれている。

「しかし、儂等の不甲斐なさとは、全く笑い草じゃなぁ。三朱『大豊山』の侍従でありながら、あの方の何もお救いできず、傷を負ったお心を正しく理解しておらなんだ」

「そうだな。それはまことに、言い逃れできぬ不覚だ」

「しかし分かるのよな、『大豊山』はこうも仰るはずだ。我らは我らの采配で補佐し、豊山の隆盛とひとの子を見守ればそれでよいと」

「その結果がこれだとしても、そう仰るだろうな」

二柱の間に沈黙が訪れる。

 視線は互いに重箱へ投げられたまま、静まり返っている。

「しかし、どうだ『大豊山』のお心を現実へ引き戻す策は、実を結びそうであるかな」

「あぁ、時間はかかったが……『孝橋(たかはし)山』での接触で、兆候を計ることができるはずだ」

 だし巻き卵を箸で掬い、守夏は『豊山』を救う策の報告をはじめた。

「『孝橋山』? あぁ明日の茶席…何が何でも行けと守夏様が根回ししておられたな。だがあの山に『豊山』の気を引く何が。時雨様でもおられるか?」

「いや『葵山』は明日、山を動かない。『大江山』が嫁入りするのだ」

 久照は髭を擦りながら思案して、それから膝を叩いた。

「なるほど、それで瑠璃姫の機嫌が悪いのか。瑠璃姫は相変わらず時雨様贔屓が捨てられぬわけだ」

「で、あろうな。所詮『大豊山』の御体を心配する気持ちなど、『大江山』の嫁入り道中を妨害しようとする企み以上にはないのだ」

 少しだけ形の崩れた握り飯をつまみ上げて、ゆっくりと咀嚼を続ける。

 守夏は『極楽山』の悋気には興味がない。

 久照は彼が飲み込むのを待って問いかけた。

「先だって『極楽山』が単独で『紅葉山』処断に動いた折、守夏様は『大江山』に近づいておったようだが、それに関係があるか?」

「『極楽山』の暴挙を止め『紅葉山』の状況把握に向かったのではない。むしろ私の目的は、『大江山』にあったのだ」

「『大江山』か。あの妹はまことに面白いおなごではあるが『大豊山』を現実に引き戻す力があるか、そもそも協力してくれるかは……」

 久照は鮮やかな黄色のきんとんに載った南天の葉をちょいと摘むと、口にくわえてため息混じりに、くるりくるりと回転させてみせる。

 侍従達のどこか寂しげな表情は、やり場のない主の心を映しているようにも見えた。

 『豊山』の減退は即侍従たちにも影響を及ぼす。

「『大江山』分社を見てきた──『大江山』銀朱が『葵山』時雨と勧請の儀式の末、具現化した二柱だ」

「おお、噂になっておったな。たしか……『紅葉山』の侍従となったらしいな。『紅葉山一ノ宮麓』……守夏様の後任か、ん、ちと話に詰まるが」

「遠慮は無用だ。私は『豊山一ノ輪麓』であって、もうあの山の、一ノ侍従ではないのだから」

 触れてはならぬ傷かと久照が配慮をするが、守夏はそれを明確に切り分けた。

 守夏の視線に添うように、久照も障子の奥にうずくまる主の姿を浮かべた。

 早く誇り高い主に戻ってきてもらいたい。

 二柱の願いは一緒だった。

「『大江山』にはまだもう片方の分社が残って居る。『大江山』分社祥香。その分社は、恐らく『大江山』嫁入りに際して代行を行うはずだ」

「ふむ。『大江山』分社祥香か。それが──鍵か」

「そうだ。『葵山』によく似ている。もっと言えば先代『葵山』に面差しがとても似ている。失った影を追うくらいならば、正宗様には現実にあるものを追って頂く方がずっといい」

「なるほどな。何もできぬならば、何でもやってしまおうではないか。『大豊山』が我らの行いを叱責してくださるとしたら、それこそ望むべき事態ではないか?」

 いつものように叱咤し、祀り事をする主が戻ってきてくれるならば、喜んでそれを受けよう。

 守夏と久照は互いに頷くと、続き間の襖へ居直った。

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