銀朱の嫁入り
翌朝、『大江山』銀朱は『葵山』へ嫁入りした。
いつも以上に清められた本殿前の玉砂利に、白無垢姿で立つ姿の美しいこと。
朝日の眩しさも劣るほどに、清々しく透明感に溢れていた。
銀朱を迎えにやってきたのは『葵山』侍従村上で、こちらも珍しく余計なことを言わずに銀朱の手を引いていた。
茂野は黙って嫁入りする銀朱を見守り、その横には『紅葉山一ノ宮麓』朱善の姿もあった。
姉の最初の嫁入りで、縁深き『葵山』へ行くのだからと『紅葉山』の兄が見送りを命じたらしい。
山ノ狐も揃って見送りに出ていて、出不精の八雲や敷島の姿もあった。
嫁入りの祝いで『葵山』から配られる二色饅頭をたかりに来たに違いない。
朝早いために八雲はとんでもなく眠そうな気配を放っていたが、あくび一つ打たずに銀朱を見つめていた。
一筋の雲を作りながら、姉が下界に雨を降らせ『葵山』へと嫁入りする。
見送りを終えて視線を茂野へやると、茂野は朱善となにやら話をしていた。
同じ侍従職同士で話すことも多いのだろう。
祥香は紅白饅頭に大喜びの敷島の横で、空の向こうを眺めている山ノ狐へ近づいた。
この八雲と敷島という不可思議な二柱の山ノ狐は、祥香が『大江山』分社としてこの世に具現化する少し前にここ大江山の二ノ宮にある宝物殿──とは名ばかりの書物庫に住んでいる。
茂野にはあまり近づくなと幼い頃躾けられていたが、兄朱善はよく敷島と釣りをしたし、祥香も八雲とはよく顔を合わせた。白銀の髪に柳のように涼やかな目元。青い空の色をした目は知的で皮肉めいた色を宿すが、悪いものではない。
ただの山ノ狐でないのは、物腰からも分かっていた。
稲荷神の嗜みである白狐演舞が舞える。
そしてこの山で最も高貴で力ある『大江山』銀朱に対して、名を呼び捨てにして堂々と本殿まで上がってくる所作や、形骸的ではあるが自らを八雲の侍従と名乗る敷島がいることから、かつて稲荷神であったことは容易に推測できた。
調べるということを覚えて、祥香は八雲のことを調査した。
なぜそこまで八雲を知ろうとしたかと考えれば、八雲を特別に気にしていたからだ。
もし八雲が許される立場であるのならば自分が山を預かった時に侍従として側に居て欲しかった。
八雲が関わった『五狐奉行』の評定調書を紐解いてそこに記されていたのは、八雲は稲荷の世で三朱たる長兄殺しを計画した逆賊であり、生きることは許されても『大江山』銀朱の監督下においてのみ、永久に官席、位を受けることが叶わないという、祥香の夢を大破する記述だけだった。
八雲を侍従にはできない。
初恋というものが、ひとの子にはあるのを知っていたが、当てはめるとするならそれだった。
「八雲、お姉様不在の間、共に山の守りを頼みますね」
「どんな下男であっても、衣食住の礼はするものだ。まぁ鬼の類は敷島が菓子代わりに食べ尽くすだろうし、私は堂々と本殿で茶でも啜っていよう」
「仕事……なさいね?」
「分社身分に言われる筋はないぞ」
「咎人身分が偉そうに言うことでもないわよね」
祥香がすぐ切り返すと、八雲は肩を竦めてみせた。
「念願の『大江山』乗っ取りが合法的に可能になったというのに全くやる気が起きん」
「そんなやる気はいらないわよ八雲」
八雲は銀朱が帰ってくるまで、文句を言いながらも山を守ってくれるに違いない。
祥香の初恋が、静かに幕を降ろしたことなど、八雲は知らないだろう。
こうして普通に会話をするだけでも、嬉しいと思い同時に寂しいと思う気持ちなど、知らないだろう。
つくづく、報われない事ばかり。
寂しさは焦りに火をつける。
兄が『紅葉山一ノ宮麓』になってから、表には出さないように努めていたが、焦りは確実に祥香を蝕んできた。銀朱の言葉で励まされて前向きの姿勢をとることが精一杯だった。
兄の朱善と共に過ごした日々は、楽しかった。
楽しかったが同時に好敵手でもあったのだ。
手習い、行儀作法、教養など茂野に躾けられてきた中でみると、兄は劣等生と言っていい。
いつでも祥香の方が、茂野の厳しい躾に文句を言いながらもきちんと応えて成果を出してきた。
優等生であったのは祥香の方なのに、朱善は先に山を預かり、役目を得て今では立派な『紅葉山一ノ宮麓』だ。
茂野と対等に政の話をし、意見を言い山を守り主を守っている。
──あぁ、だめだめ、私は今から代行でも『大江山』なのだから、今の私は、何を焦る必要もないんだから!
そっと髪に挿したりんご飴のような簪に触れてから、顔を上げた。