師弟
「がははは! ガツーンとやってやりましたわ!
磯野さん、準決勝、俺とですよ!」
俺は体を起こし、苦笑いする。
「もう終わったのか。観にいこうと思ってたのに。
しかし、お前も傷だらけだな。また、派手に打ち合ったんだろ?」
伊藤は俺の脇腹を見て、目を細めた。
「ありゃ。それ、いってます?」
「ああ。たぶんヒビ入ってるよ。動くと痛む。左手も痛めてるし、お前とやるのは無理だよ」
「そうですかー。残念だなあ。まあ、反対の山も木村が勝ち上がってくるでしょうから、
光臨会としては、いい結果ですよね」
「そうそう。また、入門者が殺到しそうだよな。
そろそろ場所を借りることも考えんといかん」
「また、前みたいに師範が、入会金増額キャンペーンやるんじゃないすか?」
「あははは。キャンペーンで増額って変だよなあ」
その時、ぐうっと伊藤とやりたい気持ちが湧き上がってきた。
これは、奈津美の意思か。奈津美は伊藤に恩を感じてるからな。
まったく、こんな体の状態の時に、やりたがらんでも、よかろうに。
「伊藤あのさ、お願いがあんだけど」
「なんすか?」
「やっぱ、やってくれないか?」
「がははは! その言葉、待ってましたよ!」
「いや、俺じゃなく、奈津美とさ」
「へ?」
「なんかさ、奈津美がお前とやりたがってんだよ。
こんな状態で、やり合うのは、ちょっとどうかと思うんだが」
「うーん。俺は構いませんけど、磯野さんはそれでいいんですか?」
「ボルガノフに勝てたのは、奈津美が頑張ってくれたおかげでもあるし、
お前さえ良ければ、相手をしてやってほしい」
「わかりました。ただし、俺、手加減しないですよ。
優勝したいし」
「うん。わかってる。頼むな」
「わかりました。では、後程」
伊藤が引き上げるのと入れ替わりで、小森が医者を連れてきた。
「奈津美さん、連れてきましたよ」
「あんがとな。メガネ君、伊藤とやることになったから」
「え? どうしてまた」
「奈津美がやりたがっててな。悪いが、もう一戦付き合ってくれ」
「それはもう」
それから、治療を受け、俺は少しの間、眠りについた。
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時間になり、俺は体を動かす。
痛み止めのおかげで、さっきよりはマシだが、やはり痛みはある。
左手は攻撃には使えないだろう。
これで、伊藤とやるのか。参ったな。
「メガネ君さあ、なんかいい策ないか?」
「うーん。相手は伊藤さんですからね。奈津美さんの戦いは知り尽くしている。
磯野正とは付き合いが長く、性格まで熟知しているし、大野奈津美を指導したのは彼だ。
なんとも策が思い浮かびません」
「だよなあ。俺もそう思う。まあ、やるだけやるかな」
リングに入ると、まだ伊藤は入場していなかった。
体を軽く動かしながら待っていると、伊藤が入場してきた。
花道を歩きながら、拳を突き上げ、観客を鼓舞している。
リングに上がってきて、にやっと笑う。
セコンドの山下師範が、苦笑いしている。
リング中央に、小森と共に向かうと、山下師範が困った顔をされた。
「痛めているくせに無理をしおって。危なくなったら、小森君、躊躇せずにタオルを投げなさい」
「山下師範、どうしても奈津美が伊藤とやりたいと言ってましてね。
俺は、止めたほうがいいとおもうんですけど」
伊藤が首を回しながら、豪快に笑う。
「がははは! 俺の大胸筋に触りたいんでしょう。
女はみんな筋肉好きですから」
すっと男の感覚が抜けていく。私は伊藤さんに微笑む。
「伊藤さん、私、ゴリマッチョは好きじゃありません」
「ほんとかあ? いつも俺の筋肉を羨望の眼差しで見てるだろうが」
「伊藤さんは好きです」
「え? マジか? まいったなあ。俺、結婚してんのに」
「そういう意味じゃありません。磯野正が、山下師範を慕っているように、
伊藤さんが磯野正を慕っているように、私も伊藤さんが好きなんです」
「がははは。そりゃ光栄だ」
「伊藤さん、真面目に聞いてください。私、伊藤さんに恩返しがしたいんです。
空手家にとっての恩返しとは、師匠を超えること。
私、伊藤さんを倒します」
「こりゃ俺も気合い入れんといかんな。がははは」
「伊藤さん、本気でお願いします。いつもの組手みたいじゃなく」
「ああん? 俺りゃいつだって、本気だぞ?」
「嘘ばっかり。伊藤さん、磯野正と合わさっているときと、私だけの時と全然違うじゃないですか。
私だけの時は、危険な技なんて仕掛けてこない」
「……。そりゃ真剣勝負ってわけじゃねえんだから、怪我しないようには気をつけるさ」
「本当の強さは、真剣勝負じゃないとわからない。本気でやってください。お願いします」
「いいんだな? 手加減なしで」
「はい。私もあらゆる手を使います」
自コーナーへと戻り、伸びをする。
小森君が、困った顔で私を見る。
「奈津美さん、何も伊藤さんを焚き付けなくても」
「私、本気で相手してほしいの。そして、勝ちたいの」
「わかりました。わかってると思いますが、相手はあの伊藤さんです。
生半可な攻撃ではやられますよ。スピードで崩して、跳び膝です。
一発入れば、勝機がある」
「だよね。私の跳び膝ならいける」
ゴングが鳴らされ、私は伊藤さんに向かって走る。




