2回戦
セコンドに小森も入ってもらうことになった。
時間になり、廊下に出ると、小森はオレンジ色のTシャツを着て、
俯き加減に待っていた。
「よし、行こうか」
「奈津美さん、さっきの作戦ですが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫って、思ったから提案してくれたんじゃないのか?」
「いや、それはまあ、そうなんですけど、危険かなあとか
思っちゃったりなんかして」
「いいよいいよ。負ける時は何したって負けるもんさ」
「ううっ。僕のせいで負けたら、なんとお詫びしていいか……」
「メガネ君のおかげで、勝つ場合もあるだろ?
というか、その確率の方が高い。違う?」
「それはそうかもしれませんが……」
「俺みたいなのが、ここにいるってだけで奇跡なんだ。
負けたからって恥でもなんでもない。気楽にいこう。
もっとも、負ける気はさらさらないけどね」
「ええ、ええ。そうですとも。すみません。
僕としたことが、弱気になっていました。
さあ、まいりましょう!」
小森が背中を向けて歩き出す。
Tシャツには、でかでかと最強! 桃尻娘と書いてある。
また、変なのつくりやがって。
「また、馬鹿なことして。
メガネ君、大学で友達できたか?
周りから浮いてないか?」
「失敬な! 関東一の軍略家と呼ばれている私に、
何たる言い草ですか!」
「ははは。ごめんごめん。頼りにしてるよ。
関東一の策なら、失敗するわけない」
花道に出ると、大音量の入場曲よりも大きな歓声が沸き上がった。
さっきより、大分やばい相手だというのに、落ち着いている。
心のざわつきが無い。
大野奈津美でなく、かといって磯野正でもない。
男と女が混ざり合った感覚になっている。ベストな状態じゃないか。
リングに駆け上がり、リング上でバック宙返りをすると、
拍手が起こった。
俺はコーナーポストにもたれ掛かりながら、右手を軽くあげ、
歓声に応える。
小森が、耳打ちしてくる。
「奈津美さん、一度掴まれた方がいいとは思いますが、浅くにしましょう」
「浅くじゃ、必然性が弱いんじゃなかった?」
「それはそうなんですけど、実物を見てしまうと……」
リングの対角線上に立っているアーセンは、190cm、90kgという見事な体格で、
メキシカン特有の褐色でしなやかな体を、軽く動かしている。
「手足が長いね。パワーもバネもありそうだ。この2年で負けたのは、ボルガノフだけってのも頷ける」
「奈津美さーん」
「情けない声ださないの。私を見て」
小森が不安そうな顔で、俺を見る。
「どんな感じ?」
「どんなって、なんというか両性を感じるというか」
「私は、どんな時が一番強いって?」
小森はハッとした顔になり、笑顔を見せた。
「奈津美さん、あなたは男と女が混じりあった状態が一番強い。
猛々しさの中にも、可憐な動きをするあなたに敵はいません!」
「でしょ? なんでかなあ。かなりやばい相手ってのはわかってるのに、
全然負ける気がしない」
レフリーに呼ばれ、リング中央へと進む。アーセンがにやにやと笑いながら、
自分の首を右手で締め、舌をだらんと出す。
俺を締め落とすと言いたいのだろう。
「あははは。おもしろーい」
アーセンは、鋭い顔つきになると、俺の前に3本指を立てた。
「three minutes」
俺は驚いた顔で、アーセンに尋ねる。
「really?」
「hahaha.yes」
にやりと笑うアーセンに対して、俺は右手の一刺し指だけ立て、高々とあげた。
「one minutes!」
アーセンの顔に一瞬怒りが浮かぶ。
よし。種は撒いた。後は、小森の作戦通りに動けるかどうかだ。
自コーナーに戻り、ゴングを待つ。
「奈津美さん、予想通りでしたね」
「うん。さすがメガネ君だよ。おかげでアーセンの揺さぶりを余裕で返せた」
「ご武運を!」
ゴングが鳴らされ、リング中央へと進む。
アーセンは、撃砕を警戒してか、すぐに左右に動けるように腰を落として警戒していたが、
俺が中央に進むのを見ると、軽いステップで近づいてきた。
アーセンが腰を落とし、両手を広げ、タックルにいくぞと目で脅してくる。
俺は両手を額の高さにあげ、手の平をアーセンに向けてひらひらと揺らす。
左の踵を上げようとしたとき、アーセンがタックルにきた。
縮地を使って、左に避け、振り向いたアーセンの脇腹に左ミドルを叩きこむ。
確かな手ごたえがあったというのに、アーセンは俺の左足をクラッチして、
後に倒れこむ。
俺が中腰で何とかこらえていると、右足も掴まれて、倒された。
立ち上がろうと上半身を起こすと、アーセンが上にのしかかって、体重をかけてくる。
横に体を動かそうとするより早く、アーセンの手が首に絡みついてきて、抱きかかえられたまま、
倒される。
押そうともがいてもびくともしない。
「hahahaha.That's all」
まずい。まずい態勢だ。ちょっと誘いに乗りすぎたかもしれん。
しかし、この状態から抜け出してこそ、策が完遂する。
アーセンが、右手を押さえにきて、俺が手を組もうと左肩を浮かせた瞬間に、
体を掬われて、体を反転させられた。
アーセンの左手がのど元に滑り込んできて、ぐいっと締め上げられる。
まじか? この体でなんて素早い。いかん、落とされる。
一瞬、意識が跳びそうになり、だめだと思ったとき、アーセンの力が緩み、
俺から離れた。
せき込みながら、振り返ると、アーセンが笑いながら、電光掲示板の時計を親指でくいっとさす。
まだ開始して、30秒。時間いっぱいまで仕留めないということか。
助かった。小森の策を信じたかいがあった。




