弟
大学の空手部の練習が終わり、木瀬、紀藤と帰っていると、
校門前で、声をかけられた。
「こんにちは! 兄ちゃん、この人が大野さん?」
木瀬が、ちょっと驚いた顔で、返答する。
「昇、お前、一人で来たのか? 母さんは?」
「うん。お母さん仕事だもん」
「うんって、お前なあ」
木瀬の弟さんか。
昇と呼ばれた少年は、左手を抱え込むようにしていて、
首がちょっと曲がっている。
足は内股で、ふらふらしていてバランスが悪い。
少し、滑舌も悪い。脳性麻痺なのだろう。
「木瀬くん。紹介してよ。弟さん?」
「木瀬くん?」
「いいから、ほら」
「ああ、弟の昇だ。今、中2」
「はじめまして。大野奈津美です。
昇くん、よろしくね」
昇君は、少し照れたような顔で、笑顔を作る。
「昇君、久しぶり。背、伸びたねえ」
「紀藤さん、マラソン辞めて、空手部に入ったんだってね。
もったいないなあ」
紀藤は、昇君と顔見知りのようで、会話が弾んでいる。
二人を眺めていると、木瀬がぺこんと頭をさげてきた。
「昇、お前のファンなんだ。一緒に写真とかダメか?」
「構わんよ。何、遠慮してんだ? 同じ空手部だろ?」
「ほんとか? 助かるぜ。昇! 一緒に写真撮ってくれるってよ!」
「え?! ほんとに?!」
俺は軽く頷いて、昇君の横に立った。
木瀬は嬉しそうに、スマホを取り出す。
「普通でいいのか? 特別にサービスしてやるぞ。
こんなとか?」
俺がスカートのすそを捲って、足のつけねまで見せると、
昇君は真っ赤な顔になって、そっぽを向いた。
紀藤が興奮気味に注意してくる。
「ちょちょちょちょちょ、見えます! というか、見えてます!
そんなことしちゃダメです!」
「なんだよ、うっせえなあ。サービスしてやってんのに」
「バッカお前、子供の前で何やってんだ! 隠せ! 早く!」
「わーったよ。俺のパンチラなんて、高値で取引されてんのに、
馬鹿な奴らだ」
「まったく、なんつう女だ。
普通じゃなって、わかっちゃいるが、少しは恥じらいってもんを覚えろよ」
「はっ。さっきまでゲロ吐いて、半べそだったくせして、
偉そうにまあ」
俺が木瀬を揶揄うと、昇君が俺の袖をグイッと引いた。
「兄ちゃんが、泣いたりするもんか!
嘘つくな!」
あら。兄貴にえらく懐いてんだな。
「ごめんね。昇君。うそうそ。
お姉さん、冗談好きなのよ」
「嘘?」
「うん。ごめんね。格闘技って、
騙し合いなんだ。
だから、普段から相手欺く練習をしてるってわけ。
お兄さん、甲子園でたんでしょ?
そんなすごい人が、練習で戻したりしないって」
「びっくりしちゃったよ。
大野さん知ってる? 兄ちゃんってね、
いまプロで活躍してる寺本を、三打席連続三振にしたんだ」
「寺本って、プロ入りすぐに1軍で、ホームラン30本打った、
ライオンズの寺本?」
「そうそう! すごいだろ? 甲子園のホームラン記録もってる
寺本に、完全に勝ったんだから!
兄ちゃんはね、150kmのストレートと、フォークとカーブがすごいんだ。
フォークなんて、140kmでるんだよ? それに、タイミングをずらす
スローカーブで、前は、毎日、家にスカウトの人が来てたんだから」
「へー。ほんとにすごかったんだねえ」
木瀬の方を見ると、木瀬は打撃音がする方が眺めていた。
こいつ、野球すごかったんだな。
できなくなってかわいそうに。強くなるように、もっとしごいてやるか。
「さあ、そろそろ帰るぞ。昇おぶされ」
木瀬が、昇君をおんぶして、歩き出す。
「兄ちゃん、今日はカレーだって、母さんが言ってた」
「ふーん。そうか」
昇君は、俺の方を見て、嬉しそうな顔をする。
「母さんのカレー最高なんだよ。そうだ!
大野さんも食べにおいでよ!」
木瀬が、振り返って、昇君を止めようとしたので、
俺は小さく頷いた。
「そうね。じゃあ、お邪魔しようかな?」
「やったー!」
木瀬が、俺に頭を下げた。
「あと、1週間で試合っていうこの大事な時期に、ありがとう」
「礼はいいよ。いつも言ってるだろ?
日々、是、鍛錬って。
試合前1週間に詰め込んだ練習したって、強くなるわけじゃない。
それに、俺、カレー大好きだから」
「いや、普通のカレーなんだよ」
「いいって、いいって。昇君とお話ししたいしさ」
木瀬の家は、南西大学からバスで40分程離れた南区の日佐というところだった。
木瀬の家の近くのバス停で降り、コンビニの前を通りかかると、
一見して、不良とわかる5人の男が、たむろしていて、
木瀬に気付くと、そのうちのひとりが近寄ってきた。




