鍛錬
5月に入り、光臨会に行くと、事務所で山下師範が待っていた。
「押忍。どうしたんですか? 空手着で事務所にいるなんて」
山下師範は、俺を見るなり、頭を下げられた。
「ちょっと、山下師範どうしたんですか? やめてください」
「ありがとう。美香代の就職口を世話してくれて。
美香代も感謝しとったよ。正社員の話なんて、なかなか無い」
「お役に立てて、光栄です」
俺は、吉田との賭けで、美香代さんを雇うように言っていたのだ。
美香代さんは、事務で採用されたらしい。
最初は、期待されていなかったようだが、元々はSEだった美香代さんは、
早速、処理を自動化とかしているみたいで、重宝されているようだ。
山下師範が、悩んでいる顔はみたくないからな。よかったよかった。
「それでな。礼と言っては何だが、お前たち三人を鍛えなおしてやろうと思ってな。
試合まで2月ないぞ。わかってるな?」
「押忍! ありがとうございます!」
「では、着替えてきなさい」
「押忍!」
2階に駆け上がり、空手着に着替えて、第一道場に行くと、すでに木村と伊藤がいて、
柔軟体操を始めていた。
俺を見て、二人は動きを止め、あいさつしてきた。
『押忍』
「おう。今日は、山下師範直々に、見ていただけるってよ」
伊藤が眉を潜める。
「俺、一般の部が夜にあるんすけどね。まいったなあ。
動けっかなあ」
「お前な、喜べないの? なかなかないぞ、こんなことは」
木村が首を回しながら、口を開く。
「伊藤は稽古嫌いですからね。三人一緒に、山下師範から指導されるのって、
久しぶりだなあ。最近は、教えるのがメインですもんね。
磯野さんを除いて」
「馬鹿、お前、俺は大学で教えてるつうの」
伊藤が笑いながら、俺の肩をバシバシと叩く。
「光臨会差し置いて、磯野さんもよくやりますよね」
「痛い! お前、ちっとは加減しろ!
力強いんだからさー」
伊藤たちとジャレテいると、山下師範が見えられた。
『押忍!』
「では、始めよう。お前たちに今更言う必要もないかもしれんが、
3人も出させてもらうんだ。お前たちの強さ、存分にみせつけてきなさい」
「押忍。山下師範、それで、もし私たちが、当たったらどうしましょう?
今の内に、じゃんけんで決めときますか?」
「ん? 好きにしたらいいさ」
「いや、それだとつぶし合いになるじゃないですか。
私たちが当たれば、勝ったほうも無傷ってわけにはいかないし」
「勝ちを譲りたければ、譲ってもいいし、真剣にやりあってもいい。
お前たちの自主性に任せるよ」
「えー? そんなあ。伊藤、木村、お前たちはどう思ってんだよ?」
木村はいつもの飄々とした態度で、さも当然と答える。
「つぶし合いでいいんじゃないですか?
観客がいるほうが盛り上げるし」
「お前なあ! 一回戦から当たる可能性だってあるんだぞ!」
「木村の言う通りっすよ。その時のノリでいきましょうや。ノリで」
「んー。適当だなあ。俺らが潰しあって、弱い奴に負けたら、
目も当てられんんぞ」
少し不安を覚えつつも、それから3時間みっちりと汗を流した。
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「よし。ここまでにしておこう」
『押忍!』
返事をして、すぐに3人ともその場にへたり込む。
体中に乳酸が溜まっていて、腕も足もパンパンだ。
伊藤が汗を拭いながら、苦笑する。
「きちーっ。やっぱ、山下師範はSですよ。S。ガハハハ!」
「てめー、コラ! 山下師範に向かって、Sたあ、なんだ?」
「んなこといって、磯野さんもそう思ってるでしょ?
組手の後半に、もう止めてくれって山下師範の方ちらりと
見てたでしょうが?」
「いや、まあ、それはさあ」
木村がペットボトルのドリンクを飲み干し、笑顔を作る。
「でも、なんか懐かしいですね。4人だけでこうして、
空手に興じるのなんて。いつ以来だろう?」
山下師範も胡坐をかいて、俺たちは輪になった。
「前は、いつもこうして、四人で稽古していたな。
お前たちときたら、小学生の時から一般の部に混ざっていたからなあ」
「伊藤なんて、止めろっていうのに、黒帯の、えっと何だかったかな。
名前思い出せないな。あのローキックが強かった人。
あの人に挑んでましたからね。伊藤が初めてかったのは、
中学2年ぐらいだっけ? こいつ、叫びながら表にかけていきましたから」
「ガハハハ! そういう磯野さんだって、道場破りが来た時に、
肘外されたのに、倒したでしょう? あれ、中一でしたよね?
この人、何て人だって思いましたよ。
あと、木村は確か、寒稽古の時に、ビローンって鼻水たらしてましたわ」
「そういうお前は、しゃんべん漏らしてたじゃないか?
お前よりましだよ」
「古いことを覚えてやんなあ。この馬鹿は。ガハハハ!」
懐かしい。時は立っても、俺たちの絆は変わらない。
その間に、何人の兄弟子、弟弟子が辞めていっただろう。
いつの間にか、俺が一番の古株になってしまった。
談笑していると、ふと山下師範が口を開いた。
「光臨会がここまで大きくなったのは、お前たちのおかげだ。
本当にありがとう。本来なら、神明館を肩を並べる規模にして、
お前たちそれぞれに、継いでもらいたいのだが、
私の力不足で、それはできそうにない。申し訳ない」
「ちょっと、山下師範、止めてくださいよ。俺たちは、三人とも
山下師範が好きなんです。それに、山下師範に空手を叩き込まれたおかげで、
俺たちは、金も稼いだし、名前も売れました。それで十分です」
「そのことなんだが、今度の大会は、木村の名前をより売りたいと思っている。
木村をいい山に入れてくれと、頼んでいる」
木村がきょとんとした顔で、自分を指差す。
「俺ですか? 磯野さんの方がよくないですか? 注目されているし」
「いや、前に、お前が一時期離れたろう。その時に、言われた言葉を聞いて、
確かにそうかと思った部分があったんだ。
だから、お前をより世間に注目させたい。お前は確かに、磯野や伊藤に比べて、
体は小さい。だが、ウエイトの差などお前には関係ない。
光臨会に木村ありと、世間に示したいのだ。あ、磯野は今や女性だったな」
「うーん。俺、あんまそういうのは興味ないんですが。
でも、山下師範にそこまで言われたら、燃えないわけにはいきませんね。
二人には悪いけど、優勝はもらいます」
伊藤が木村の肩をバシンと叩いた。
「いい山に入れるってだけだろ? いずれ俺にあたったら、
お前は終わり。それまでせいぜい、頑張れよ。ガハハハ!」
「お前、俺の踵落としに、手も足も出なかったの忘れたのか?」
「ありゃー、わざとだ。わざと。能ある鷹は爪を隠すってな」
「ふふふ。まったく、お前たちときたら。頼もしい限りだ。
女性空手家として、名前を売っている大野に、
日本重量級最強の呼び声が高い、伊藤。
それに、多彩な技を持つ木村が加われば、
光臨会の三羽ガラスとして、恐れられることになるだろう。
それとな、自分で流派を立ち上げたいとなったら、
遠慮なくいってくれ。私は、快く送り出すし、協力は惜しまん」
どこか寂しそうにそういう山下師範に俺は、反論する。
「山下師範、他の2人はわかりませんが、
少なくとも俺は、光臨会を出るなんてこと考えてません。
それに、俺は人の上に立てるような立派な人間じゃないです。
光臨会は、二人に譲ります。
あ、でも、譲れないこともあります。生き返って、奈津美と結びついたこの命を
無駄にはしません。光臨会最強、いや、人類最強を目指します。
今度の大会で、優勝は別にいりません。でも、一番強い奴にあたりたい。
そして、そいつに勝ちたい。俺の目下の目標は、3年連続優勝してるボルガノフ。
あいつに勝つことだけです」
木村がお手上げのポーズをとる。
「それって、優勝するより美味しいじゃないですか。
あいつ、70億分の1の男とか言われてるんですよ?」
「ふん。いい山ってことは、優勝候補とはお前、やれないよ。
美味しい奴らは、俺と伊藤に任せときな」
それから休憩して、夜の部にも顔をだし、徹底的に体を苛めぬいた。




