部活
翌日から、俺は夕方までバイトをして、
夕方から空手部に出るという生活を繰り返した。
しかし、バイト中、俺はクジを引かせる役目で、車のセールスなどできない。
午前中と17時から閉店までが、セールスを行える時間だが、
夕方からは空手部に顔をださないといけないし、ラインナップから覚えなければならない俺は、
営業活動すらできずにいた。
対して、吉田は俺目当てにきた客でも売れそうな奴とみると、
他の者が接客中でも奪い、次々と成約させていく。
このままでは、勝ち目がない。しかし、打開策はいまだ掴めずにいた。
17時になり、更衣室で着替えていると、典子が心配そうに話しかけてきた。
「奈津美、勝ち目ないよ。今の内に、謝っとこうよ」
「やだよ。いったん始めた勝負だ」
「あいつ、わざわざ一眼レフ買ってきたって、自慢してたよ?
ここの人全員に、あんたのストリップ拝ましてやるって言ってた。
お父さんに頼んで、止めさせてもらおうよ?」
「いや、こんなことで、手は借りれないよ」
その時、ハタと気付いた。何を馬鹿正直に店内での勝負にこだわっていたのか。
営業は、何も会社内だけが活動ではない。
相手の趣味や興味のあることを調べ、親近感を抱いてもらうことが大事だ。
信用されて初めて、購入を検討してもらえる。
男だった時、俺はビルやプラントといった大型施設の契約を成立させていた。
一件、一件の額がでかく、一つの案件に少なくとも半年、長ければ1年以上も時間がかかる。
だから、キーパーソンを徹底的に調べ、様々な手でアプローチしていた。
今の俺には、多くの人脈がある。
それを利用せずして、なんとする。
「典子、今日の夜、お父さん家にいる?」
「いると思うよ。奈津美から頼みがあるって言っとくよ。
お父さん、あれで曲がったこと嫌いだし、あんたのこと気に入ってるから、
絶対、話し潰してくれるって。明日にでも脅してくれるよ」
「ありがと。話潰してほしいわけじゃないんだけどね。
ちょっと、お願いするだけだよ」
店からでて、大学へと向かいながら、俺は伊藤に電話した。
「おう。俺。今、いいか?」
『押忍。何すか?』
「あのさ、セレナ買いたいって言って奴いたじゃん。
中村っていったっけ?」
『押忍。中村が何か?』
「あいつに俺から買えって言っといて。
それから、車検が近いとか、買い替え考えてるとかいうやつ、
他にいたら頼む」
『がははは。磯野さん、大学辞めて、就職っすか?』
「ちょっとバイト先のムカつく奴と、勝負することになってな。
売らないといけないんだよ」
『わかりました。木村にも言って、探しときますよ。
山下師範には、黙っときます』
「いや、山下師範にもちょこっと伝えててくれ。後で、俺から説明するから」
『わかりました』
「4月末までの勝負なんだ。頼むな。俺、来週から授業始まるし、ちょっと焦ってんだわ」
伊藤との電話を切り、俺は吉野さんに電話する。
「こんばんは。大野です」
『おー。どうしたね?』
「実はいま、唐町の日産でバイトしてるんですが、
お知り合いで、車購入を考えている方がいたら、
紹介してもらえないでしょうか?」
『車ね。わかった、あたってみるよ』
「お願いします」
よし。これで、典子のところにいって、親父さんから声かけてもらえば、
何台かは売れるだろう。
残りは、俺が10台ぐらい買えば、何とかなるだろ。
電話を切り、道場に向かうと、中から言い争う声が聞こえてきた。
懲りない連中だ。またやられにきたのか。
道場に入ると、部を追い出した奴らに混じって、
中年の男性の姿があった。
龍泉会の真鍋さんだ。
しまった。そういえば、電話をかけるのをすっかり忘れていた。
首藤が、真鍋さんに俺が来たと告げる。
真鍋さんが、鋭い眼光で俺を睨む。
「これが光臨会のやり方か?
こんなことを山下総帥は許しているのか?」
「申し訳ありません。一度電話したのですが、繋がらなくて。
ちゃんとお話ししなければと思っていたのですが、
忙しさにかまけて、失念しておりました」
「亀井館長から、電話があったよ。
南西大学は、光臨会に譲れとね。
君の強さは、噂に聞いている。
女でありながら、山下総帥の後継者に指名されたとか。
だが、強ければ何をしてもいいという君の態度は、
気に入らない。私は、ここが光臨会に鞍替えすることは、
断じて認めない」
困ったな。話し合える雰囲気じゃないぞ。
「あ、いえ、鞍替えするとか、そういうことじゃないんです。
一部の人たちが、空手道に背く行為をしていたので、
お灸を据えました。
そしたら、指導してくれと言われたものですから、
指導というか、アドバイスをさせていただこうかと。
真鍋さんには、変わらずご指導いただきたいと思っています。
龍泉会とは、昔から合同稽古とかしてるじゃないですか?
真鍋さんとも、何度かご一緒しましたよね?
お店に伺わせていただいたこともありますし」
真鍋さんは俺の言葉に怪訝な顔をする。
「君とは初対面のはずだが?
それに、ここにいる幹部たちからは、君が道場に乗り込んできて、
突然、叩きのめされたと聞いている。
力に物を言わせて、自分の意のままに従わせるというのは、
私は許せんな」
しまった。女になってからは、会ったことなかったよ。
この人、真面目なんだよなあ。
さて、どうしたものか。
「その点については、説明させてください。
そこにいる首藤さんたちは、1年生をだまして入部させ、
強制的に練習に参加させようとしていました。
また、それが嫌なら10万払うようにと脅迫していました。
光臨会では、そういったことを見かけたら、
法を犯してでも、困っている人を助けろと言われています」
「こいつらがそんなことを?
馬鹿な。私は、ここのOBでもあるが、そんなことをしたことも、
やっていると聞いたこともない。
嘘はやめてもらおうか」
「後輩を信じたいという真鍋さんのお気持ちはわかります。
ですが、私も間違ったことはしていない。
話し合いで解決できないとなると、これで決着をつけましょうか」
俺は右の拳を前に出す。
「やはり、そうきたか。最初から乗っ取りたいというのなら、
そういえばいい。だが、私が来たからには、簡単にはいかんぞ」
真鍋さんは、上着を脱ぎ、両手を挙げて構えた。
さて、どうしたものか。
やるにしても、真鍋さんを完膚無きまで叩き潰すような真似はできない。
「お望みとあらば、お相手いたします」
俺は両手を額の高さにあげ、ゆらゆらと揺らした。
左足の踵を上げ、猫足立になる。
「おりゃ!」
真鍋さんが、前蹴りを放ってくる。俺は後に下がりながら、右手で回し受けをする。
続いて、左右の回し蹴りを、縮地を使って、避ける。
真鍋さんは、踏み込んできて、ラッシュをかけてくる。
俺はスウェー、パーリング、回し受けで、その攻撃を捌く。
「んおー!!」
真鍋さんが、正拳四段突きをしてきて、俺はすべての拳を、左手の平で受けた。
真鍋さんは、驚いた顔をして下がり、構えを解いた。
「悔しいが、私の腕では君に敵わん。だが、私にも意地がある。
私が倒れないうちは、部を好きにはさせん!」
「真鍋さん、聞いてください。私は、磯野正からあなたのことはよく聞いています。
後輩思いの真っすぐな人だと。龍泉会では、後輩に慕われ、亀井館長の信頼も厚いと。
光臨会と龍泉会は、ライバル関係にはありますが、お互い切磋琢磨しようと協力関係も築いています。
私は、ここを乗っ取るつもりなどありません」
「では、龍泉会をことを構えるつもりはないと言うんだな?」
「そんな考えなど、最初からありません。
亀井館長には、よくしていただいています。
今も、龍泉会の女子を鍛えたいからと、
出稽古の申し出を受けているぐらいです。
なのに、私が龍泉会と敵対することなどするはずもありません」
「うーん。それもそうだが……」
「私はただ、曲がったことが嫌いなだけです。
そこにいる首藤さんたちが許せなかったので、こらしめました。
そしたら、上島さんたちから、少しアドバイスをもらいたいと
言われたものですから、ここ数日、技のアドバイスをさせていただいただけです」
「こいつらには、指導の仕方で難癖をつけられ、襲われたと聞いたんだよ。
しかし、君の目は嘘は言っていない。うーん。どちらを信じだものか」
首藤たちが、真鍋にくってかかる。
「真鍋さん、こんな女の言うこと信じるんですか? この女は俺らのしごきが気に入らないってだけで、
いきなり襲ってきたんですよ? 石井なんて、入院してるんだ!
俺たち、後輩と、この女とどっちを信じるんですか?」
「首藤さん、さっきから私を部外者扱いしてますけど、私も空手部の部員。
ということは、真鍋さんの後輩ですよ?
それに、あの程度がしごきなんて、思ってません。
温い練習だなと思ったので、私の普段やっていることを真似してもらったら、
部員半分になっちゃいました。その点は謝ります」
「温いだと! 言わせておけば」
「あら。おかしなことは言ってませんよ。それに、真鍋さんが、上級生になれば、
練習をさぼって良いなんて言うはずありませんから。
あなた達は、お仕事が忙しい真鍋さんが、直接指導になかなか来られないのを良いことに、
好き放題していた。退部したけりゃ10万円? そういうの私、大嫌いなんだよね」
「黙れ! 黙らねえと、ぶちのめすぞ!」
「あなたにできるの? 試してみる?」
距離を置いて、吠えるがかかってこようとしない首藤を、真鍋さんが制した。
「首藤、今から大野さんと基本技をやってみろ」
「な?! 真鍋さん?」
「いいから、やれ。大野さんもそれでいいね」
「押忍。では、着替えますので、少々お待ちください」
俺はバッグから空手着を出し、上着を脱ぎ、シャツのボタンを外しはじめた。
真鍋さんは、驚いた顔をして、他の者たちを注意する。
「お前ら、見るな! 大野さん、ちょっとそれは」
「気にしないでください。ここって更衣室がないので、いつもパパッと着替えてるんです。
最初は、厭らしい目で見る人がいましたけど、そういう人、すぐ辞めちゃいましたから」
そういいながら、俺は手早く空手着に着替えた。
「終わりました。どうぞ」
「うむ。ほーっ。空手着になると、凛々しいね。では、まずは正拳突きだ。
首藤もいいな?」
「お、押忍……」
不満げな首藤と並んで、真鍋さんの号令に合わせて正拳突きを繰り返す。
50本を超えたあたりから、首藤は息があがりだし、100本を超えると、
手がさがってきた。
こいつだいぶサボってたな。
「止め! 首藤、大野さんを見てみろ。息も乱れてない。
お前の負けだ。言いたいことは、他にあるか?」
「……。ありません」
「大野さん、疑って悪かった。私の指導力不足だ。申し訳ない」
「いえ。これからも、よろしくお願いいたします」
俺は真鍋さんに頭を下げてから、首藤の方へ向き直る。
「首藤さん、まだ何か不満があるみたいですね。
女でおまけに、年下の私に負けて悔しいでしょう?
かかってきたらどうですか? 男でしょう?」
俺が挑発していると、真鍋さんが宥めるように、間に入ってきた。
「こいつも俺の後輩なんだ。どうか、それぐらいで許してやってはくれんか?」
「わかりました。本当のこと言うと、膝を砕くか、拳を潰すかしようと思ってました。
真鍋さんにそこまで言われたら、それもできませんね。
首藤さん、さっきも言いましたけど、私は空手部を乗っ取ったつもりはありません。
いつでも、来てもらって結構です。練習に入ってもらっても結構ですし、
一緒にするのが嫌なら、一人でやってもらっても構いません。
あなたが変なことをしないなら、私はちゃんと先輩としてあなたに接します」
首藤は、うつむいて道場を出て行った。
首藤に続いて、道場を出ていこうとした一団に、上島が声をかけた。
「平田、吉村、原田! 行くな。お前ら、強くなりたいだろ?
空手部に残れ!」
「残れって、お前、世話になった先輩を、本気で殴るような奴と一緒にできねえよ。
上島、お前、次期主将に指名されたの忘れたのか?」
「吉村、俺は主将だ何だっていう前に、強くなりたいんだよ。
お前、大野さんを見て、何も感じないのか?」
「上島、この女が強いってのは、認める。
こんな女見たことない。いや、男でもこんな強さはお目にかかったことがない。
でもな、俺はこの女みたいになりたいとは思わない。
勝てばいい、強ければいいってのは、俺は違うと思う。
上島、お前は頑張れよ。俺は、もう来ることはない」
吉村が去り、残りの二人は残った。




