断り
「待って! 待ってください!」
「なーに? もう、練習は終わりって言ったでしょ?」
「俺も光臨会に入りたいんですけど」
「道場以外では、敬語じゃなくていいよ。同じ、一年生でしょ?」
「ほんと? そりゃ助かる。堅苦しいの苦手でさ。
俺、強くなりたいんだよ。光臨会に入れてくれないか?」
「別に私に頼まなくても、光臨会の受付にいって、申込書に必要事項書いたらいいよ。
入会金は、今いくらだったかな? たしか、5000円だったような」
「違う。俺はあんたの弟子になりたいんだ。空手部だけじゃなく、
いつも習いたいんだよ」
「なんで、そんなに強くなりたいわけ?
だいたい、騙されて空手部に連れてかれたんじゃないの?」
「それは、その……」
「あ、もうこんな時間! じゃ、そゆことで」
構内を出て、スピードを上げる。
自転車はグングンと加速して、20kmぐらいの速度で楽に巡行できる。
前に乗っていたママチャリとえらい違いだ。
風が頬を撫でる。走っていると、まだ少し肌寒い。
すれ違ったおっさんが、目を見開いて俺を見る。
どこかおかしいのだろうか? 別に普通のスーツ姿だが。
視線を下げると、ボタンがないおかげで、盛大に胸元を開いていた。
ピンクのブラが丸見えだった。
さすがに、これは恥ずかしい。
たしかこの先に、紳士服店があったはず。
スピードを上げていくと、すぐ前に紳士服店の看板が見えた。
ブラウスを買おうと、急ブレーキをかけると、
目の前をうなりを上げた物体が通過して、
店のガラスに当たり、ガラスが砕けた。
自転車から飛び降り、身構えるとワンボックスカーが急発進して、
走りさっていく。
自転車じゃ、さすがに追いつけない。
心当たりがありすぎて、誰の仕業かもわからない。
大学に入っても、いろいろと楽しめそうだ。
店内があわただしくなる様子だったので、ブラウスを買うことはあきらめ、
再び自転車で走り出す。
男たちの目線を感じるが、不思議なのは俺がそちらを見ると、
気まずそうな顔で、目を逸らすことだ。
普段はねちっこい視線を送ってくる馬鹿が多いのに、
ブラが丸見えという今の状態だと、俺に気付かれるのが嫌らしい。
うーん。男だったとき、こんな時、どう思ってただろうか。
駅の階段で、ミニスカートの女のパンツが見えていて、
振り返った女ににらまれたりすると、そんな服着るお前が悪いと思いつつも、
どこか悪いことをしたという気がしないでもなかったかな。
まあ、今の俺だと見せて減るものでもないという感じではあるが。
光臨会に到着し、一階の事務所を覗くと、スーツ姿の山下師範の姿があった。
東京に出張されていたが、戻ってこられたようだ。
俺はドアを開け、笑顔であいさつする。
「押忍! お帰りなさい」
「入学式は終わったのか? お土産を買ってきたから、ぶっ!」
山下師範が、盛大に噴き出して、持っていた紙コップを落とした。
事務員の井上女史が、テッシュを取りながら、俺に注意する。
「前! 前! 見えてるから!」
「あっ。失礼しました」
右手ではだけたブラウスの前を閉めると、山下師範は咳ばらいを一つして、
こぼしたコーヒーを井上女史と一緒になって、拭きだした。
俺も二人に倣って、ティッシュをとって屈むと、山下師範が再び慌てだした。
「年頃の娘が、はしたない。なんて格好してるんだ!」
「重ね重ね、失礼しました。なんか胸元は注意が行き届かなくて」
「もう少し自覚を持ちなさい。年頃の娘が、下着を人に見せるものではない」
「押忍。今後、注意いたします。話は変わりますが、大学の空手部で教えることになってしまいました」
床を吹き終わった山下師範が立ち上がり、うれしそうな顔をした。
「そうか! やっと指導する気になったか!
お前ときたら、これだけの腕を持っていながら、男だったときも頑なに、
断っていたからな。それは良いことだ」
「うーん。ですが、簡単なアドバイスをしたことはあっても、一から教えたことなんてありません。
どうしたものかと思っています。まずは、山下師範に倣って、いきなりきついことをさせました。
明日には、半数になってると思うので、まずは少人数からやってみようかと」
「何もここのやり方をまねなくてもいい。それに、最近は小学生や女子クラスは、
楽なことしかさせておらん。
愚直に強さを求めるだけが、空手ではない。健康のための軽い運動であってもいいし、
自分を見つめなおすためでもいい。お前なりのやり方で好きにやってみなさい。
そうだ。小学生クラスでも受け持ってみるか?」
「いきなり、二つっていうのは、プレッシャーです。少し考えさせてください」
「人に教えることで、はじめて気付けることもある。必ずお前にとってプラスになるぞ。
ところで、南西大学は、確か亀井さんのところで、見てあったのではなかったかな?
ええっと、大野城の方の……」
「真鍋さんです。居酒屋を経営されている」
「おー、そうそう。真鍋さんだ。この頃、年のせいか人の名前がでてこなくてな。
断りは入れたのか?」
「押忍。大学で携帯に電話したのですが、留守電になってしまいまして。
後で、かけるつもりです」
「なら、私の方からも亀井さんに一言断りを入れておこう」
「押忍。ありがとうございます」
それから、夕方まで道場で汗を流した。




