苛立ち
光臨会に入り、事務所を覗くと、木村さんと伊藤さんが楽しそうに語らっていた。
私が事務所のドアを開けると、伊藤さんがにこやかに、話しかけてきた。
「おう。昨日の今日で動いて大丈夫かい?
結構、痛むだろ?」
「押忍。大丈夫です。伊藤さん、わかるんですね」
「ん? ああ、大分ね。磯野さんなのか、大野なのか雰囲気でわかるようになったよ」
「私の雰囲気ってどんなですか?」
「刺すような気だね。冷たいというか、何というか」
しくんと胸が痛む。私って冷たい人間なんだろうか。
「私って冷たい人間ですか?」
「いやいや、悪く取らないでくれよ。冷静っていうか、読みにくいっていうか、
そういう意味で言ったんだよ」
私は椅子に腰かける。ため息が自然とでる。
伊藤さんと木村さんは顔を見合わせる。
「どうした来るなりため息なんてついて。昨日も完勝だったのに」
「あれは、男と合わさっていたからです。私だけだったら、
負けてます」
「合わさるも何も、磯野さんと大野は一心胴体なんだろ?
ならどっちの勝ちでもある」
「そうでしょうか? 今、私は完全に女です。
こうなると、男の時の記憶とか男と合わさった時の記憶って、
自分がやったという実感がないんです」
木村さんが立ち上がり、伊藤さんの肩をポンポンと叩き、
部屋を出ていこうとする。
「お、おい、木村。どこ行くつもりだ?」
「大野さんを一番熱心に指導したのはお前だろ?
悩んでる弟子を何とかしてやれよ。俺はお邪魔だろうから、
席を外すよ」
木村さんが事務所を出ていくと、伊藤さんは困った顔で頭をかいた。
「うーん。悩みを聞くとかそういうのしたことないからなあ。
で、どうしたんだ?」
「私だけの力で勝ちたいんです」
「勝ったじゃないか。キックとの試合で」
「あれは、たまたまです。私は、私だけの力で勝ちたいんです」
「そりゃ感心しないなあ」
「なっ、なぜですか?!」
「持てる力をわざわざセーブして勝っても意味がない」
「私は、自分だけの力で勝ちたいと言ってるんです!」
「大野は真面目だね~。もっと肩の力を抜いて。
突き一つにしても、ガチガチに力入れたってダメだろ?」
「真面目に聞いてください!」
「真面目だよ。大真面目さ。最良の勝利とはどういうものだと思う?」
「それは、KO勝ちとか、誰の目にもはっきりとわかるものだと思います」
「うん。それもあるだろうね。人を魅了し、自分も満足できる。
でも、後悔することもあるだろう。例えば、君の両手首。
痛まないか?」
「時々、ズキッとすることはあります」
「手首を骨折したのは何回?」
「2回です」
「その回数が増える程、痛みは増していくだろう。
そういった傷や痛みが増えていくと、一時の勝負には勝って、
結局、人生では負けてしまう」
「そんなことありません。私は勝利のためなら、体がどうなろうと構いません」
「うん。その覚悟はすごいと思うよ。
そんな肝の据わった奴はなかなかいない。
俺もそうありたいと思っていたし、山下師範に注意されてもピンとこなかった。
最近になって山下師範が言われていたことがやっとわかったんだな。
武道とは弱者のものなればこそ、自分の身を守ることが最も重要だとね。
本当の勝利とは、何年も経った後に無事でいることさ」
「私が間違っているとおっしゃるんですか?
男の時だって、今の私と同じように考えていました。
その記憶はあります」
「間違っているかいないかの話じゃなく、俺や山下師範は大野に一時の勝利だけじゃなく、
人生の勝利者になって欲しいと思ってるんだよ」
「そんなこと言ってたら、勝負なんてできないじゃないですか?
伊藤さんは、私に普通の女の子みたいにしろっていうんですか?」
「違う違う。俺たちは空手家だよ。根っからの。
礼に始まってなんてやってたら、それは光臨会じゃない。
俺が言いたいのはね、相手に何もさせず倒せって言ってんのさ」
「そんなの、かなりの実力差がある時しかできないじゃないですか。
弱い相手とやってたら、身になりません」
「ほらほら。だから、そういう考え方が真面目だって言ってるんだ。
勝つために、手段を選ぶなってことさ。
ルールがある戦いなら、自分に有利なルールに誘導し、
それが無理なら、勝負の前に手傷を負わせたり、動揺させる。
男と合わさって、強くなれるなら合わさる」
「それだと実感がないから、私は!」
「実感があろうがなかろうが、勝ちは勝ちだ」
「……。わかってくれないんですね。もういいです!」
引き留めてくれるかと思ったけど、私が立ち上がると、伊藤さんはケタケタ笑い出した。
「がははは。若いな。大野は俺の若い時に似てるよ」
「失礼します!」
私は事務所のドアを乱暴に閉め、表へ飛び出す。
恥ずかしくて、ムシャクシャして、戸惑って、寂しくて、
頭の中が、ごちゃごちゃしてまとまらない。
誰かに電話してみようかな。そう思っていると、
LINEのメッセージが来た。
チャコからだ。昨日の試合すごかったね!
というメッセージに、今から会わない? と返信する。
返信がないので、がっかりしてバスに乗ろうかとしていると、
一台のビッグスクーターが目の前に止まった。




