試合開始
会場は満員のようだ。俺は内心ほっとする。
誰かが勝手に選んだ入場曲が大音量で鳴らされ、
係員が通路にでてこようとする観客を押し戻し、
出来た道をリングまで進んでいく。
『ヒメー!!』
声がした方を見ると、2階席に紺色の制服をきた集団がいた。
三鷹水産の連中が応援にきてくれたらしい。
俺は軽く手をあげて声援に応えながら、リングにあがる。
山中はすでにリングインしていて、矢野の言葉に頷いていた。
良いコンディションのようだ。肌ツヤがいい。
リングアナウンサーが、選手の紹介を始める。
俺は山中から目線を外さず、山中の呼吸に自分の呼吸を合わせる。
初撃で決める。あいつの動きを読むんだ。
レフリーに呼ばれ、リング中央へと進む。
山中と睨みあう。
会場の歓声もレフリーの言葉も耳には入らない。
見えるのは、スポットライトに照らされたリングと山中のみ。
いける。撃砕は打てずとも、相当なダメージが与えられる。
諸注意が終わり、青コーナーへと戻る。
力を溜めようと腰を落とすと、レフリーが間に入っていた。
このままでは、レフリーにあたってしまう。
ゴングが鳴らされる。
俺は右にジャンプしてから、腰を落とし力を溜め、跳んだ。
風を感じ、矢のようなスピードで赤コーナーへ跳ぶと、
山中が、必死の形相で左へ逃げるのが見えた。
まずい。読まれていたのか?!
勢いあまって、リングから落ちそうになるのを、
ロープにしがみついて、何とか我慢する。
ドクン、ドクンと鼓動が速まる。
俺が山中なら、俺とは距離を詰めて戦いたい。
足の速い俺に逃げられないように、できればコーナー付近で。
今、まさにその形になっている。
背中を向けているから攻撃はされていないが、
コーナーポストを背にして、戦いは再開されるはずだ。
どうする? クリンチだ。クリンチしかない。
近ければ、向こうだって小刻みなパンチしか打てない。
被弾覚悟で、クリンチで逃れる。
レフリーが俺の上体を起こさせ、顔を覗き込んでくる。
俺は、失敗、失敗と笑顔で観衆にアピールしながら、
左と右、どちらから脱出すべきかと隙を伺う。
「はい。構えて。ファイッ!」
すぐさま、山中が頭を俺に押し当ててきて、左右のボディを連続で打ってくる。
肘でブロックするものの、体に響く。
くそっ。さすがウエルター級だ。パンチが重い。
ドスンドスンと打たれる度に、手のしびれがひどくなってくる。
左右に逃げようにも、逃れる隙間がない。
頭だ頭を狙わせれば、下からすり抜けれる。
ガードをワザと下げると、右フックが顔面に迫ってきた。
左にスリップして、カウンターの右を合わせ、そのまま左に逃げようとすると、
山中は身体で、俺を押さえ、左のボディを打ち込んできた。
「ぐっ!」
胃が押され、胃液が逆流してくる。体が勝手に折れ曲がる。
更にボディブローを2発くらい、顔をあげると右のフックが襲ってきた。
「……、スリー、フォー」
ダウンしたのか? くそっ。一瞬、記憶がとんでやがる。
とにかく、立つんだ。
腕は? 何とか力が入る。
足は? くっ。正座を何時間もしてたみたいに、
痺れてる。
えーい、女は、根性だ。気合いみせたらー!
何とか立ち上がり、ロープにもたれかかる。
結構なダメージだ。腹に鉛を流し込まれたかのように、体が重い。
特に足は、感覚がない。踏み出せば、倒れる。
再開と同時に、山中が襲い掛かってくる。
まずい、倒しにきている。動くこともままならず、ガードを固めて、
耐えることしかできない。
山中は細かいパンチを多く打ちながらも、時々右の強打をまぜてくる。
右フックは特に強烈で、ガードの上だというのに、意識が跳びそうになる。
歯を食いしばり耐えていると、左のダブルでガードを崩された。
右フックが迫ってくる。
当たる!! そう思った瞬間、俺の左手が勝手に突きをだしていて、
山中の顔面にめり込んでいた。
山中がぐらついて、よろよろと後に下がる。
チャンスと思って、かかろうとするが、まだ足が自由にならない。
動けない俺は、上半身を左右に揺らし、攻めるぞと脅しをかけながら、
時間を稼ぐ。
山中は、ガードを固め俺から距離を取って、動かない。
レフリーが俺と山中を交互にみて、けしかける。
「ファイッ! ファイッ!」
うっせえな。動きたくても動けねえんだよ。
しかし、このままじゃ減点されるな。
俺は両手を開き、打って来いとジャスチャーしてから、
会場を見回し叫ぶ。
「さあ、いっくよー! スーパーカウンター!!」
会場がどよめき、山中は動揺したのか、矢野の方をみる。
迷え迷え。回復する時間が稼げる。
山中がガードを固めて、離れたところからジャブを打ってくる。
俺はいつでもカウンターが取れるというはったりを信じさせるため、
じっと動かず山中の顔を見て、笑顔を作る。
足のしびれが、少しマシになってきて、俺が半歩踏み出すと、
山中は、後に下がった。
さっきの偶然できたカウンターが、よほど怖いらしい。
しばらく打ち合わず、距離をとっていると、1R終了のゴングがなった。
俺は青コーナーに戻り、木村に頭から水をかけてもらう。
「やばかったですね。ヒヤヒヤしましたよ」
「矢野の野郎、俺の動きをよんでいやがった。
うかつだったな」
「ダメージは残っていますか?」
「まだ、腹が痛むが足に力は入るようになってきた」
「では、アウトボクシングに徹してください。
先輩のスピードならまず捕まらんでしょう」
「それしかねえか。我ながら腕力のなさに涙出てくるぜ」
赤コーナーを観察していた伊藤が、耳元に口を寄せてくる。
「矢野は気付いていますね。2Rは距離を潰しにきますよ」
「あのおっさんには、演技はバレちまうな」
距離をとって、ポイントを稼ぐ戦法は、木村が当初から主張していた。
リーチは俺に分があり、スピードも俺の方が速い。
その戦法が一番安全であることは理解していたが、
相手から逃げているような気がして、俺は気が進まなかったのだ。
しかし、奇襲が失敗した今、その方法しか残されていない。
2R開始のゴングが鳴らされ、俺はリング中央へと進む。
山中がガードを固めて突進してくる。
俺はその突進をかわし、左ジャブを立て続けにあてた。




