試合当日
試合当日。
試合は19時からだったが、気が急いてしまって、
昼過ぎには会場の福岡国際センターについてしまった。
落ち着かないので、会場の周りを軽くランニングする。
福岡国際センターは、博多湾側に古くからある総合イベントホールだ。
福岡市の中心地、天神からほど近く、博多駅からも真っすぐな50m道路が繋がっていて、
アクセスがよい。
福岡国際センターでは、大相撲の九州場所が毎年開催されており、
他にも家具の展示会、モーターショー、コンサートと様々なイベントが開催されている。
北側に50mも行くと、博多湾となっており、海浜公園が整備されていて、
散歩やランニングを楽しむ人も多い。
2月末ということで、朝晩は冷えるが、日中の日差しは温かく、
春の訪れが近いことを実感できる。
海浜公園を走っていると、若い男性に呼び止められた。
「すいません。大野奈津美さんでしょ? サインください」
「いいですよ」
立ち止まって、男性の手帳に名前を書きこんでいると、
周りの人も気付きだしたので、去ることにした。
会場に戻り、柔軟をしたあと、15時から横になり、体を休めていた。
男だった時も含めて、ボクシングの試合は初の経験となる。
不安と期待が入り混じり、どうしても頭がざわついてしまう。
音楽を聞いたり、テレビを観たりしても、気が紛れない。
何度も何度も試合をシュミレートしてしまう。
上半身を起こすと、マッサージをしてくれていた木村が、
苦笑いした。
「ほらー。アップはまだ早いですよ。
まだ、1時間あります」
「んー。なんか、落ち着かねえんだよ。
一発目が外れたら、どうしたら、いいと思う?」
「ほんと、昔から磯野さんは変わりませんね。
そういえば昔、磯野さん試合前に緊張して吐いてましたよね。
あははは」
「仕方ねえだろ? 昔から緊張しいなんだから。
試合の前の晩、寝れるようになったのが奇跡だよ」
「合わさったからなんでしょうね。よかったじゃないですか」
「お前は昔っから、緊張感の欠片もねえな。
光臨会の看板掲げて戦うんだぞ?
俺が無様に負けたら、どうするよ?」
「ははは。先輩らしいや。
試合前と試合中じゃ人が変わるもんなあ。
負けたら、俺が敵とりますよ。
ボクシングルールでやってやったんだから、
次は空手ルールでやるのが当たり前でしょうし」
「バッカお前、お前なんかとやるわけねえだろ?
俺とやる時でさえ、体重30kg近く違うのに2オンスの
グローブハンデとかしみったれたこという連中だぞ?
光臨会の竜虎とやり合う気概なんてもっちゃいないよ」
「なら、試合終わったら問答無用でぶちのめしますよ」
「そんなことしたら、大問題だろうが!」
「ははは。そりゃそうですね。なら、そうならないように、
勝ってください」
「最初からそう思ってるけどさー。
あんがとな。なんかお前と話してると緊張ほぐれてきたぜ」
「これぐらいの役には立ちませんとね。さっ、横になってください」
横になり目を瞑ると、さっきまであった焦りや緊張がなくなり、
呼吸に意識がむく。
呼吸は深く一定のリズムで行え、手や足の感覚がなくなっていく。
宙に浮かんでいるような海に浮かんでいるような不思議な感覚。
暑くもなく寒くもなく、光りも感じない。
ただその感覚に身を任せていると、不意に体を揺すられた。
「おいおい。まだ1時間以上はあるだろ? はええよ」
「何言ってるんですか。試合まであと30分です。そろそろアップしましょう」
壁にかかった時計を見ると、18時30分と表示されている。
知らない間に、1時間半も寝ていたらしい。
伊藤がミットをもって控室に来ていて、なぜかヒンズースクワットをしていた。
「……。伊藤、お前、何してんの? 試合やるのは俺だよ」
「がははは。何が起こるかわからんでしょうが」
「何がって、何だよ?」
「例えば、磯野さんがKO負けするとか」
「ちょっ、お前なあ~!」
「大丈夫。磯野さんが負けたら、俺が出ていって、あいつら全員ぶちのめしますから」
「お前ら二人して、同じこと言いやがって。よっしゃ。
そういうことにならないように、軽く捻ってやるか」
立ち上がり、軽く体を動かす。
悪くない。頭の芯がはっきりしている。体は軽い。
木村にグラブをつけてもらい、伊藤が構えるパンチングミッドに打ちこむ。
左ジャブ、右ストレート、左フック、右アッパー。
基本のコンビネーションを確認しながら、徐々に回転をあげていく。
打つと同時に、伊藤がミットをかぶせてきて、良い音をさせてくれる。
自分のパンチ力が、倍になったかのような錯覚に陥る。
伊藤が妙な発破をかけてくる。
「お前は、虎だ! 虎になれ! 瞳に虎を宿せ!」
俺は無言で、伊藤のボディに右フックを打ち込む。
「いてえなあ。なんすか急に」
「妙なちゃちゃいれんじゃねえ! なんで俺が虎だ!
そりゃ、お前のことだろうが!」
「いいじゃないですかー。磯野さんは細けえなあ」
「もっとこう、清楚な女子高性に似合うようなのはねえのか?」
「じゃあ、淫乱天使とかどうすか?」
俺は膝蹴りを、伊藤の腹に入れた。
「うぐっ。ちょ、ちょっと膝は無しっすよ……」
「誰が淫乱だ! 誰が!」
「えー? たいがい女子高生ものはそんなタイトルじゃないですか」
「馬鹿野郎! それはAVのタイトルだろうが!
全く、お前と話してると頭おかしくなりそうだ」
木村が腕を組んで、何やら思案していたが、ポンと手を叩いた。
「やっぱ、磯野さんに合うのは壊し屋ですよ」
「おいおいおい。また俺に嫌われ者になれってのか?
壊し屋って言われて、結構俺、傷ついてたんだぞ」
「俺は誇らしかったですけどね。壊し屋、かっこいいじゃないですか。
やっぱ、それで行きましょうよ」
「いきましょうよって、お前なあ。そういうのは、自分で言い出すもんじゃなくて、
他人が言うことだろう?」
「がははは。じゃあ、英語にしましょうや。デストロイヤー。
かっちょいいっすよ」
「ばっか、お前それじゃプロレスラーじゃねえか。
ああもう、センスのないお前らには、任せられん。
ラブリー天使にする」
二人はぷっと吹き出す。
「あははは。それこそ、センスないですよ。なんか、AVのタイトルみたいだ」
「はぁ? んなわけあるかよー」
二人と雑談をかわしていると、ドアがノックされ、スタッフが顔を見せた。
「入場口までお願いします」
「おし。いくぜー」
入場口まで行くと、スポットライトが当てられた。




