黒猫伝言板
片岡由紀には変わった習慣があった。
学校が終わった帰り道、一人で通学路から外れた道を歩いていく。
しばらく進んで行くと、右手に霊園が見えてきた。
彼岸や盆でないせいか、人の姿は見えない。
お墓の中を歩いていくと小さな声が耳に届いた。
「由紀ちゃん。こっちこっち」
自分を呼ぶ声について行くと一つの墓石に辿り着いた。
両側の水立てには花が飾られている。
蕾の混ざっている様子から、新しいもののようだった。
誰かが小まめに訪れているらしい。
「こんにちは、由紀ちゃん」
「こんにちは」
親しげに由紀を呼んだ声は、少年だった。
姿は見えない。
しかし、声ははっきりと由紀に届いていた。
きっかけは通学路とは別の道で帰ろうと思い立ち、霊園の前を通り過ぎようとした時だった。
奥から声が聞こえてきて、返事をしたら応答があった。
霊感を持ち合わせていない由紀にとって、珍しい出来事である。
寂しがっている様子だったので、話し相手になってみたのだ。
それが現在に至っているのである。
墓石の前にしゃがんで挨拶を返した由紀に声は問いかけた。
「今日は学校で何したの?」
「特別なことはしてないよ」
いつも通り、という答えに「何それ」と声は不満そうに言った。
「そんな毎日変なこと起きても困るでしょ?」
そうだね、とおかしそうに笑う声を聞きながら由紀は聞き返す。
「で? そっちはどうだった?」
「え、僕? う~ん」
何したんだったかな、と小さく呟いて沈黙が落ちてきた。
思い出している仕草でもしているのだろうか。
自分の想像に小さく笑っていると、弾んだ声が聞こえた。
「今日は天気が良かったから散歩したかな」
「いつもと変わらないこと言ってるね」
お互い様か、と付け足した由紀に、納得するように声が笑う。
「ねえ、いつも思うんだけど」
「なに?」
話題を変えたことに、声は語尾を上げる。
「何で、いつもこの場所なの?」
この場所とは当然墓石の前。
場所が悪いと言えば悪い。
しかも、同じ人のお墓の前なような気もするのだ。
「同じ場所のような気もするし……」
「由紀ちゃんって記憶力良いんだね」
褒めてるのか分からない言葉に、苦笑いで返事をした。
由紀の問いに、声は困ったように呟いた。
「ここじゃないと困るからかな」
「何それ、意味が分かんないよ」
笑い混じりに返されて、「だよね」と答えた瞬間、高い音に変化した。
「もう時間来ちゃったか」
意味深なことを呟いた由紀は手を二回ほど叩き「おーい」とお墓に呼びかけた。
すると返事をするように高い声が返ってきた。
先刻の少年とは別の『鳴き声』だった。
墓石の後ろから顔を覗かせたのは金色の目をした黒猫。
にゃあ、と短く鳴いて由紀の足元に座った。
「話が中途半端になっちゃったね」
頭を撫でると猫は気持ち良さそうに目を細め、喉をグルグルと鳴らしている。
「なんで、この時間だけ話せるようになるんだろうね?」
「にゃあ」
鳴き声で返され「やっぱりダメか」と残念そうに呟いた。
「じゃあ、明日も同じ時間に来るからね」
立ち上がって猫に手を振った由紀は、急な坂を下って行く。
残された黒猫は由紀の姿を見送ると、墓石に向き直る。
「行ってしまわれましたよ」
黒猫の口から出たのは落ち着いた女性の声だった。
「ごめんね。毎日毎日」
墓石から聞こえてきたのは、由紀と話していた少年の声。
「謝る必要など、ありませんよ」
でも、と言いかけた少年の声を猫は静かに遮った。
「貴方に助けて頂かなければ、私の命が無かったのですから」
「そんなこと言われてもな。あれは事故だったんだし」
「私を助けなければ、貴方は車に轢かれることは──」
「もう、その話はやめようよ」
少年の声に猫は「わかりました」と静かに言い、由紀が歩いていった坂を振り返った。
「明日も彼女は来るそうですね」
「うん」
「生前、あの方とお友達だったのですか?」
猫の質問に少年は「どうだったかな」と曖昧に返す。
「不思議な縁ですね」
「う~ん、そうなのかな」
困ったように零す少年に猫は優しく言った。
「この場所を貴方が離れるまで、貴方の声は私がお伝えします」
「ありがとう」
「どういたしまして」
金色の目をした黒猫は、にゃあと短く鳴いて墓石の後ろへと消えていったのだった。