第十話:僕
「なるほど。思ったよりも結界内では時間が経っていたみたいだな」
音も無く割れ消え、機鎚に食われた結界。その先には、夜の闇が広がっていた。視界端に表示されていた時刻表示が急激に進み、午後十時を指す。
「多分……結界内の五倍速、くらい」
俺たちは精々一時間少し程度しか結界内に滞在していないので、丁度それくらいか。ただ、基準は結界外のこの世界なので、結界内が五分の一の速度で時が流れている空間だったと表現すべきなんじゃないか? まあどっちでも良いか。
「それにしても……暗いのだ」
「照明が無いのか」
この辺りは初めて来るエリアだし、もしかすると元から照明が無いのかもしれない。どうせ結界を壊してもらうなら、宿屋に一番近い道の方を壊してもらうべきだったか。
ユージュの取り出したカンテラが、道を照らす。
「それじゃあクロウ、今からどうするのだ? いくら記憶は共有していると言っても、思考パターンは別人なのだから、主人格の様にめ、明晰な判断はできないのかしら」
普段は頭脳労働はほとんど優樹に頼っていたがために、その頭脳が失われたのは痛いな。
虎姫はあまりそう言うのは得意ではなさそうだし、俺が考えるしか……
「ある時は空の王。ある時は吸血鬼の長。またある時は我が王の頭脳……ボクだよ!」
唐突に生まれた声を聞いて、俺はこう思った。
……ごめん、ドラキュラ。
結構ナチュラルに、忘れてた。
☆☆☆
「ボクはどうすれば良い?」
一体どうしているのか、ドラキュラの周囲だけが明るく照らされる。まるで舞台上でスポットライトが当てられているようだ。
「ボクの存在感は、どうすれば増す?」
胸に手を当て、反対の手のひらは上に向け差し延べる。
このスポットライト、マジでどうやってんだ。本気で消したいんだけど。
「どうすれば、影は濃くなる? 我が王に忘れられない――?」
どこの悲劇の主人公だ一体。そう言えば今日は、衣装もそれっぽいし。わざわざそのために用意してきたのか……?
「まあ、影が濃くなるとか、影が薄いとか以前に、ボク、吸血鬼だから、影が無いんだけどね!」
「ちょっと上手い事言いやがった! なんか余計腹立つ!」
さすが頭脳労働担当を自称するだけはあるな……!
「それじゃあさっそく、状況を整理してみようか! もちろんボクは今まで起こったことに精通しているから、説明は不要だよ!」
「俺たちにプライバシーは無いのか!?」
「我が王。避妊はちゃんとした方が良いよ」
「こんなもんいらーん!」
ドラキュラに押し付けられた四角い袋を放り投げる。全然飛ばないで虎姫の元に飛び、それをキャッチした彼女は不思議そうに首を捻る。
「御主人……これ、何……?」
「水風船だ!」
「子供が出来ても責任取れるのならボクは何も言わないけど……」
「違うそういう意味でいらないって言ったんじゃない!」
助けて優樹――そうか、今は優樹がいないのだった……
今この状態で彼女がいたって、火に油を注ぐようなものだが、精神的安寧を取り戻――せそうにないけどやっぱりいてくれた方が。いやいない方が? どっちだ。わからない。
「……いいかドラキュラ」
「はい」
「これ以上ふざけてたら自由に出て来られなくするからな」
「ごめんなさい」
☆☆☆
「状況を整理するよ。まず、シープラが行方不明で、海の王候補育成施設は跡形もなく消えていた。シープラは海の王ことシルフェリア・プラントを継いだばかりであり、まだ未熟。つまり暗殺するには格好の的である、と」
「そうだな。で、俺たちは結界内に閉じ込められて、その時に迦楼羅天に接敵した」
「ただしその迦楼羅天は偽物である可能性が高い、と、そういうことだね。偽物というか、幻というかだけど」
それはこの際どちらでも構わないだろう。
「で?」
で、ってなんだよ。
そうドラキュラに告げると。
「我が王は、どうして海の王のことを探そうと思うの? メリットなんてないんじゃない?」
「探して助け出すためだよ」
「どうして?」
どうしてって……そりゃあ、この町を転覆せしめんとする過激派テロリストに捕まっている可能性が、非常に高いからだ。もし捕まっていなくとも、狙われていることには変わりがない。
「助ける必要があるの? ってボクは――」
「あるに決まってんだろ」
「だってさ、海の王は、我が王たちを騙して利用して、この町まで帰って――」
「助ける理由――あるに決まってんだろ! なんたってシープラは……」
シープラは……俺の。
いや、優樹や虎姫も合わせて、俺たちの。
「大事な『友達』なんだから。な?」
俺がそう告げると、ドラキュラは肩を竦めた。彼的には不服だろうな。そもそも陸海空の三王は相いれない存在らしいし。
正式に海の王シルフェリア・プラントを襲名したシープラのことは、犬猿の仲どころか蛇蝎がごときに思っていても不思議ではない。
「我が王の意のままに」
まあ、彼には悪いことをしたなと思う。
☆☆☆
シープラが逃げ延びている可能性と、敵テロリストに捕まっている可能性。
どちらの可能性も視野に入れて、考察してみる。
三人寄れば文殊の知恵というし、何か良い案が浮かぶのでは――
「私は頭脳労働はパスなのだし。難しい事考えてると頭痛くなってくる」
「御主人。わたし……は、御主人に従う……」
三人寄れば……そもそも、二人しかいなかった……
「そうだ、我が王。一回現場検証に行ってみないかい? さっき見たのは、結界内の偽物の現場なんでしょ? 手がかりのようなものが残っているかもしれないよ」
「現場百遍……確か、二一世紀くらいにできた四字熟語だったか。古典で習ったっけ」
結界を割ってすぐのところで移動せずにいたため、現場まではすぐである――というか、もう既に見えている。
わずか数分の移動の後、海の王候補の育成施設に到着した。
「結界内……さっきの施設跡より、断然手がかりがありそう……」
「ああ、これは確かに」
虎姫が指差したのは、地下へのタラップドアと階段であった。
ドアは跳ね上げられていて、地面の下に続く階段が闇に呑まれるまでが見える。
「もちろん中に入る……よな?」
ドラキュラが頷く。
俺は左目にシャドウスネイクを憑依させた。今頃もどこかの空を飛んでいるであろう浮遊島の洞窟以外に生息していないらしいシャドウスネイクは、一体しかゾンビにしていないので、常に片目だけの憑依となる。すごく中二っぽい。白髪で、右目は血の如き真っ赤、左目は闇を吐き出す漆黒。これはヴィジュアル面について考える必要があるやもしれぬ。
……まあ――シャドウスネイクを憑依する場面では光が閉ざされており、あまり他人に見られないので良し! ……と、割り切ってしまうことにした。しよう。とりあえずは。
階段に一歩、足をかける。鎖に繋がれた虎姫が俺の後ろに続き、更にその後ろにユージュ、ドラキュラと並んだ。
「虎姫、頭――大丈夫か?」
「ん、大丈、夫」
別に虎姫の頭の出来を確認したわけではない。天井の高さだ。この中で圧倒的に高身長である彼女の頭が天井にぶつからないか心配したのだが、杞憂だったようで何より。まあ若干窮屈そうにしてはいるけれど。
二メートル丁度くらいか? 天井の高さは。横幅は当然それより狭く、俺の肩幅の一・五倍くらいか。まあ歩くのには苦労しないな。
階段は少なくとも数百段は続いているようだった。
「何があると思う? 我が王」
ふと、思いついたというように、ドラキュラがそう口にした。
何があるか――?
ここは海の王候補の育成をする施設の真下にある空間だ。それなら、非常用のシェルターあるいは逃げ道、またあるいは非人道的な実験をするための実験所、とかか? 最後は個人的に嫌だ。
「ボクは一番最後だと思うんだよね。だって、陸の王も空の王もそうだけど、海の王っていうのは神に等しき存在――言うなれば海を司る神様なわけだから。……そんな存在を作為的に作り出そうとすれば……多少の犠牲は必要だよね。人体実験とか」
「つまり何が言いたいんだ?」
「その、ショッキングな映像をお送りするかもしれないから、って話」
気遣いどうも。
ただ、今俺たちの中にそういうのを気にする人はいない。
「わたしは……平気」
「俺もどうしてだか、大丈夫なんだよな」
「いや、ほら、我が王のガールフレンドは? いくら自己暗示かけてるって言っても、万能じゃないでしょ。極力そういうのは避け――」
その時であった。
ユージュが、ドラキュラの言葉を遮る様に――叫んだのだ。
「空の王の施しはいらないのだし! それに私は――わ! た! し! は! 旧と言えど空の王――かつて悪逆非道の限りを尽くした暴君こと空の王なのだし! いちいちそんなことでど、動じないのかしら!」
ハイトーンボイスの澄んだ声は、壁に反響して地下まで進んでいく。
もう今更咎めたりしないけどさ。
これ、地下の階段を下りた先にもし誰かがいたら、今ので完全に、俺たちが下りていってることがばれてるよな。もう今更静かにさせたところでだけど。今更ね。
まあ今更と言えば、わざわざ開けられていたタラップドアを潜って来た時点で、先に誰かがいる可能性は非常に高いのだが。逆に気にしなくても良いんじゃないかって気がしてきた!
「ふうん?」
眇目でユージュを見たドラキュラであったが、何かに納得したようなジェスチャーを置いてから、口を開いた。
「つまり今はそういうプレイ中ってこと――で、認識合ってる? もしそうなら、野暮なこと言ってごめんと謝っておくね。あまりに演ぎ――」
「プレイじゃねーよ! どんなプレイだよそもそも!」
「ごめん、ちょっとボクには理解できない領域。でも理解はあるから、遠慮なくどうぞ」
どうしてこう――俺の周りには。
結論を自分の中だけで組み立てて、その過程を一切提示しなかったり、結論だけ言えば俺が十理解すると思っている連中ばかりが集まるのだろう……
俺は世界の不条理を嘆いた。が、よく考えればこの世界自体がゲームの中であり、不条理も何も、元から条理なんてない世界であることを思い出し、憂鬱に暗澹とした結果――階段から足を踏み外しかけた。
危ねえ……
☆☆☆
案の定というかなんというか、階段を下り切ると、両側に鉄格子の部屋が続く一本道につながっていた。左右五つずつ、合計十の檻が並んでいる。奥の壁には鎖がつけられていて、その先は俺の左腕に嵌められている物と同じような手枷。
床には赤黒く変色した「ナニカ」がこびりついており、異臭が鼻を突く。
ユージュはチラッと檻の方を見たが、特に何も言わなかった。虎姫は相変わらず何を考えてるんだかよくわからない顔で俺の背後に控えている。ドラキュラだけは対照的に嬉しそうだった。
「ボクは一応ゾンビだから、血を吸わなくとも存在を維持できるわけだけど、でも吸血鬼でもあるから、血を吸いたいという欲望は薄れちゃいないわけでさ。久しぶりに血の匂いを嗅いだから、ちょっと興奮しちゃった」
実は俺も、少しだけその気持ちが分かる。ドラキュラを憑依させることはすなわち、その時俺も吸血鬼になっているということなのだから。ゆえに、俺はそれに何の反応も返さないでおいた。
「檻の中には誰もいなさそうだな」
「そうだね。生体反応なし。ああ、いや、死体があるってわけでもないよ? でも、埃が被ってるわけでもないし、つい最近まで使われてはいたようだけれどね」
階段と反対側、通路を進みきったところには、重い鉄の扉があった。軽く押してもビクともしない。
「御主人。貸して」
言われるがまま、虎姫にドアノブを譲る。何度かガチャガチャやった後――
「はぁっ!」
「はあ!?」
なんと虎姫は、蝶番ごとドアを破壊しやがった。
もう隠密行動とか一切する気無いのな。
「ふう。御主人、貶して」
「褒めろじゃなく!?」
「辱めてくれるのでも良い……邪険にして……」
と、とりあえず日を改めてってことで……
「研究室みたいな感じだね、なんだか」
「拘束具付きのベッドがある研究室……きっとロクなことに使われていないのかしら」
「虎姫ちょっと離……置いていかれてるから!」
どうにかこうにか虎姫を引きはがし、ドアの奥へ。ちなみに壊したドアは、元通り嵌めこませてある。十センチくらいの分厚いドアを軽々片手で持ち上げるとか、虎人って凄ぇな。
「特に他に部屋はないようなのだし」
「そうだね、空気の出入りも無いから……完全に密閉された空間と考えても良いだろう。でも、そこ――」
そう言って指差したのは、分厚い本がぎっしり詰め込まれた本棚の裏。
「その本棚の裏、空間があるんだけど、そこも外にはつながっていないようだね」
「ぼ、僕も気付いていたのだし! そんな、自分の手柄の様に言うなだし!」
先ほど他に部屋は無いと断じたユージュが慌てて抗議の声を上げた。どうやら本当に気付いていなかったと見える。
「虎姫、頼めるか? 本棚を動かしてくれ」
何度も頼って悪いけど、力仕事は虎姫に担当してもらう。あんな細い体のどこにあの怪力が詰まっているのだろう本当に。苦も無く、何十冊もの本が詰まった本棚をずらし、壁との隙間を作ってしまった。本棚は天井ギリギリくらいまでの背丈があり、隙間なく本が詰まっているので、ちょっと二桁じゃおさまらないくらいの重さになっているはずなのに、軽々である。
「御主人。今度こそわたしを罵ってほしい」
「ありがとう虎姫。凄いぞ」
「褒められるのも……悪くない……けれ、ど」
無視して褒めると、不服そうな口調の虎姫は、それでも少し嬉しそうにそっぽを向いた。
気付いた人いるのかな。
――次回――
「探し物を絶対に見つけられる能力ってのも、そのうちの一つなのか」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
誤字脱字、変な言い回しの指摘、感想、評価、レビューお待ちしております。




