第八話:殺す
「お前は……!」
絢爛豪華、瀟洒で華麗にして可憐。
背負った翼は金と緋のグラデーションを描く。
長めの髪も羽と同じカラーで、その片目を隠していた。唯一見える右目は黄金に濡れている。
「ん。感動の再開だねお兄ちゃん……!」
その矮躯を隠すのは天女のような羽衣で、大きな翼も相まってその姿はさながら天使のよう。
俺をお兄ちゃんと呼ぶその口は、紅を引いたかのように真っ赤だ。
感動の再開、と、そいつは言う。ただ――俺は。
「……人違いですよ? 誰ですかあなた」
さっきはお兄ちゃんと呼ばれたから、つい「お前は……!」なんて反応をしてしまったわけだが、振り返ってみると知らない人だった。そういえば、どうしてお兄ちゃんと呼ばれることに懐かしさのようなものを覚えたのだろうか。小さいころのあだ名とかか? ちょっと記憶に無いな。呼ばれ慣れているような感覚は気のせいだ。
「お兄ちゃんが俺のことを忘れてる!? 俺だよ俺俺! ほら!」
どこかでお会いしたことがあるのだろうか……
「昨日夢の中で会ったじゃん――ん!? あれ!? ってことは現実で会うのは初めて!?」
「め、面倒な奴が出て来た……!」
頭を抱えた。
☆☆☆
「し、仕切り直しだぜ! 俺は迦楼羅天ガルーダの……そうだな、えっと、異名はたくさんあるんだけど……ガルトマーンが一番好きかな! そう呼んでくれ!」
「ガルトマーン……鳥の王か」
優樹が呟く――
「おい、人間。誰が口を開くことを許可した」
ガルダ――ガルトマーンが、指を鳴らす。すると、優樹の全身が炎に包まれた。超高温の、真白い炎だ。そのことを認識した瞬間、俺の体は動いていた。
「ああああああぁあぁ――!」
「おいッ、やめろッ! 何しやがるッ!」
今すぐその炎を消せ!
飛び掛かり押し倒したガルトマーンの細い首を絞めながら、叩き付けるように叫ぶ。その間も優樹は炎に巻かれのたうちまわっていた。現実なら一瞬で蒸発するような温度でも、ここではなまじ強化された肉体を持つがゆえに、死という逃げ道を簡単に選べない。だから――苦しみが持続する。
「早くッ!」
左手で首を押さえつけ、顔面を殴る。三発ほど殴った辺りで――優樹が自分で復帰した。
「フェアリーテイル、ウォーター。ヒール、ヒール……さすがに……死ぬかと思った」
ガルーダの首から手が離れ、咳き込む奴に馬乗りになったまま、茫然と優樹を見つめていたが、ふと我に帰る。
「良かった、死ななくて……ッ!」
今までの戦闘で、優樹がダメージを追うことはあっても、先程の様に、死の危険と隣り合わせのところまでいったことは無かった。だからこそ、俺はここまで……
「カハッ、カッ……ぐ、ぜ、ぜぇ……お、兄ちゃん……俺……死んじゃう、から」
「次、優樹に――いや、優樹だけじゃない、誰かを燃やしてみろ。俺がお前を――」
自分でも驚くほど、思考が凍てついていた。されど煮え滾っている。もしも俺の心の中を視覚的に覗けるのなら、地獄の溶岩の上で猛吹雪が躍っている――そんな、それこそ地獄絵図な風景を見る事が出来たに違いない。
言葉が勝手に出てきて、まるで映画を眺めているようだ。
「――地獄の業火で焼いてやる」
☆☆☆
「御主人……顔、怖い……」
虎姫に言われて、俺は今の自分の状況を客観的に認識する事が出来た。先程は自分で自分の思考だけは冷たいままであると判断したが、優樹のことをリアルネームで呼んでしまっていたし……なかなかままならないものだ。
「あ、ああ、悪い」
虎姫に、無理矢理笑顔を作って見せた。
迦楼羅は、俺の下で気を失ってしまっている。
「ゆう……ユージュ、絶対に切れないロープを出してくれ」
「拘束かい? 縛るところまで任せてくれないか。緊縛には大変興味があります」
「ま、任せた」
十字を切って黙祷を捧げる。自分で引きずり倒しておいてなんだが、ガルーダが可哀想……
まあ、同情の余地はないけどな。こいつは優樹を殺そうとしやがった。
突然目覚めた迦楼羅が優樹に再び襲いかからないように注意しながら、優樹の手際を見張る。さすがというべきか――みるみるうちに、鳥の王に縄化粧が施されていった。
「やっぱりオーソドックスなものからだよね。亀甲縛り完成っと」
「結構なお点前で」
誇らしげな顔で、一仕事終えたとでもいうかのようにこちらを向いた優樹に棒読みでそれだけ返す。茶道でお茶を振る舞われたときも、こう返す決まりだ。
「御主人、これは……?」
「ああ、うん、普通自由を制限するためにはもっと違う縛り方するんだろうけど、これはその、ユージュの趣味みたいなものだと思ってくれ……」
「なるほど。わたしもしてほしい……そんな風に心が引きつけられるのは……どうし、て」
「荒縄も出せるよ」
「出さなくてよろしい」
亀甲縛りで地面に転がるガルーダの胸の辺りを踏みつけ、意識の覚醒を促す。一度では目を覚まさなかったので、二回目はかなり強めの力加減で。
「……がッ! が、は……」
「さっさと起きろ焼き鳥野郎。いつまで寝てやがる」
迦楼羅は身を起こそうともがくが、一体どれだけの力で縛ったのか、亀甲縛りに邪魔をされて身動きが取れないようだった。両腕は背中の後ろに回され、両足は開いた状態で固定されている。
「これは……なんだこれ。お兄ちゃんに踏まれるのは何となく興奮するけど、どうも命がヤバい?」
「別に殺しはしねえよ。俺の聞いたことに正直に答え続けているうちはな」
「嘘をついたら?」
「このまま胸骨を踏み折る」
「そいつは傑作だ!」
そのまま口笛でも吹き出しそうな笑顔で、迦楼羅がそう言った瞬間、俺の足は胸骨を踏み抜いていた。それどころか体を貫通し、ガルーダの背中にまで足が到達していた。
「は、いや、違、俺は別に」
「せっかく縛ってくれてなんだけど、俺、基本的に本体が炎だから。実体が無いんだよ」
ガルーダの体が溶け崩れ、純白の炎が足を駆けあがってくる。それとほぼ同じタイミングで優樹が出してくれた水を避けるように炎が移動し、離れてくれた。おかげで、俺自体はあまり燃えないで済む。
真白の炎は地面を舐めるように移動し、俺と少し離れた辺りに収束、立ち上がった。炎はすぐに色を纏い、ガルーダの形になる。
「ちなみに燃やせないものは無いよ。理論上最高温度の三倍くらいの熱は出るはずだから。えーっと、あ、ほら、それ見て」
それ。迦楼羅が指差したのは、先ほど優樹が創造した、物理的な限界を超えて頑丈なロープ――の、残骸。魔法的な加護も付与されて、めったなことでは壊れないと出した本人が豪語していたものだが……そのめったなこととやらが、ガルーダであるらしい。というかむしろ、それでも燃え残っているこのロープがすごいと称えるべきか?
「えっと、まあ、というわけだから、俺にはうかつに触らない方が良いよ。たとえお兄ちゃんでも、焼き殺しちゃう」
「……それ。お兄ちゃんってのはどういう」
「だってさ! お兄ちゃんは空の王でしょ? 元は殺すべき人間だったみたいだけど、今は魂レベルで空の王とリンクしている。実際は違うんだろうけど、ほぼ空の王と言っても過言ではない身体だよ。だから、鳥の王である俺からしてみればお兄ちゃんみたいなモノかなあ、って」
空の王を使役する死霊術師だったはずなのに、いつの間にか俺は、空の王にまで祀り上げられていたらしい。まあ、その考え方には一理あるか? いや無いだろ。
空の王を従える俺が、実質空の王である――社長より会長の方が偉いみたいなものかと噛み砕いて理解した。
「ちなみに地の王の反応もごくごく僅かにあるけれど、どこかで交わった?」
交わった?
会ったってことか?
疑似的な地の王となら、虎の集落で出会っているが――それのことか? 神格を付与されただけの偽物の地の王だったから、どうなのかは知らないが。
「うーん。本当にちょっとだけだし、もしかしたら気のせいかもしれないね」
偽物だったから地の王の反応が弱いんじゃあないのか。
――そんなことより。俺は、そんな雑談に興じるつもりはないのだ。
「お前は、この町を狙っているとかいうテロリストで間違いないな?」
ガルーダはさして表情も変えずに、頷きを返してきた。
「そうだよ。俺がこの町を狙っているテロリストの一人。迦楼羅天ガルダの、ガルトマーンだ」
「そうか。それじゃあ聞くぞ」
「どうぞどうぞ」
良いか。
返答は考えてするんだぞ。
場合によってはお前を殺すことも厭わないからな。
「ここにあった海の王の候補を育成する施設は、どうした」
「燃やしちゃった」
ガルーダの体を、グングニルが引き千切っていた。
☆☆☆
跡形も無く霧散した白い炎の欠片が、空に昇っていった。
「悪い、つい感情的になった」
「一体いつの間に、グングニールを発動させていたんだい?」
「迦楼羅の目を覚ました時だ」
胸骨の辺りを踏みつけつつ、右手で持ったグングニルで、左肩の辺りを刺しておいたのだ。優樹や虎姫がいた角度からだと見えなかったかもしれないな。
「そんなことより悪い、事情知ってそうな奴をみすみす……」
俺がそう謝ると、優樹は鼻を鳴らした。
「事情なんて分かりきったことだろう? 迦楼羅がテロリストの仲間だったことが分かっただけで推理できるじゃないか」
「テロリストは……この町の在り方、人間を受け入れたことに不満を持って、いる。そして……人間を、受け入れることを決めた、のは――」
「なるほど、海の王、ってか」
なにせ、海の王はこの町の統治者にしてシンボル、一番偉い立場にあるのだ。分かりやすく言えば、こいつさえ殺してしまえば……っていうポジションなわけで。
しかも、現海の王は、つい先日――というかわずか二日前、一昨日の深夜に継承した、いわば新米の海神なのだ。これは圧倒的にチャンスである。――そう、暗殺の。
「そんなことより、シープラちゃんだ。彼女の居場所を探すべきじゃないかい?」
「そもそも、考えるのも嫌だけど――この状態で、その……」
辺り一面、施設があった部分はそっくり焼けて無くなってしまい、最悪の話――シープラが死んでいるという可能性も視野に入れないわけにはいかないのだ。だから語尾がどんどん消えて、尻すぼみになってしまう。優樹もわかってくれたようで、そのことについては何も言わなかった。
「シープラちゃんが死んでいる可能性は、無い。もし完全に死んでいるのなら、ガルーダが僕達の前に現れた理由が説明できないだろう? あいつはきっと、この屋敷には人がいないあるいはシープラちゃんが不在であることを分かったうえでここを燃やしたんだ。それで、誰かがここにやってくるのを待っていた」
「なるほど、それならあのタイミングで出て来たのも頷ける、か?」
あのタイミング――俺たちがこの場所についてすぐのタイミングである。言われてみれば確かに、まるで待ち伏せていたかのようなタイミングの良さだった。ガルーダは、シープラちゃんあるいはこの施設の関係者が施設に戻ってくるのを待っていたのだ。
「で、そこに俺たちがやって来た、と」
「そういうことだね。虎姫、どうかな?」
「ん。シープラの、匂い……残って、ない。……正確には、焼けた臭いが強すぎて、他の臭いがすべて消えている。正直、お手上げ。御主人。わたしにおしおき」
手がかりなし、か。おしおきについては無視できるものとする。
「もっとほかに、手掛かりになりそうなものは無いか? 地下室が燃え残っているとか、そういう……」
「地下室が燃え残っているなら……ガルーダが見つけているんじゃないかい?」
「でも、現にガルーダは地上にいただろ? もしかしたら、完全に燃えるのを待ち、それから地下室を探そうとしたところで俺たちが来た、くらいのタイミングかも……いや、違うか」
何せ今は昼だ。
海の王のいる施設なんかが燃えていたら、もっと人が集まり――人が、集まる?
「ちょっと待て! どうしてこんなに人がいない!? 普通王様の家が燃えたら、もっと野次馬が来るはずだろ!?」
「……罠、か」
優樹が呟くように言う。
「でも……特に、誰も仕掛けてこな、い。時間稼ぎが……目的……?」
「つまりここが――現実、あ、えっと、リアルじゃなくて、通常のゲーム世界ってことだよ? 通常のゲーム世界とは違う世界なのだというパターンと、魔法か何かで人払いが為されているパターンのどちらか、なのかな?」
「前者ならまだシープラは無事で、後者なら五分くらいか?」
俺たちを足止めしておかなければならないということは、邪魔されてはならないということである。つまり言い換えると、まだ邪魔をする余地がある――シープラの暗殺は終わっていないということだ。それが前者。
後者の場合は――ああ、いや、違うな。この可能性は考える必要性が無い。
「王の暗殺は派手で演出的でなければならないはずだ。だってそうでなければ、テロの意味が無いのだから。愚かな王族に鉄槌を! みたいなセレモニーが必要なはずなんだ」
「なるほど。……つまり、人払いをして施設を燃やすことはない。そういうことか」
「理解……した。言われてみれば、この世界、ちょっと狭いかも」
世界が狭い?
世界の大きさを常に感知していたとでも言うような虎姫の物言いにどことなく引っ掛かりを覚える。どうもこの辺り、動物的な勘とかそういうのが働いてるんだろうな。
「つまり――結界、かな? ちょっと道を戻ってみようか」
踵を返し、施設の目の前の道を真っ直ぐ歩いていった優樹が、百メートルほど進んだところで立ち止まった。その後ろで、俺も歩みを止める。
「どうやら大正解のようだね」
ほら。
優樹が指差した先には、普通で何の変哲もない道が続いていたのだが。
「結界だ。僕達が今いるこの空間は――魔術的に閉じられている」
指差した優樹の指先が、空間に直接、まるで、そこに何かがあるかのような皺を寄せていた。
次回、結界の内部での話?
――次回――
「とりあえず、この壁に沿って歩いてみよう」
―――(予告は変わる可能性アリ)―
では。
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